中村憲剛×佐藤寿人meets森保一監督
第18回「日本サッカー向上委員会」新春スペシャル(4)

◆新春スペシャル(1)>>森保一監督、参戦!「こんなにフランクでいいの!?」
◆新春スペシャル(2)>>森保一監督「ちょっと鳥肌が立ちました」
◆新春スペシャル(3)>>「浅野拓磨を起用した判断はどこにあったの?」

 現役時代から仲のよい中村憲剛と佐藤寿人が日本サッカーについて本音を交わし、よりよい未来を模索してきたwebスポルティーバ連載「日本サッカー向上委員会」。2024年の一発目は「新春スペシャル鼎談」として、これ以上ない最高のゲストを迎え入れた。

 日本代表監督・森保一。

 引退後はサッカー解説者として引っ張りだこで、森保ジャパンの戦いぶりを観察してきた中村憲剛。この鼎談のチャンスで、どこまで森保監督の思考を聞き出せるのか。

 森保監督がサンフレッチェ広島を率いて3度のJ1リーグ優勝を果たした時、ストライカーとして貢献したのが佐藤寿人。つき合いの長い関係だけに、どんな直球の質問をぶつけるのか。

 会った瞬間から大盛り上がり、3人で語り尽くしたスペシャル鼎談。

ご堪能ください。

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森保一監督が分析したカタールW杯の敗因「間延びに気づかなかっ...の画像はこちら >>
── ワールドカップではふたつの優勝経験国を撃破した一方で、グループリーグでコスタリカに敗れ、ラウンド16のクロアチア戦でもPK戦の末に敗れてしまいました。その2試合についてはどのように受け止めていますか。

森保 ワールドカップに出たとしても、組み合える相手であったり、引いてくる相手もいます。その意味で、いろんな戦い方ができないといけないなとは思っています。

 アジアであれば、先日のミャンマー戦のように"ベタ引き"の相手でも崩すことができましたけど、最終予選であったり、ワールドカップのレベルになった時に、どのように崩していくかというところは、これからのテーマになってくるかなと思います。

ただ、この1年間の積み上げでいうと、10月に対戦したチュニジアはまさにそういう相手でしたけど、しっかりと崩しきる戦いはできていたと思います。

 クロアチア戦に関して言えば、実はあの試合だけ撃ち合っているんですよ。ドイツとスペイン戦は「いい守備からいい攻撃」というものができて、距離感のいいサッカーができていました。ただ、クロアチア戦の時は もっと自分たちはできるというやり方になってしまったんですね。

 結局、撃ち合いをしたなかで、負けてはいないですけど、もしかしたら勝てた試合を落としてしまった、という感覚はあります。ドイツやスペイン戦のメンタリティで行っていれば、相手に隙を与えず、自分たちが点を取ることができたんじゃないのかなと。

── ドイツやスペイン戦とは違うメンタリティで臨んでしまったと?

森保 クロアチアの監督も言っているんですよ。「日本は我々に真っ向からぶつかってきた」って。実は、私は日本の過去のワールドカップの試合をすべて見て、カタール大会に臨んだんですけど、2014年のワールドカップ(ブラジル大会)の時は、もう日本は世界と互角に戦えるというメンタリティだったんですね。

 もちろんミランだったり、インテルだったり、マンチェスター・ユナイテッドに所属している選手もいて、自分たちのサッカーができるという自信があったと思います。そこは日本のサッカー界のメンタリティのフェーズが変わったところなんですけど、でも、撃ち合いを望めばああいう結果になってしまうという現実を突きつけられた大会でもありました。

 それで4年後には西野(朗)さんが修正して、2014年を経験した選手たちも「いい守備からいい攻撃」という考え方を持つようになって、ベスト16までたどり着くことができました。

カタールの時もそのメンタリティを持って入ったんですけど、あのクロアチア戦ではそれを忘れているんですよ。

 とある選手も後日、「あの試合は間延びしてましたよね」って言っていましたね。強豪国に勝った自信があったとは思いますけど、やっぱり撃ち合いを仕掛けてしまうと、勝つ確率としては下がってしまうんです。そこが今後の課題かなと思っています。

憲剛 3ラインのコンパクトさっていうのは、今の代表の鉄則だと僕は思っていて。クロアチア戦で間延びしていたと感じた選手がいるってことは、逆に言えばふだんはコンパクトさというものを徹底している証(あかし)だと思いました。

