ヤクルトの山野太一は、8月1日の巨人戦(東京ドーム)で今シーズン初登板、初先発を果たした。それは2年4カ月ぶりの一軍マウンドでもあった。

「1年目の初登板の時よりは落ち着いて試合に入れましたけど、いざ始まると最初のアウトをとるまでは足が震えていました。ビジターだったので相手への歓声がすごかったですが、集中できていたのでそこまで圧倒されることはなかったです」

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8月1日の巨人戦でプロ初勝利を挙げたヤクルト・山野太一

 初球は豪快なワンバウンドのボールだった。

「自分の悪いところが出てしまったのですが、そこから修正できてよかったです。二軍ではコントロールの面で、手探りで投げていたところもあったのですが、この試合はとにかく腕を振って投げたところ、なんとなくですが『こういう感じで投げればいいのかな』という感覚がつかめました。そういう意味で、気持ちと技術がうまくマッチしたのかなという試合でした」

 3回裏には、二軍の試合では甘かったり、決めきれなかったりしたインコースの真っすぐで坂本勇人から見逃し三振を奪った。

「(右打者のインコースに)投げきれなかったのは技術的なことよりも気持ちの部分だったんだと。

あの場面は気持ちで投げ込んだ感じでしたので、今までやってきたことに自信を持って投げれば大丈夫なのかなと」

 巨人打線を7回無失点に抑えるすばらしいピッチングで1対0の勝利。プロ3年目にして、そして自身3つ目となる背番号『26』で、プロ初勝利をつかみとったのだった。

【背番号が21から013へ】

 山野は、2020年のドラフトでヤクルトから2位指名を受けて東北福祉大から入団。入団時の背番号は『21』で、山野のほうから球団にお願いしてもらった番号だった。

「左の21番といえば、ソフトバンクの和田毅さん、DeNAの今永昇太さんだったり、左のエースピッチャーがつけている番号だと思っていたので、僕もつけたいとお願いしたんです」

 プロ1年目の春季キャンプは一軍スタート。ブルペンでは、最速150キロと多彩な変化球という評判どおりの投球を披露。大学通算22勝0敗という即戦力左腕への期待は高まり、シーズンが開幕すると4月1日のDeNA戦(横浜スタジアム)でプロ初先発となった。

 しかし結果は、2回途中7失点で降板。その後は左肩を痛め、二軍でも1試合の登板でルーキーイヤーは終了。2年目も状態が上向くことなくシーズンを終える。二軍の戸田球場で山野のピッチングを見た時、球速が遅くなっていることとストライクが入らなかったことが、強く印象に残っている。

 山野は「自分が希望した背番号21でしたが、いいことは本当に一度もなかったです」と振り返った。

「正直、自分が言うのはおかしいかもしれませんが、ここまでしてきた努力については自信を持って言えるというか。

去年も寮では誰よりも早く起きて、誰よりも早くストレッチを始めて......それを毎日続けていたんですけど、思うようにいかない。それでも、とにかく続けることで、いつか急にいいことが起きるんじゃないかと頑張ったんですけど、どうしても思うようにいかない」

 そして初勝利後のヒーローインタビューでは「野球をやりたくない日々も......」と声をつまらせた。

「野球をやりたくない気持ちもありながら、地元である山口の方たちや大学時代を過ごした仙台でお世話になった方たちなど、応援してくださる方の期待を裏切りたくない。自分では思うようにいかないことばかりなのですが、そのためには(野球を)やるしかない。そこがメンタル的につらかったです」

 昨年オフ、山野は育成契約選手となり、背番号は『013』に変更された。そうした苦しみのなかで、少しずつではあるがいい方向に進み出した。

「いきなりすべてを求めないで、段階をしっかり踏んでいこう」(山野)と、まずはテイクバックの形など、投球フォームの見直しから取り組んだ。

「球速はまだ戻っていないので、いかにバッターが見づらい、ボールの出どころがわかりにくいフォームで投げるかを意識しました。いろいろな人のアドバイスのなかから、自分に合いそうなものを選んでつくり上げたのですが、結局、右足が着いた時にトップがしっかりできていることが重要だなと。そのためにテイクバックを小さくしました」

