清武弘嗣インタビュー(セレッソ大阪)後編

◆清武弘嗣・前編>>引退も考えた「緩めてしまったら、自分のサッカー人生は終わり」

 清武弘嗣は昨年11月で34歳となった。18歳でJリーグデビューを果たし、日本代表に呼ばれるようになったのは2011年。

攻撃を組み立てるゲームメイク力、そして多彩に蹴り分ける高精度のパスは、日本サッカー界に新たな風を送り込んだ。

 しかし時は流れ、現代サッカーは高い強度とフィジカルが重視され、個性的なプレーは影を潜めつつある。稀代のサッカーセンスを持つ清武は、令和の時代をどのように生き抜こうとしているのか。インタビュー後編では、同世代の引退についても心境を語ってくれた。

   ※   ※   ※   ※   ※

セレッソ清武弘嗣にとって香川真司とは?「常に追いかけ、なかな...の画像はこちら >>
── インタビュー前編では「意図を持ってボールをつなぎながら、アイデアやテクニックを駆使して相手を攻略していくというサッカーのほうが楽しかった」と語っていました。今はそういうことのできる選手が少なくなってきました。

「少なくなりましたね。もちろん、選手は求められることをやらなければいけないので、テクニカルな選手が減ってくるのはしょうがないこと。でも、自分たちはそういう選手を見て育ってきたので、寂しい気持ちともどかしい気持ちは当然、ありますよ」

── 幸いにもチームメイトに違いを生み出せる選手がいますよね。昨季復帰した香川真司選手の存在は、チームや清武選手自身にどういった影響がありますか。

「ご存知のように、僕は常に真司くんを追いかける立場だったじゃないですか」

── 清武選手が2010年にセレッソに加入した時は、その年にドルトムントに移籍する香川選手の後釜という立ち位置でしたからね。

「入った時からそうで、代表でも追いかける存在で、でも、なかなか追い越せない存在だったんですよ。

そんな選手がセレッソに帰ってきた。クオリティだったり、経験だったり、ゲームを読む力というのは、やっぱり別格ですよね。

 年齢とともにポジションがうしろに下がってきて、前への突破っていうのは、僕もそうだし、真司くんも少なくなっているとは思うんです。だけど、やっぱり技術やクオリティっていうのは錆びつかないなっていうのは、一緒にやってみてあらためて感じています」

── 2010年の時は一緒にプレーする機会も少なかったですよね。

「重なった時期も短いですし、同時にピッチに立ったことはほとんどなかったですね。真司くんが移籍する前の最後の試合でも、終了間際に真司くんと僕が交代したので。

本当に一緒にピッチに立ったのは10分もないくらい。去年も最後の2試合だけですから。時間的には合わせて50分くらいで」

── 代表ではあったと思いますが、セレッソでのふたりの競演は、今年の楽しみのひとつです。

「そうですね。今年はチームが明確にリーグ優勝という目標を掲げているなかで、そこに向けて僕もそうだし、真司くんもすごく責任がある立場だと思う。どういうふうにチームをいい状態に持っていくかっていうのは僕たちの役割なので、ふたりで牽引できればと思っています」

── 昨年のセレッソは途中まで上位争いを演じていましたけど、終盤に得点力不足を露呈し、失速してしまいました。

外から見ていて、その状況をどのように感じていましたか。

「最初のほうは4-4-2でやっていて、途中から4-3-3に変えたんですけど、そんなに負けなかったんですよ。でも、最後のほうはボールを保持することにこだわる一方で、ファイナルゾーンまではなかなか行けない状況になってしまった。速く攻めるのか、保持するのかという部分で、チームとしてうまくバランスが取れていなかったと思います。

 やっぱり、最終的にゴールを取らないといけないなかで、前に行く力が少なかったっていうのは見ていて思ったし、出場した最後の2試合でも感じました。もっとみんなで話して、やり方だったり、役割だったりを、はっきりしたほうがよかったのかなと。

 でも、僕はチームに入れてなかったので、僕が口出しするのもまた違うのかなと。それこそ真司くんが中心となってチームをまとめてくれたと思うので、勝てなかったですけど、チームとしてはそこまで大崩れはしなかったのかなとは思います」

── そこのあたりが今季のテーマとなっていくわけですね。

「そうですね。監督をはじめ、スタッフ陣がしっかりと提示してくれていますし、さっきも言ったように『リーグ優勝』という目標を掲げているので、そこに向けてスタートからやっていかないといけないし、常に勝利を手にできるようなチームになっていかないといけないと思います」

── これまで5年連続でキャプテンを務めてきましたが、優勝のためにはそのリーダーシップがさらに求められるのでは?

