「PLAYBACK WBC」Memories of Glory

 昨年3月、第5回WBCで栗山英樹監督率いる侍ジャパンは、大谷翔平、ダルビッシュ有、山本由伸らの活躍もあり、1次ラウンド初戦の中国戦から決勝のアメリカ戦まで負けなしの全勝で3大会ぶり3度目の世界一を果たした。日本を熱狂と感動の渦に巻き込んだWBC制覇から1年、選手たちはまもなく始まるシーズンに向けて調整を行なっているが、スポルティーバでは昨年WBC期間中に配信された侍ジャパンの記事を再公開。

あらためて侍ジャパン栄光の軌跡を振り返りたい。 ※記事内容は配信当時のものになります

 大谷翔平にトリセツはない。

 しかし、ひとりだけ、彼の取り扱いについて熟知している野球人がいる。

 それが栗山英樹監督だ。

 今年のWBCで日本を世界一へ導いた指揮官は、世界でもっとも扱いが難しい"ふたり" ──ピッチャーの大谷翔平とDHの大谷翔平を理想的な形で使いきった。それは栗山監督でなければできない芸当だった。

侍ジャパンを世界一へと導いた「言葉なき二刀流采配」 なぜ栗山...の画像はこちら >>

【大谷翔平からの無言のメッセージ】

 そもそもの話は昨年の夏に遡る。

 7月のオールスターゲームに選ばれた大谷は、試合前日(7月18日)に行なわれたメディア・セッションで翌年のWBCについて問われ、前向きな言葉を発した。

「出たい気持ちはもちろんありますね。ケガとかもあってタイミング的に出られない年もありましたけど、出たい気持ちはもちろんありますし、自分に実力があるのであれば、選んでもらえるのであれば、プレーしたいなという気持ちはもちろんあるかなと思います」

 そして、栗山監督がエンゼルスタジアムを訪れたのは8月12日のこと。メジャーでの大谷のプレーをナマで見たのはこの日が初めてだった。試合後、栗山監督はこんなコメントを残している。

「野球の本場、アメリカのファンが、彼の動きを楽しみにしながら見ていたのが印象に残りました。

そういう選手をひとりでも生み出したいと思っていましたから、それはうれしかったですね」

 もちろんこれはプライベートな観戦ではなく、WBCに向けた日本代表監督としてのメジャーリーグ視察だ。ダルビッシュ有や鈴木誠也など、ほかの日本人メジャーリーガーと会った際には食事をともにしたり、クラブハウスである程度の時間を使って、WBCに出場したいかどうかの意思確認や実際に出るとなった時に何をクリアすべきかといった現実的な課題まで、「WBC」というワードを軸に話をしてきたはずだ。

 しかし大谷と会った時は、そうではなかった。栗山監督は昨年末、こんな話をしている。

「まず翔平がメジャーであれだけの成績を残した2021年、帰国して僕と食事した時、僕がジャパンの監督になったことを知っているのに3時間、WBCについての話がまったく出てこないんですよ(笑)。まったくもって翔平らしいというか、ねぇ(苦笑)。

ただ、彼が1月にアメリカへ戻る時、きちんと仁義はきっておかなきゃと思ったので、こちらから連絡したんです。そうしたら彼のほうから『アメリカで待ってますよ』って......これはつまり、今はまだ何も言わないで下さいね、という意味なんだろうなと自分なりに空気を読みました。たしかに面と向かって話をしなければこちらの魂は伝わらないと考えていましたし、翔平との間のなんとも言えない独特の距離感はよくわかっているつもりだったので、よし、時期が来たら会いに行こうと、そんなふうに思っていました」

 それが昨夏の"視察"という名の渡米だったというわけだ。でもね、と苦笑いを浮かべて栗山監督はこう続けた。

「ほかの選手とは食事をしながら2時間くらいは話ができたんですが、翔平とはホントに一瞬(笑)。『お疲れさまでした』みたいな感じでそのままフッと行っちゃおうとしましたから......さすがにその時は引き留めてひと言、こちらの想いを伝えました。

何の反応もなかったし、何も答えなかったけど、それも翔平らしいよね。こちらが正式に何も伝えていないのに物事だけがどんどん進んでしまっている雰囲気のなか、僕は翔平という人はこちらが考えていることをさらに上回って考えられるとも思っていて、だから野球に関してはすべてお見通しだろうし、信用もしているしね」

【イチローと大谷翔平の符合】

 栗山監督の言葉を聞いて、ふと思い出したのが2005年のことだ。

 その年の秋、当時はホークスの監督だった王貞治が、第1回WBCの日本代表の監督を務めることが決まっていた。代表選手を選ぶにあたって、262本というシーズン最多安打のメジャー記録を打ち立てた(2004年)イチローはどうしても出場してもらわなければならない選手だ。そこで王監督はアメリカにいるイチローに関係者を通じてその想いを手紙で伝えようとした。

 しかし事前にそのことを知らされたイチローは、王監督に手紙を書かせるなんてことはさせられないと、シーズンが終わったら必ず連絡する旨を伝えてもらう。王監督も手紙を書くのをやめてイチローからの連絡を待った。