 今季、二軍で開幕を迎えると「肩の痛みと恐怖心がなくなったことで、思いきって腕が振れることも大きいですね」と、投げるたびに安定感と球速は増していった。

 小野寺力二軍投手コーチは、今年の山野について次のように語る。

「まずはストライクがとれるようになりました。

新しいフォームにしたことで、腕をあげる位置やタイミングなどのバランスがよくなりました。そのことでリリースポイントが安定しましたよね。もともと曲がり球が得意で、いろいろな球種が使えるのですが、なおかつ奥行きを使う球種の練習もしていた。そうしたチャレンジが少しずつ結果になっていったので、もしかしたら(一軍で)というのはありました」

【再び支配下選手へ】

 7月14日、戸田球場。選手たちがアップを終えると、山野はチーム関係者に笑顔であいさつ回り。同級生で大の仲良しである梅野雄吾が「早く26を着ろよ」とはやしたてた。二軍では11試合に登板し2勝2敗、防御率1.75の成績だった。

 ロッカーへ戻る山野に「支配下登録されたのですか」と聞くと、「はい!」と弾んだ声が返ってきた。

 そうしてサブグラウンドで山野がキャッチボールを始めると、試合用のユニフォームに着替えていることに気がついたのだが、背番号は「013」のままだった。

「自分にとって育成時代は貴重な時間でしたし、このつらかった時期を噛みしめながらというか......最後にこのユニフォームで練習したい気持ちがあったんです」

 山野はその時の心境をしみじみと話した。

「家には初心を忘れないように『21』と『013』のユニフォームは、常に自分の目に見えるところにかけています。見るといろいろなことを思い出しますし、たくさんの時間を経てここまで来られたので、自分にとって『21』と『013』はすごく大事な番号です」

 山野はプロ初勝利の翌日に登録抹消。すぐに灼熱の戸田で次回登板に向けて調整を続けていた。あらためてプロ初勝利について聞くと、「やっとチームの一員になれたような気がしました」と言った。

 近くにいた育成左腕の下慎之介のほうを見て「いろいろな人と意見を共有しながらお互い高めあってきました」と話を続けた。

「今回は僕が支配下選手になって1勝できましたけど、これは自分の力だけでなく、ほかにも同級生や一緒に頑張って意見交換しあった方々の力もあっての1勝でした」

 梅野は「試合はテレビで見ていました」と言った。

「アイツが悩んで苦労していたのを知っていたので、うれしかったですね。ヒーローインタビューでは『なに泣いとんや』と思ったんですけど(笑)。(山野の勝利は)刺激というか、『オレももっと頑張ろう』となります。今はファームですが、いつ上から呼ばれてもいいように、いつも全力でチームの力になれるようにコツコツ準備しています」

 小野寺コーチは「乗り越えられたことが一番よかったと思います」と言って、こう続けた。

「僕も現役時代は肩のケガで苦しんだので、投げられない苦しさはわかります。今は投げられる喜びというか、乗り越えた強さというか、苦しんだ時間は山野を精神的な部分でちょっと成長させてくれたと思います」

ヤクルト山野太一が部屋に自分のユニフォームを2枚も飾る意味 石川雅規との練習で得たものは
石川雅規(写真左)とキャッチボールをする山野太一(photo by Shimamura Seiya)

石川雅規(写真左)とキャッチボールをする山野太一(photo by Shimamura Seiya)

【投手としてすごい武器を持っている】

 8月6日、戸田球場では山野と石川雅規が、この日2度目のキャッチボールをしていた。

「最初のキャッチボールのあと、石川さんと一緒にブルペンに入ったのですが、その時に僕のピッチングの印象を話してくださり、『じゃあ、これからキャッチボールをしよう』と。そのなかでいろいろアドバイスをいただき、修正しながらやりました。石川さんはキャッチボールの時からずっと同じフォームで投げ続けられるので、それがプロで長くやれている理由でしょうし、僕もそこを目指してやっていきたいので、いろいろ吸収できればと思っています」

 すっかり背中に馴染んだ『26』について聞くと、こんな答えが返ってきた

「こんなにいい番号をまたいただけるとは思ってなかったですし、球団からの期待はすごく伝わってきました。これからはこの番号にふさわしい結果というか、自分を代表する番号にしていければと思っています」

 小野寺コーチは山野への期待を、次のように語った。

「山野は腕が長いので、ピッチャーとしてすごい武器を持っているんですよ。その分、操るのは大変なんですけど、それができればボールを長く持てるので、リリースポイントが打者寄りになります。変化球も多彩ですし、いろんな意味で器用なんですよ」

 8月13日、山野はプロ2勝目をかけて、京セラドームで首位を走る阪神に立ち向かう。