広島・矢崎拓也インタビュー(前編)

 10月14日からプロ野球はクライマックス・シリーズ(CS)が幕を開ける。セ・リーグは、新井貴浩新監督のもと2位と躍進した広島が3位DeNAを本拠地・マツダスタジアムで迎え撃つ。

なかでも注目は、自身初のポストシーズンとなる7年目の矢崎拓也だ。昨季を上回るキャリアハイの54試合に登板し、4勝2敗24セーブ、10ホールド。栗林良吏が不在の間は抑えとしてチームを支えた。マウンド上での飄々とした立ち居振る舞いや独特の表現は、一部のファンの心をつかむ。我流を貫く右腕に「過去」「現在」「未来」を訊いた。

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【環境の変化に弱い自分がいた】

── 6年目の昨季に飛躍のきっかけをつかみ、今季は抑えを任せられるなど自己最多登板数を更新。プロ入りから思うように結果が出なかった5年間をあらためて振り返ると、どんな時間でしたか。

矢崎 1年目は何もわかっていなかったですね。ルーキーなので、プロ野球自体のことがわかっていなかった。プロはそれぞれのカテゴリーでトップだった選手が入ってくるので、やられることもあるのに、そういう自分を受け入れられなかったというのが一番だったかなと思います。そこで「何かがおかしいんじゃないか」とか「もっとこうなのに」と、もがいていた感じです。

── これまでなら多少の投げミスをしても抑えられていたものが、とらえられるようになったと。

矢崎 そうですね。

本来なら「次はやられないためにどうするか」と考えて取り組んでいくことが大事なんでしょうけど、「もっとこう投げたらいいじゃないか」「こういう球を投げられたらな」と、自分の持っているものを疑い始めたんです。でも、自分にないもので戦おうとしても、パフォーマンスを上げられるわけがないですよね。

── 当時は「制球が課題」という指摘もありました。

矢崎 今もそんなにいいわけではないですけど、もともと悪かったのは事実なので、そう言われても仕方ないと思います。プロ野球は毎日試合が続く世界なので、自分を高めながら成長するのが難しい。大学では(春・秋の)リーグ戦が終わって数カ月空くので、そこで自分を変えようとチャレンジできる環境でしたけど、プロは試合が続いていく。

そして成績という結果が自分に降りかかってくる。初めてだからしょうがないという面はありますけど、その価値観を早く捨てることができればよかったかなと、今は思います。

── 数字を突きつけられる現実や一軍に上がれない現状と、どう向き合ってきましたか。

矢崎 向き合えていたのかどうかもあやしいかもしれませんね。「もっとこうだったらいいのに」という気持ちはありましたけど、どれだけ突き詰めようとも相手がいる競技なので、やられることも抑えることもある。でも当時は、周りの環境や新しい環境にフィットしていないのかなとか、自分のことではないところを言い訳にしていたと思うので、そういう意味で向き合えていたかと言われると、ちょっとあやしい感じはあります。

── 向き合えていなかったと感じる時間は、しばらく続いたのですか。

矢崎 長かったと思いますね。環境の変化に弱いというか、二軍から一軍に上がる時もそうでした。プレッシャーの度合いなどが変わることに弱いというか、100%自分に?委ねきれないという感じだったんじゃないかと思います。

【同じ失敗を繰り返す自分に飽きた】

── プロ入りしてから5年、なかなか一軍に定着できませんでした。殻を破りきれない時間をどのようにとらえていましたか。

矢崎 当時は「もう終わるんじゃないかな」というのは普通にありました。

明確に覚悟を決めていたかと言われたら微妙ですけど、自分の置かれた状況が見えないほどではなかったです。

── そういった危機感が焦りに変わることはなかったですか。

矢崎 そこまではなかったですね。やることは目の前のことだけなので。

── 2021年から始めた座禅によって、現状を受け入れながら自分自身をコントロールできるようになったと思いますか。

矢崎 座禅だけでなく、すべての経験がつながったのかなと思います。

座禅の効果はもちろんあると思いますけど、あとは何か心底イヤになったんですよね。それまでの5年間、ここがチャンスという場面でつかめなかった。やられるにしても「自分の実力が足りなかった」と受け入れられたらよかったのかもしれませんが、毎回逃げているというか、自分から手放している感じがありました。5年目に先発でちょっと投げて、中継ぎで(一軍に)上がった時もそう。自分の実力を発揮する前にやられて、自らそのチャンスを手放している感じ。プレッシャーに負けて......とか、もう何回目なんだろうと。5年目が終わった時に、「この失敗の仕方に心底、飽き飽きしたな」と思ったんです。