「そうですね。ただ、今年はチームのこともそうですけど、まずは自分自身にフォーカスしたいですね。長い間、サッカーができなかった分、周りになかなか目を向けられないというか、本当に自分がどのぐらいできるのかっていうところに力を注いでいきたい。

 自分がこれからどういう形で生きていくのかっていうのも、すごく楽しみなんですよ。1年のブランクってやっぱり大きい。年齢的なこともあるので、焦ることなく、まずはそこにフォーカスしてやっていきたいですね。もちろん、チーム全体のことも見ないといけないのは当然のこと。そことのバランスをうまく折り合いをつけながらやれればいいと思います」

── 今年でセレッソの在籍年数は通算11年目を数えます。これは歴代の所属選手のなかでも、そうとう長いほうですね。

「長いですね。今年は一番長かったマル(丸橋祐介/現・サガン鳥栖)もいなくなったので。そこは寂しさもあるけど、選手が入れ替わるのは毎年のことですからね。

 僕も去年で契約が最終年だったんですけど、こうやって延長してもらえたので感謝しかないです。本当に長くこのクラブにいさせてもらっていますし、だからこそこのクラブで優勝したいという想いは強く持っています。

 ルヴァンカップと天皇杯は獲ったので、あとはそこだけですからね。去年、真司くんが帰ってきて、今年はクラブ設立30周年ということで、周囲からの期待値も相当高まっています。それに応えられるように、しっかりとやっていきたいですね」

── 昨年は清武選手と同年代の選手が中心となったヴィッセル神戸が悲願の初優勝を成し遂げました。彼らにも刺激を受けているのでは?

「本当にすごかったですよね。もう、感動しましたよ。特に(山口)蛍のキャプテンシーがすごかった。彼とは仲がいいので、ふだんからよく話すんですけど、あの個性的な集団を引っ張っていくために、本当にがんばっているなと。

 サコ(大迫勇也)とか(酒井)高徳とかもすごいとは思いますけど『蛍あっての神戸だな』っていうのをすごく感じていた。もちろん、優勝されて悔しかったですけど、うれしい気持ちのほうが大きかったかもしれないですね」

── 次はセレッソの番ですね。

「近年はフロンターレとマリノスが強かったですけど、去年神戸が優勝したことで、また変わってくるんじゃないですかね。そもそもJリーグはそんなに力の差がないので、正直、どこが優勝するかわからないじゃないですか。去年の神戸に関しては本当に勝負強かったし、過去の優勝チームも必ずそういう要素を持っていた。

 本当に強いチームって、メンタル的に崩れないんですよね。それはベテランがうまく支えているから。それがあるから若手も思いきってできるし、成長もできる。セレッソもそういうチームだと思うので、チャンスはあると思っています」

── 同年代の選手の活躍に刺激を受ける一方で、ロンドン五輪代表チームの盟友だった大津祐樹選手が昨シーズン限りで引退しました。

「寂しいですね。祐樹には手術をした時のドクターを紹介してもらったんで、かなりお世話になったんですよ。祐樹も去年、大ケガをして、手術をして、復帰したんですけど、復帰後の彼のプレーを見て『ここまでできるようになったんだ』って驚かされたんですよね。

 そのなかで引退となったので、ショックはありました。引退する時に連絡をくれて、『あとはキヨに託した』って言ってきたので、『俺はもうちょいがんばるわ』って祐樹に返したんですけど、寂しさもあったし、自分も引退してもおかしくない年齢なんだっていうのをあらためて気づかされたんですよ。

 一方で、蛍とかサコとか高徳があれだけ走って、闘って、優勝に導いた事実もあるわけで、その姿っていうのは僕自身も重ね合わせることができるもの。だから、今年1年が本当に勝負だと思っています。いつ引退という時が来てもおかしくないわけですから。まず今年は、ケガをせずに1年間走り続けること。先のことを考えるのは、そこからですかね」

<了>


【profile】
清武弘嗣(きよたけ・ひろし)
1989年11月12日生まれ、大分県大分市出身。大分トリニータのアカデミー出身で2008年にトップチームに昇格。2010年に大分のJ2降格・財政難に伴いセレッソ大阪へ移籍し、その後レギュラーの座を掴む。2012年から欧州に舞台を移し、ニュルンベルク(2012~2014)→ハノーファー(2014~2016)→セビージャ(2016~2017)でプレー。2017年より古巣のC大阪に所属する。日本代表43試合5得点。ポジション=MF。身長172cm、体重66kg。