サイバーファイト代表取締役社長

高木三四郎インタビュー 前編

 9月18日、東京から名古屋に向かう新幹線のぞみ号(16両目)でプロレスの試合が行なわれた。その名も「新幹線プロレス」――。

このニュースは日本のテレビ各局だけでなく、『ABC』や『BBC』など海外のメディアに大きく取り上げられ、世界中を賑わせた。

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 仕掛け人は、サイバーファイト代表取締役社長であり、現役レスラーでもある高木三四郎。JR東海とJTBが展開している「貸切車両パッケージ」のニュースを見た高木は、すぐさま新幹線プロレスの企画を提案。「走行中に座席回転をしてはいけない」「列車を遅らせてはいけない」「車内を汚してはいけない。汗で濡らすのもNG」など、10項目以上の厳しいルールが設けられる中、鈴木みのるとの"因縁"のシングルマッチを見事に実現させた。

 最高時速285kmの闘い――。

1万7700円~2万5000円のチケット(75席)は、発売開始30分で売り切れた。なぜ人はこんなにも新幹線プロレスに熱狂したのか。高木に舞台裏を聞いた。

【「プロレスがどんなものなのかわからない」からのスタート】

――すごいバズり方でしたね。プロレスがここまで話題になったのは最近なかったのでは?

「高木三四郎のレスラーキャリア史上、最大のバズりでした。恐縮なんですけども、例えば武藤(敬司)さんの引退とか、他のレスラーの方々の報道のされ方とは違う広がりを見せたじゃないですか。日本中、世界中に拡散されたということでは、例のないバズり方だったと思います」

――ここまで話題になると、予想はしていた?

「ある程度、話題になるだろうとは思っていましたが、正直ここまでとは......。

インスタグラムやⅩ(旧Twitter)のフォロワーもすごく増えました。もう思い残すことはないな、みたいな感じです」

――高木社長が引退宣言する場面もありましたね。

「途中までは、本当にもういいかなと思ったんですよ。充実したものがあったし、ここで引退したら美しく終われるかなと。でも、まだまだやらなくちゃいけないことがいっぱいあるなと思って、撤回しました」

――実際に新幹線の中でプロレスをやってみて、いかがでしたか?

「そもそも、天井の高さが2mちょっとで、幅が通路の約58cmっていう。58cmってなかなか狭いじゃないですか。

だから本当に成立するのかというところは、正直に言うとクエスチョンでしたね。大阪とか東北とかでDDTの大会がある度に、わざわざ新幹線に乗ってシミュレートしました。今回と同じ16号車とか15号車とか、端っこの車両に乗って。そこで気づいたことをJRさんに『こういうこともできますよ』と追加で提案したりしましたね」

――実現までに、どんな苦労がありましたか?

「JRさん側が『プロレスがどんなものなのかわからない』というところからのスタートだったんです。だから技とか、『こういう動きをします』っていうのを、動画や画像でプレゼンするところから始めました」

――どんな動画や画像だったのでしょう?

「電車に特化したものを送りました。銚子電鉄や千葉都市モノレールでプロレスをやった動画を僕が5分くらいに編集して。

『こういう細いところでもお客さんに危害を加えることなくできるし、器物を破損することもないです』っていうのをプレゼンしましたね。技はひとつひとつ画像で。パンチ、チョップ、ゴッチ式パイルドライバー、ラリアット、ドロップキック......細かく提案しました」

――NGだった技は?

「ブレーンバスターとかはNGでしたね。最初はラリアットもダメだったんですよ。『ラリアットを受けた相手の倒れる軌道がどうなるかわからない。倒れる時にお客さんに寄っかかるんじゃないか』とか、『体重100kgのレスラーがお客さんに寄っかかったらどうなるんだ?』みたいな」

――それを言ったら全部ダメになるような......。

「そうなんですよ。最初は本当に、汗をかいてはダメということで、『シャツを着てくれ』と言われました。でも、僕も鈴木さんもショートタイツのコスチュームでやっている選手なので、そこはご理解をということで、最終的にはOKしていただきました」

【対戦相手は「鈴木みのるさんじゃなければ成立しなかった」】

――企画を提案してから実現まで、どれくらいかかりましたか?