そしてイチローは11月末、王監督の携帯に電話を入れて出場の意志を伝えた。その時、番号通知をするのを忘れたというイチローが、非通知発信の着信に「もしもし、王です」と出たことを受けて「"世界の王"が非通知の電話に名乗って出ますか?」と、いたく感動していたのを思い出す。

 イチローがシーズン中に王監督からの手紙を拒んだのは、出場するかどうかを迷っていたからではなかった。むしろ前向きだったからこそ、その想いを聞くのは今じゃない、今、聞いてしまったらきちんと返事をしないわけにはいかなくなる、シーズン中はプレーに集中しているのでその余裕はない、という気持ちだったはずだ。

 この時のイチローが、昨年の大谷に重なる。

 時間を惜しんでシーズンに集中している大谷は、話を聞かされるまでもなく、栗山監督の言いたいことは全部わかっていたはずだ。

WBCへ出場したいという想いは終始、揺らぐことのなかった大谷だからこそ、栗山監督の話を聞いてしまったら、そのことを考えざるを得なくなる。だから球場で出会った時、挨拶だけして恩師から逃げよう(笑)としたのではなかったか。

 そして、栗山監督はそんな大谷の"塩対応"の真意をわかっていた。

「これが日本の野球の将来のためだから、ということを誰よりもわかっているのは翔平です。これからの日本の野球のためにこのWBCがどういう意味を持つのか、メジャーでプレーする選手が出場することがどんな意味を持っているのか、そこを彼はわかっていたはず。とはいえビックリしたのは、翔平から僕に直で電話がかかってきたことでした」

 自ら電話をかけるという大谷の行動もまた、イチローと同じだ。栗山監督が続ける。

「着信を見たら翔平だったから、うわっ、何かアクシデントがあったのかと思ったら、あまりに怖くてすぐに出られなかったんです。だって、僕にとっていい話だったら、翔平は直に連絡しなくてもいいじゃないですか。(通訳の水原)一平を介して『OKです』と伝えれば済む話で、わざわざ僕に電話をかけてくるとしたら、ケガとか事故とか、何かがあったんじゃないかと胸がザワッとしたわけです。そうしたら、最初、違う話をしてきたから、あれっと思っていたら、最後に『あのー』とか言って、『出ます』と......僕は今まで仕事は明日に残してはいけない、決断は今日下すものだと思ってやってきましたが、決まらないこともある、明日へつないでつないで、最後の最後まであきらめないことも大事なんだと思い知らされました」

 大谷翔平という「天邪鬼(あまのじゃく)」(栗山)の取り扱いを熟知しているからこそ、栗山監督は何も言わずに待って、出場する意志があるはずの大谷にすべてを任せた。すると、やはり大谷は来るべきタイミングできちんと出場を知らせてきた。

【大谷翔平と栗山監督の野球観】

 それは、その後も変わることはなかった。

 メジャーリーガーが実戦に出られない2月末からの壮行試合にかけての合流時期も、合流してからの投打の起用法も、決勝戦での登板も、栗山監督はすべてを大谷に任せた。いや、任せたというのは正確ではないかもしれない。何も指示せず、希望も伝えず、任せたとも言わず、大谷がこうしたいと思っていることを大谷に表現させた。それは彼自身、このチームが勝ちきるために何をすべきかをわかっているはずだと、栗山監督が信じていたからだ。

 その信頼感の根底にあるのは、大谷と栗山監督の間でしばしば重なる野球観だ。

 たとえば、村上宗隆のサヨナラ打で逆転勝利を決めた準決勝のメキシコ戦。先頭の大谷がツーベースヒットを打ってベンチの仲間を鼓舞したあの場面、もしツーベースではなくシングルヒットだったらどうだったか。1点ビハインドの9回、追いつかなければ負けてしまう局面で先頭バッターが一塁へ出たら、このチームでは代走に周東佑京がいく。しかし追いついてさらに試合が延長にもつれこむ可能性もあるとなれば、バッターの大谷を下ろすわけにはいかない。ならば──9回、打席に向かう大谷と目が合った。

「もし一塁へ出たら、翔平が走るんだぞ」

 それを大谷はわかっていた。言葉を交わさなくとも、栗山監督にはそれがわかる。

「相手ピッチャーのクイックなら、翔平の盗塁はかなりの確率で成功する。タイブレークで回ってくるかもしれないバッターの翔平を代えたくないからね」

 決勝の登板についても、投げてほしいということはいっさい伝えず、チームが勝つために自分が投げたほうがいいのではないか、という大谷の判断を待った。結果、大谷は投げる準備をした。優勝した直後、大谷はこうコメントしている。

「今日(決勝戦の登板)の準備の仕方も含めて、こっちに任せてもらったので、信頼してもらえているのがうれしかったです。そういうふうに信頼して、全部を預けてもらえたことによって、自分にできることに集中できました。すごく感謝しています」

 この世に存在しない大谷翔平のトリセツを、たったひとり持っていた指揮官。

 唯一、大谷翔平を取り扱うことができる野球人が日本代表の監督を務めていたからこそ、大谷を投打でフル回転させ、日本を世界一に導くことができたのである。