── 間延びした状態を修正することはできなかったのでしょうか。

森保 いや、自分も気づいていなかったんですよ。戦いとしては悪くなかったので。ただ、勝つ確率を上げられるかっていうと、そういう戦いではなかった。ドイツやスペインとは別物の戦いだったということです。

憲剛 その理由として、決勝トーナメントだったこともありますか? やっぱり、引き分けがないわけで、延長もあるし、PKもあるってなった時に、マインドが変わってしまったのかなと。

森保 それもあるかもしれないですね。勝ち上がっていく状況のなかで、グループリーグとは違うメンタルが生まれてしまったかもしれない。

寿人 僕、ゴール期待値を調べたんですけど、クロアチア戦は日本が作った期待値よりも、相手の期待値のほうがやっぱり高いんですよね。ドイツ戦も相手のほうが高かったですけど、あれは前半圧倒された部分もあったと思います。

 逆にスペイン戦は、ボールを持たれながらも日本のほうが高かった。だから、全体をコンパクトにして「いい守備からいい攻撃」というものが勝利の確率を上げるために重要だということが理解できますし、クロアチア戦はその部分が足りなかったということなんでしょうね。

森保 いずれ間延びしても勝てる時代が来るかもしれないけれど、距離感をよくしてコンパクトに戦わなければいけないっていうのは、フランスの試合を観ても感じたこと。あれだけ個の能力が高いうえに、本当にコンパクトにして戦っているわけだから、そりゃ、強いわって思いましたよ。

憲剛 理不尽ですよね(笑)。アルゼンチンに負けたけど、決勝もすごかった。7試合目であのテンションを保てるなんて、信じられなかったです。日本はクロアチアに勝っても、あと3つ勝たないと優勝できなかったと考えると、世界一になるのは果てしないなと感じてしまったんですよね。

森保 だからターンオーバーができないと、ワールドカップは勝ち上がれない。

憲剛 日本はローテーションをうまく回していたと思います。参加国のなかで、日本ほどローテーションしているチームはなかったですから。ローテーションしても、みんながしっかりと活躍するじゃないですか。それはコンセプトがしっかりと全員に共有されていたからで。

 あと、たぶんみんな、自分が出ると思っていたんですよ。(田中)碧(デュッセルドルフ)と話した時に「今日は出られなかったけど、次は絶対に出られると思っています。だから準備ができる」というようなことを言っていましたから。

森保 へー。

憲剛 へーって(笑)。いや、だからたぶん26人全員が、臨戦態勢に入っていたんじゃないでしょうか?

 僕が参加した南アフリカ大会の時は、ローテーションを組んでなかったし、直前にシステムが変わったこともあって「自分はスタートでの出場はないかな」という感覚でしたから。でも、カタールワールドカップの時はみんなが戦力で、みんなが活躍するチームなっていた。森保さんがおっしゃるように、つないで勝ち上がっていくというチーム作りをされていたんでしょうね。

森保 当然、7試合行くつもりでしたからね。もちろん連戦をやってもらう選手も出てくるだろうけど、現実を考えたら、入れ替えていかないとインテンシティも保つのは難しいかなと思っていて。だから2戦目のコスタリカ戦は総入れ替えする考えもあったんですけど、最終的にはその選択には至らなかったですね。

憲剛 実は僕、コスタリカ戦について一番長く話したかったんですよ。たぶん一番考えなきゃいけないことが多かった試合だったと思うので。

 ドイツに勝って、その次にスペイン戦が控えている状況のなかで、このコスタリカ戦をどう過ごすかっていうのは、たぶんすごく大きなポイントだったと思います。誰をどこまで引っ張るかとか、ケガ人もいたと思うし、コンディション不良の選手もいましたよね。

 しかも、あの試合の日は昼間の試合で、すごく暑かった。だからどんなスタメンで行くのか、すごく興味があったんですよ。

森保 極論を言うと、全員代えたほうがいいかな、とは思っていました。でも結果的には、アグレッシブに戦えるように前だけ代えて、ディフェンスラインは安定感を求めて代えませんでした。もちろん、1試合目を経験したことで連係は高まってくるということも考えましたけどね。

憲剛 でもコンディションを考えると、っていうことですよね。監督目線で見ると、考えることが山ほどあった試合だろうなって。

寿人 コスタリカ戦はチャンスがなかなか作れなかったですよね。ひとつ思ったのは、堂安(律/フライブルク)がいい切り返しをしてクロスを上げたシーンで、ニアに反応する選手が誰もいなかったじゃないですか。あそこがやっぱり代表の難しさなんだなと。