「昨年12月に『新幹線の号車レンタルサービスが始まる』というニュースが報道されたのを見て、12月16日に『新幹線プロレスは可能なものでしょうか?』という提案をしたんですけど、そこからの動きは早かったですね。年内にJTBさんでヒアリングをして、年明けにはJTBさん、JRさんと話がスタートしました。でも正式決定したのは5月なんですよ。JTBさんとは密にやり取りしました」

――どんなやり取りを?

「(携帯のメールを見返して)どういう技をやるかとか、『器物破損したらその場で試合を止める』という記述もありますね。『GOサインは出せない』とか、すごい怖いことがいっぱい書いてありますね......。

器物破損というのが一番の懸念点でした」

――試合が止まったら止まったで、面白い気もします!

「マンガの『キン肉マン』の中で、新幹線の前に子犬がいて、それを助けるためにテリーマンが新幹線を止めるという描写があったんですけど、それを言ってくるファンの人がけっこういましたね。あと『ブレット・トレイン』という新幹線を題材にしたブラット・ピット主演の映画が、2022年に公開されてたんですよ。新幹線の中でめちゃくちゃやってる映画なんですけど、海外の人はみんな『ブレット・トレイン・レスリングだ!』という反応でした。

 あと今、『地下鉄サーフィン』というのがニューヨークとかで問題になってるんですよ。走行中の電車の上に一般人が乗って、SNSに動画をアップするっていう。実際、亡くなられている方もいて大問題になってる。それと比較する人はすごく多かったです。新幹線から飛び出てやってほしい、みたいな。いやいや、ちょっと待てよと。時速285kmあるから、外に出るわけないじゃんって(笑)」

「新幹線プロレス」の次は、渋谷のスクランブル交差点!?  高木三四郎が明かす実現までの裏側「動画や画像でのプレゼンから始めた」
新幹線プロレスについて語った高木氏 photo by 林ユバ
――みなさん、想像力が豊かですね(笑)。

「それだけ想像力を搔き立てたという点では、発表した段階で成功は約束されたようなものでした」

――バズり方として、好意的なものばかりでしたか? アンチの意見は?

「少なかったですけど、ありましたよ。発表の段階で『号車をレンタルして貸し切ってやる』とちゃんと伝えたつもりですし、報道でもそう言っているのに、みんなそこに結びつけないんですよね。『乗ってる人は大迷惑じゃないか』とか、『補償はどうするんだ』みたいな意見はありました」

――新幹線にこだわった理由は?

「路上プロレスって、そこらへんでやる分にはただの場外乱闘の延長にしかならないんです。2017年6月に東京ドームでやった路上プロレスが、自分の中では一番手応えがあって。そこで、路上プロレスって、やる場所がすごく大きなウエイトを占めるということに気づいたんですよ。その場所が有名であればあるほど、インパクトを与える。東京ドームの時の拡散具合がすごかったので、誰もが知っている場所でやる必要性があると思ったんです」

――新幹線なら、誰もが知っていますよね。

「そうなんです。日本人なら誰でも知ってるし、新幹線は世界初の高速鉄道だから世界中の人も知っている。それで、どうしても新幹線でやりたかったんです」

――対戦相手は、鈴木みのるさん。「さすが"プロレス王"だなあ」という、見事な闘いでした。

「鈴木みのるさんじゃなければ成立しなかったと思います。やっぱり技量が出るんですよ。普通の6m四方のリングで表現するのは当たり前ですけど、あんな狭い空間で表現できるものと言ったら、技も制限されるので、パフォーマンス能力もそうだし、技量がないとできない。それと、東京ドームの路上プロレスがものすごく海外で話題になったので、新幹線で鈴木さんとやれば間違いなく海外に伝わるだろうなと。鈴木さんしかいなかったですね」

――鈴木さんはオファーを快く受けてくれましたか?

