短期連載:証言で綴る侍ジャパン世界一達成秘話(8)

 第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で栗山英樹監督率いる侍ジャパンは、2009年以来14年ぶり3度目の優勝を果たした。世界一の軌跡を選手、首脳陣たちの証言とともに振り返ってみたい。

WBC決勝で大谷翔平とぶっつけ本番でバッテリー 中村悠平は思...の画像はこちら >>

大谷翔平のリリーフは知らされていなかった】

 アメリカとのWBC決勝、マスクをかぶっていたのは中村悠平だった。

 先発の今永昇太が2回、2番手の戸郷翔征も2回、髙橋宏斗が1回を投げたところで大谷翔平がブルペンへ向かう。栗山英樹監督は試合の最後を大谷に託そうと考えていた。しかし中村はこの時、まだ一度も大谷の球を受けたことがなかった。試合だけでなくブルペンでも大谷の投げる球を捕ったことがなかったのだ。

「いや、そうなんですよ(笑)。これ、ありきたりかもしれませんが、決勝の最後は自分でも本当によくやったなと思います。

もちろん、長年、キャッチャーをやっていると、受けたことのないピッチャーでも何となく捕れちゃうものなんです。もし初めてだから捕れないなんて言われたら、僕なら『プロなのに、そんなんで大丈夫か?』と言いたくなる。そういうことを栗山監督も村田(善則、バッテリーコーチ)さんもわかってくれていました。

 それまでの翔平を受けていたのが甲斐(拓也)でしたから、9回は甲斐、となってもおかしくなかった。それでも村田さんが『悠平で大丈夫』と言って僕に任せてくれたのは本当にうれしかったし、だからこそ最後、やりきれたんだと思います」

 しかも、マスクをかぶっている中村にも、この日、大谷がクローザーで登板する可能性があることは知らされていなかった。

「いやいや、これまたそうなんですよ(笑)。

あの日はブルペンデーだったんで、何人ものピッチャーを短いイニングでつないでいくことは聞かされていました。でも誰がどの順番でいくのかを知らされたのは試合中です。しかも『次、戸郷行くよ』『次は宏斗』『次は(伊藤)大海』と来て、6回が終わった時に『次は大勢』と言われたんです。えっ、7回に大勢ということは......8回がダルビッシュ(有)さんで、9回が翔平かと思って、急にそわそわし始めちゃいました(笑)」

 決勝の最中、大谷が中村とサインの打合せをしたいと言っていると聞いた栗山監督は村田コーチに「翔平と悠平にサインの打合せをさせておいて」と指示を出した。しかしバッターボックスとブルペンを往復しなければならなかった大谷にも、6回以降は伊藤、大勢、ダルビッシュと1イニングずつ小刻みに代わるピッチャーとコミュニケーションをとらなければならなかった中村にも、その余裕はなかった。大谷と中村は何のやりとりもできないまま、試合が進む。

 日本が3−2と1点をリードして迎えた9回表だったが、じつはその直前の8回裏の日本の攻撃を中村はネクストバッターズサークルで終えていた。

「もう、バッティングどころじゃなかったですね。ネクストへ入る前に甲斐に聞きに行って、ネクスト行って......そうしたら、源田(壮亮)のサードゴロがリクエストになったじゃないですか。その間、僕、防具をつけたままだったんです。仮にセーフになってもそこで外せばいいやと思って......結局、アウトになってチェンジ。もう防具はつけてますからね。

すかさずマウンドへ行って翔平を待ちました」

【投球練習の5球で不安はなくなった】

 大谷がマウンドに上がった。中村はここで初めて大谷とサインの打ち合わせをすることになる。グラブで口元を隠した大谷は、中村にこう言ったのだという。

「翔平の口調がゆっくりで、めちゃくちゃ落ち着いていました。『大丈夫ですよ』って......その相当に落ち着いた口調を聞いて、1点差に追い上げられてちょっと浮足立っていた僕もすごく落ち着きました。あ、これはいけるなと思いましたね。僕が『球種は(甲斐)拓也から聞いている』と伝えたら『基本的には真っすぐとスライダーとフォークの3つです』と言われて、最後に『カウント球は甘めでいいのでどっしり構えておいて下さい、追い込んだらちょっと(コースに)寄る感じでお願いします』って......」