── 失敗するのは結果次第で評価を得る重圧のせいか、それとも環境が変わったことでのことなのか。

矢崎 当時はそんなことを考える余裕もありませんでしたけど、どっちもでしょうね。やられるというより、自分がやらかすことに飽き飽きした。失敗するにしても、自分の実力をちゃんと発揮して、それでやられたら納得感のある終わり方だと思うんですけど、それすらできないというのはダサいでしょう。「もっとできたのに」と周りから言われるのもイヤだったし、自分で言うのもイヤでした。「相手が上だったよね」って言うほうが潔いかなと思ったので、どうせやられるんだったらそっちのほうがいいかなと。

【技術的な部分はあきらめた】

── そうした状況を打破するために取り組んだことは何ですか。

矢崎 最初にやったのは、自分と向き合うことですね。自分がどういう感情で野球をしていて、どういうことを求めて、いったい自分は何なんだろうと考えることから始めました。

── 技術面のアプローチは?

矢崎 技術的な部分は......あきらめたことが大きいですね。

── "あきらめた"とは?

矢崎 「よくなりたい」「こうしたい」というのは、結果を求めて「もっとこうやって投げたほうがいいんじゃないか」「もっと球を速くしたほうがいいんじゃないか」と出てくるものだと思うんです。そこに対するアプローチをあきらめたんです。それまでも、いろいろフォームを見るのは好きでしたし、知識も入れてきました。ただ、どうやって投げたいというよりも、まずは自分自身が心地よく投げられることを求めて、実力を発揮することが先だと思ったんです。それぞれ体格は違うし、育ってきた環境も違う。「技術の変化は?」って聞かれたら、「まずは自分に従うようにした」という感じですね。

── あくまで矢崎拓也という投手に合った投げ方を求めていったと?

矢崎 そうですね。そっちをメインにやってきました。

── 当時、広島の飯田哲矢アナリストと配球面の話をして、変化球への意識が変わったように映りましたが。

矢崎 変化球を投げるにしても、「打たれたくない」とか「いいところに投げなきゃ」と思う気持ちが強すぎて、ボールになっていたんです。反対に、ボールになるのがイヤだと思って真ん中にいったり......。まずは自分が投げやすいフォームにして、打たれる覚悟を決めて投げにいくみたいなことを始めた感じですね。

── 抑えたいという気持ちを出すのではなく、やれることをやって結果は気にしなくなった?

矢崎 そうですね。たくさん失敗をしたので、その失敗の仕方さえ変われば違うステップの踏み方になるかなと思ったんです。"本当の自分というのを受け入れる""フォームは自分らしく、単純に"。野球を20年ぐらいやってきて、「そこまで変わらないだろう」ということを前提に置いていたところはあります。投げやすい投げ方が一番いいかなと。それでダメなら、そうなったあとに考えようかな......みたいな方針にしました。

── 結果を残したいと意識を向けなくなったことで、逆に結果が残るようになっていったと。

矢崎 そうですね。結果を求めずにやったのが昨年で、そのほうがいい結果になって......自分でも「へー、そんなもんなんだ」という思いがありました。

後編:想定外だったリリーフで躍進して感じたこと>>


矢崎拓也(やさき・たくや)/1994年12月31日生まれ、東京都出身。慶應義塾高から慶應大に進み、2016年ドラフト1位で広島に入団。17年4月7日のヤクルト戦でプロ初登板・初先発を果たし、9回一死までノーヒット・ノーランの好投を見せ、プロ初勝利をマーク。その後は勝ち星に恵まれず、22年に5年ぶりの勝利を挙げる。今季はキャリアハイの54試合に登板し、4勝2敗24セーブ