「ふたつ返事でしたね。『そんなことできんの、ホントに?』と驚いていましたが、『こんな楽しいことねーだろ』と言ってくれました。僕と鈴木さんのシングルマッチではあるんですけど、いろんな人たちが乱入してくるっていう、路上プロレスのひとつのスタイルを作れたのが大きかったと思います。東京ドームの時は天龍源一郎さん、アジャコングさん、里村明衣子さんとかに出てもらって、今回は小橋建太さん、秋山準さん、男色ディーノなどが盛り上げてくれました」

【路上プロレスは渋谷のスクランブル交差点でも成立する】

――新幹線プロレスを通して、実現したかったこととは?

「一番言いたかったのは、『新幹線の中でもプロレスは成立する』ということなんです。新幹線の狭い空間でも、エンターテイメントとしてのプロレスはちゃんと成立するということを証明したかった。プロレスの魅力をもっともっと世間に届けたいという中で、必ずしもリングでやる必要性はないと常々思っていて。当然、リングでやるのはマストなんですけど、リングを使わなくても『こういう見せ方があるんだよ』というのを証明したかったんです」

――「アントニオ猪木vsモハメド・アリ戦」に通ずるというお話も。

「当時、ボクシングの世界チャンピオンだったモハメド・アリとプロレスで闘うのって、ものすごくハードルの高いことだったと思うんですよね。今回の新幹線プロレスもルールのがんじがらめが多くて、ものすごくハードルが高かった。アントニオ猪木さんと自分を比べるのは失礼だと思うんですけど、でもやっぱりプロレスを世間に伝えるという部分と、どんな困難なことでもやり遂げるということにおいて、猪木vsアリ戦と共通するものはあったのかなと思います。世界中に届けられたという点においても」

――次はどんな場所で路上プロレスをやりたいですか?

「シベリア鉄道もアリだなと思いますし、渋谷のスクランブル交差点でも実現できるんじゃないかと思っています。格闘技イベントのBreakingDownの試合は1分間ですけど、渋谷のスクランブル交差点の歩行者の青信号が赤信号になるまでの時間って、40秒なんですよ。40秒で見せられるものって、結構あるんですよね。朝方なんてほとんど人が通っていないわけだから、ちゃんと道路使用許可と撮影許可を取った上でやれば、40秒間の路上プロレスは成立するんじゃないかなと個人的には思っています。渋谷のスクランブル交差点は、アニメの影響で海外の方で溢れていますし」

――やはり海外は意識している?

「意識してますね。プロレスって、言葉が通じなくても伝わるジャンルなので。今回も海外の反応がすごくて、『こんなところでプロレスやるなんて、狂ってるけど、実際に見たらすごく面白い』とか。プロレスを広く海外に伝えたいとあらためて思いました」

――高木社長は天性のアイディアマンだと思うのですが、どうやって次々といろんなアイディアが出てくるんでしょうか?

「日々、見たもの、聞いたもの、読んだもの、すべてが脳内でプロレスに変換されちゃうんですよ。恋愛ドラマを見ていても、『ここでプロレスラーがいきなり現れたらどうなるんだろう?』とか、『ここでプロレスを始めたらどうなるんだろう?』とか思う。いろんなことをプロレスに紐づけて考える職業病ですね」

(後編:「ちょっと品がないな」と思っていた女子プロレス 愛川ゆず季との出会いで変化「この人だったら新しいものを作れるんじゃないか」>>)

【プロフィール】
■高木三四郎(たかぎ・さんしろう)

1970年1月13日、大阪府豊中市生まれ。1997年にDDTプロレスリングの旗揚げに参加。2006年1月、DDTの社長に就任。2017年にサイバーエージェントグループに参画。2020年9月、サイバーファイトの代表取締役社長に就任。「大社長」の愛称で現役レスラーとしても活躍している。175cm、105kg。X(旧Twitter)@t346fire

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