 堂安があのタイミングで持った時に、たぶんクラブレベルで日常的にやっていれば、ストライカーなら絶対に反応できるんですよ。その積み上げの時間が圧倒的に少ないなかで、どうやって合わせていくかというのも今後、重要な作業になっていきますね。

憲剛 そう考えると、今はだいぶ、イメージが共有されるようになってきていると思います。この間のミャンマー戦だったり、シリア戦のゴールを見ても、(上田)綺世(フェイエノールト)の生かし方みたいなものがだいぶ見えてきた感じがしますから。

寿人 それがワールドカップから1年での積み上げでしょうし、これからさらなる上積みが期待されるところですね。

憲剛 その積み上げに関して言うと、森保さんがこれまで大事にしてきたものと、これから強調していきたいものってなんですか。

森保 継続と積み上げというものはもちろん大事ですけど、一方でこれまでのやり方を壊すというところも考えていかないといけないと思っています。

寿人 壊すんですか?

森保 壊すというか、やっぱり変化していかないといけないなと思っていて。積み上げは絶対的にプラスになるっていうポジティブな要素だなって思っていましたけど、継続だけやってマンネリ化してしまってもいけない。

 だから、ワールドカップが終わってから、名波(浩)コーチと前田(遼一)コーチに新たに加わってもらいました。これまでやれていたことだけじゃなく、より選択肢を持ってやっていけるような体制を作っていくことが絶対に必要だなと思ったので。今までのベースが正しいとは思わず、それすらも疑って、壊していくくらいのものを持っておかないといけないだろうなと。

── それは具体的にどういうものですか。

森保 自分たちがこれまでやってきたことは間違ってはいないと思っていますが、たとえば選手の評価に関していえば、カタールで最後にメンバーに入れなかった選手でも、名波コーチや遼一コーチの目から見れば、また違った評価になるかもしれない。

 もちろん、見切りをつけた選手はひとりもいないんですけど、これまで選んでいない選手ももう一度見直して、チームを作っていかないといけないというのは感じましたね。

 結局、自分たちはカタールでベスト16に終わったじゃないですか。7試合考えていたと言いましたけど、4試合で終わったわけなので、それは失敗という目線を持たないといけない。そういうことを名波コーチは、ズバズバ言ってくるんですよ。本当にいい人材ですよね(笑)。

 もちろん戦術的なところでも、サイドで起点ができた時にどう崩していくかっていうのはこの4年間の積み上げもありますけど、さらに攻撃の幅が広がってきているなとは感じています。

憲剛 今はどこからでも攻められますからね。しかも相手を見ながら対応できる。それは事前の分析もあると思いますけど、試合中に選手が話しながら対応しているのを見ていると、すごく大人だなっていう感じを受けます。

森保 それも、これまでの4年間があったからだと思うんです。今も「いい守備からいい攻撃」というスタンスは崩していないし、ずっと言い続けているんですけど、縦に早い攻撃、相手の嫌がる攻撃というものをサイドでより作っていけるようになったっていうのは、新たな強みだなと思っていますね。

憲剛 サイドにいいウイングがいるから、真ん中の鎌田(大地/ラツィオ)だったり、(久保)建英(レアル・ソシエダ)だったりがさらに輝ける。要はいろんなとこに要注意人物がいる状態なんで、相手からすると中も外も気をつけないといけないので、対応がかなり難しいと思います。強いわけです。

森保 継続と変化は相反するものですけど、その両輪を走らせないと、進化は生まれてこないのかなと思っています。

(つづく)

◆新春スペシャル(5)>>「正直、楽しいと思ったことは一度もない」


【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都小平市出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに加入。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグMVPを受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。

佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。

森保一(もりやす・はじめ)
1968年8月23日生まれ、長崎県長崎市出身。1987年に長崎日大高からマツダに入団。1992年にハンス・オフト率いる日本代表に初招集され、翌年「ドーハの悲劇」を経験。サンフレッチェ広島→京都パープルサンガ→ベガルタ仙台を経て2004年1月に現役引退。引退後はコーチとして広島とアルビレックス新潟で経験を積み、2012年に広島の監督に就任。3度のJ1制覇を成し遂げる。2017年から東京五輪を目指すU-23代表監督となり、2018年からA代表監督にも就任。2022年カタールW杯の成績を評価されて同年12月に続投が決定した。日本代表・通算35試合1得点。ポジション=MF。身長174cm。