「PLAYBACK WBC」Memories of Glory

 昨年3月、第5回WBCで栗山英樹監督率いる侍ジャパンは、大谷翔平ダルビッシュ有、山本由伸らの活躍もあり、1次ラウンド初戦の中国戦から決勝のアメリカ戦まで負けなしの全勝で3大会ぶり3度目の世界一を果たした。日本を熱狂と感動の渦に巻き込んだWBC制覇から1年、選手たちはまもなく始まるシーズンに向けて調整を行なっているが、スポルティーバでは昨年WBC期間中に配信された侍ジャパンの記事を再公開。

あらためて侍ジャパン栄光の軌跡を振り返りたい。 ※記事内容は配信当時のものになります

短期連載:証言で綴る侍ジャパン世界一達成秘話(1)

 第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で栗山英樹監督率いる侍ジャパンは、2009年以来14年ぶり3度目の優勝を果たした。世界一の軌跡を選手、首脳陣たちの証言とともに振り返ってみたい。

侍ジャパン最初のターニングポイントはチェコ戦 先制を許す悪送...の画像はこちら >>

【初スタメンでタイムリーエラー】

 2023年3月11日。

 WBCを戦う日本代表は1次ラウンドの3試合目を迎えていた。中国、韓国に勝って、相手はチェコ。しかし、順調に勝ちを重ねていた日本に大きな誤算が生じていた。

 前夜の韓国戦の3回裏、先頭バッターとしてフォアボールを選び、二盗を決めた源田壮亮が右手の小指を痛めてしまったのである。牽制球で二塁に戻った時、相手の遊撃手と交錯して小指を骨折した源田は、チェコ戦に出られない──となれば、ショートを守るのは中野拓夢だ。中野に先発が伝えられたのは,チェコ戦の当日だった。中野が振り返る。

「自分のなかでしっかりと試合前に身体を動かして、気持ちをつくって......という状態はできていました。それはシーズン中もやっていることなのであまり変えないよう意識して、シーズン中と同じリズムで臨もうと思っていました」

 しかし負けることが許されない大舞台、シーズンと同じリズムでプレーするのは容易でない。

チェコ戦の初回、先発の佐々木朗希がツーアウトから3番のマレク・クラップにツーベースを打たれた直後。4番のマルティン・セルヴェンカが162キロのストレートをショートの前へ打ち返した。

 その打球を中野が捕って、足を運びながら一塁へ──しかしタイミングが合わず、ワンバウンドの悪送球となってしまい、クラップがホームイン。チェコに先制の1点が入った。中野がこう振り返る。

「打球が速かった分、捕ってから少し余裕があったんです。

だから自分でも余裕を持ちながら、捕ったあと、大事にいこうと思ってバッターランナーを見ながら、合わせて投げてしまいました。余裕を持ちすぎたせいで、リズムがおかしくなったんでしょうね。下半身を使えずに上半身だけで送球した、いわゆる手投げになってしまいました。普通に合わせることなく自分のリズムで投げておけば、ああいうミスはなかったのかなと思います」

 1次ラウンドの3戦目、負傷した源田に代わって、ショートでの初スタメン。その初回に自らのミスで先制を許してしまった。しかし、中野は源田のこんな言葉に救われる。

「ミスしたあと、ベンチに戻ってすぐに声をかけて下さったんです。『頑張れ』という、そのひと言なんですが、あの言葉は自分のなかでも励みになりましたし、頑張らないといけないなという気持ちになりました」

【まさかの代表選出】

 2回以降、中野のところにはなかなか打球が飛んでこない。4回、中野は8番バッターとしてフォアボールを選んで、ホームに還った。吉田正尚が、山田哲人が、ラーズ・ヌートバーが、近藤健介が、そして大谷翔平が打って、逆転した日本はあっという間に7−1と大量リードを奪う。中野にミス以来の打球が飛んできたのは、5回表だった。中野はいつものリズムでゴロを捕って、軽快に一塁へ投げた。

「あの打球に対しては、もう落ち着いてできたかなと思います。(ミスの)次の1球をさばければ気持ち的にも変わってくるので、早く飛んできて欲しいという気持ちはありましたね......いや、飛んでこないに越したことはないのかな(笑)」

 中野は5回と7回にもフォアボールを選んで、この試合、3度の出塁を果たした。5回には2塁への盗塁も決めて、2度目の生還に結びつけている。

「僕の役割は塁に出ること。あと、自分の持ち味は足ですから、フォアボールをしっかり選んで盗塁もできたという点で、あの日、求められている役割は果たせたのかなと思います。こんな大きな舞台に選ばれたのも初めてでしたし、日の丸を背負って戦うということにまったく縁がなかったので、最初は僕が背負っていいのかなという気持ちしかありませんでした。

まさか、自分が選ばれるなんて思ってもいなかったので......」

 監督の栗山英樹は、日本代表のメンバーに選んだことを選手に伝える時、自分の言葉で直に想いを託すことにこだわっていた。栗山監督は「中野は寝起きな感じで、たぶん電話に出た時には僕だとわかっていなかったんじゃないかな......途中で僕だと気づいたんだと思う」と笑っていた。中野もそれを認めている。

「ハイ、寝てました(笑)。知らない番号だったんで、最初『誰や、こんな時間に電話かけてくるの』と思って、『もしもし』って出たら『栗山です』って......その瞬間、ビックリして一瞬で目が覚めて、ベッドの上に正座しました(笑)。まさか僕のところに(栗山監督から電話が)来るなんて、思ってもいませんでしたからね」

 候補に挙がった選手に携帯の番号を伝えていなかった栗山監督にしてみれば、知らない番号からかかってきたのに、寝ぼけまなこで電話に出た中野の大らかさこそが頼りになると感じていた。

 そして、栗山監督がチームの命綱でもある"守る形"をつくっておくために「絶対に必要だ」と考えていた源田を失った時、中野が見事にバックアップの役割を果たして、チームを救った。ここが、日本が世界一になるための、最初のターニングポイントだった。