 投球練習が始まった。

あらためて驚かされるが、WBC決勝、1点差の9回表、ここで中村は初めて大谷のボールを受けたのだ。そもそも大谷はチームに合流してからほとんどブルペンで投げていない。投げたとしても試合の出力からはほど遠い強度でしか投げず、その少ない機会は試合で組む甲斐拓也が優先されてきた。つまり決勝で中村がぶっつけ本番、大谷の球を受けることになったのは避けようのない流れだったのである。

 マウンドの大谷と初めて向き合った中村はストレートのほかにもうひとつ、頼るべき変化球を探そうと考えていた。

「軸となる変化球が必ずあるので、その変化球をひとつ、真っすぐにプラスアルファして攻めていこうと思っていました」

 投球練習は5球。

その5球で中村は得られる限りの情報を集めようとした。「この5球で不安はなくなった」という中村は、9回表、先頭バッターのジェフ・マクニールへの初球、ストレートを要求した。しかし大谷が首を振る。そしてスライダーのサインに頷いた。この瞬間、中村はストレートのほかに軸になる変化球はスライダーだと確信した。

「先頭バッターの初球ですから、まずは真っすぐでいこうと思いました。先頭を出してしまうとややこしくなりますから、バットに当てさせてマクニールを切りたかったんです。でも初球、首を振ってスライダーだったということは、スライダーに自信があるんだろうと思いました。事前にメジャーでもスライダーの率のほうが高いというのは聞いていましたからね」

 初球がスライダーのあと、2、3、5球目はストレート、4、6球目にスライダーでフルカウントとなって、7球目のストレートが外れる。マクニールが歩いてノーアウト一塁となり、バッターは1番のムーキー・ベッツ。その初球がストレートでストライク、2球目に中村はスライダーのサインを出した。

「ベッツの2球目、翔平は首を振ったんです。彼は真っすぐを選んだのですが、それが大正解でした。差し込んで、セカンドゴロを打たせてゲッツーをとることができた。あのベッツが差し込まれたんですから、すげぇと思いました(笑)」

【マスク越しに見た最高の景色】

 ツーアウトをとって、バッターボックスにはマイク・トラウトが入った。初球のスライダーが外れて、2球目はストレートを空振りする。

「あの空振り、真っすぐに振り遅れていたんです。そういう時にスライダーでいくと逆に合いそうだなと......これは僕の直感ですが、そう感じました。で、真っすぐのサインを続けたら3球目がボールになって、4球目にまた空振りした。その空振りも振り遅れていました。これは真っすぐで押そうと5球目も続けたら、これが外れてフルカウントになっちゃったんです。

 こうなったらトラウトとしては真っすぐの比重を高めるだろうなと思いました。これだけ真っすぐが来ていたら、また真っすぐかなと思うでしょ。それに初球のスライダーを見送ったときのトラウトは、打つ気が感じられない見送り方でした。そういう時は打ちに来ていないから軌道をしっかり見ていない。場面としてはホームランが最悪ですし、ここはフォアボール覚悟のスライダーでいこうと思ったんです」

 リアルな現実を戦いながら、この時、中村は夢心地でもあった。

「だって、バッターにトラウト、ピッチャーに翔平、その後ろにはマイアミのローンデポ・パークの景色......最後、スライダーがキャッチャーミットに入るまではスローモーションのように感じました。あれ、とてつもないスライダーでしたよ。一瞬、トラウトのエルボーに当たるんじゃないかなと思ったほどです。そこからアウトコースのビッチビチのところに決まったんですから、とてつもない横曲がりのスライダーでした。天才が努力すると、こんなところまで行けちゃうんだなと思いましたね。キャッチャーマスク越しに見る景色は僕だけのものですから、ホント、あれは最高の景色でした」

 クローザーの大谷がWBCの決勝で投げた15球──大谷の球を初めて受けた中村は、ストレートとスライダーだけで押し切って勝利をもぎとったのである。