「減量で生理が止まった」中村美里 「体重が激減した」伊藤華英...の画像はこちら >>
伊藤華英の For Your Smile ~ 女性アスリートの未来のために
中村美里 スペシャル対談(前編)

 競泳選手としてオリンピック北京大会とロンドン大会に出場した、伊藤華英さん。そして北京大会から3大会連続でオリンピックに出場した柔道家の中村美里さん。

ともに長きにわたり日本を代表するトップアスリートとして活躍してきた。伊藤さんは現在、学生アスリートの成長と自立をサポートする一般社団法人「スポーツを止めるな」において、女子学生アスリートの「スポーツと生理」の課題について情報発信する「1252プロジェクト」のリーダーを務め、中村さんは全日本柔道連盟女子柔道振興委員会委員長を務めるなど、ともにスポーツ界や競技の発展に尽力している。そんなおふたりに、自身の経験を踏まえ、女性アスリートが抱えている生理の課題などについて語っていただいた。

【一生柔道家】

――おふたりはもともとお知り合いということですが、きっかけはどのようなことですか。

伊藤 2023年3月に佐賀県で行なわれた「1252プロジェクト」の講義にゲストアスリートとして中村さんに登壇していただきました。男女合わせて全校生徒700人以上の学校での講義でした。柔道選手も結構いましたね。

中村 そうですね。佐賀商業高校さんで、柔道の強い高校です。その講義をきっかけに伊藤さんとはよくお話するようになりました。

――中村さんは、さまざまな活動をされていますが、引退しているわけではないんですよね。

中村 日本代表になるとか、世界選手権に出るとか、そういう意味で言うと引退はしていますが、柔道家という意味では一生続けていきます。競技の面ではある程度突き詰めてきましたが、そのほかの部分、柔道の歴史や教育的な側面については、まだ全然学べていないので、やりたいことがたくさんありすぎて、柔道をやめるとは言えないですね。

伊藤 その概念が武道にはあるんですよね。競泳にはない考え方です。柔道はスポーツの側面だけではなく、別の魅力があると思っています。

――中村さんは現在どのような活動をされているんですか。

中村 メインは柔道を教える普及活動で、国内外問わず行なっています。そのほかには講演もさせてもらったりしています。自分の経験をさまざまな方に伝えて、何か考えるきっかけになればいいなと思っています。

【減量がきつくて生理に影響】

――講演のなかでは自身の経験を語っていらっしゃると思いますが、現役時代にコンディション面で抱えていた課題があれば教えてください。

中村 減量がきっかけで生理が止まったことです。そもそも生理がきたのが、周りよりも遅くて中学3年生のときだったんですが、自分としては心配事ではありました。自分だけ病気なのかなと思っていて、誰にも言えないという状況でした。

伊藤 それは言いづらいですよね。

中村 そうですね。

その頃は減量もなかったので、生理が遅かったのは減量とは関係ありません。もともと体重が軽かったので、今思えばエネルギーが足りていなかったのかなと思います。生理がきてよかったなと思いました。

――それ以降に生理で悩み始めたのですか。

中村 中学3年生から48kg級で戦っていましたが、高校1年生になって少しずつ減量が始まりました。最初はきつかったわけではなく、計量の前日に食べる量を少し減らすくらいでした。減量というより、体重調整という感じ。ところが、高校2年生の頃から減量がきつくなり始めて、生理が止まりました。シニアの人は減量するのが当たり前だと思っていましたし、高校生でも減量をしている人がいたので、減量に関しては、体重を落とすというくらいしかわかっておらず、何を食べるかとか、どういうスケジュールで落とすかとかの知識はなく、自己流でやっていました。

伊藤 常に体重を気にしている状態だったのでしょうか。

中村 高校2年生になってからは、試合日から逆算して、この日くらいから減量しないとうまく体重を落とせないという状態でした。親がカロリーが少なめな料理を考えて作ってくれていたんですが、私はそれをちょっとずつ食べるという感じでした。

試合が終わったら、またすごく食べていたので、すぐに体重が戻ってしまって、また試合が来たら減量を始めていました。

伊藤 それはきついですね。軽量級の人の減量は結構つらいと聞きますよね。

中村 そうですね。一気に食べて体重が増えてしまうときついなと思ったので、ある程度体重をキープしておこうと思って、普段からすごく少ない量を食べて、ずっと体重を3キロオーバー以内に維持していました。体は成長している最中だったにもかかわらず、日常から本当に少ない量しか食べていなくて、減量の時期になったら、さらに少なくするという感じでした。

伊藤 当時はどのくらい生理が止まっていたんですか。

中村 高校2年生のときに止まってから1年7カ月止まっていたんですが、知識もなかったので、当時は「ラッキー!」くらいにしか思っていませんでした。体脂肪も10%を切っているから生理が止まっているんだなと。自分なりに理由がわかっていたので、まあいいかと思って過ごしていましたね。

 症状としてあったのが、原因のはっきりしない急な腹痛です。それを顧問の先生が心配して、「もう階級を上げてもいいんじゃないか」と言ってくれました。

伊藤 先生に相談できる関係性だったのはよかったですね。中村さんのように、生理痛がある場合、部活の顧問の先生に言いづらければ、養護教諭に相談したり、担任の先生が女性であれば、その先生に相談したり、親御さんに相談したりしてみてほしいですね。

「減量で生理が止まった」中村美里 「体重が激減した」伊藤華英 ふたりが悩んだ高校時代の体調不良を明かす
「1252プロジェクト」のリーダーとして「スポーツと生理」にまつわる課題について情報発信する伊藤さん photo by Noto Sunao(a presto)
――先ほど指導者の方が階級を上げることを提案してくれたとおっしゃいましたが、ご自分ではそれは考えていなかったんですか。

中村 高校1年生のときにシニアの大会で優勝したり、結果も出ていましたので、減量してでもその階級でいこうと思っていました。階級に関しては、どのタイミングで上げるかは難しい判断になります。階級を上げるイコール、次のオリンピックはほぼあきらめる形になってしまうのでどうしようと。高校の先生はずっと「上げてもいいよ」と言ってくれていました。ただ、自分としては48kg級で負けた相手もいたので、負けたまま階級を上げるのは嫌だなと。勝ってから上げたいなという思いもありました。

【階級を上げて生理が戻る】

――伊藤さんは中学・高校時代にコンディション不良はあったのでしょうか。

伊藤 私は練習量が多くて、食べてもエネルギーが足りない状態になってしまって、体重が激減していました。練習で3、4kgほど体重が減ってしまうんですが、練習がきつすぎて、食べたいという気持ちが湧かなかったです。

高校2年生で初めて日本代表に入ったんですが、体重の激減が影響して高校3年生では代表に入れませんでした。高校生のころは心身ともに成長している段階で、骨や筋肉は20歳頃にピークを迎えます。そのような成長段階ですので、身体的に不安定なときも多いですね。

中村 私は身長が伸びる時期がなかったです。高校生のときにいっぱい食べていたら、もしかしたらもっと身長が伸びたかもしれないですね。

――伊藤さんは食べても体重が減ってしまう、中村さんは食べたくても減量のために食べられない。コンディション面では大変な高校時代を過ごされたんですね。中村さんはそんな状況でも48kg級で続けていましたが、当時はオリンピックも視野に入っていたんでしょうか。

中村 その当時は谷亮子さんが同じ階級にいらして、次の北京オリンピックでは、第1候補が谷さんで、2番手くらいに私がつけていた時期でした。

伊藤 オリンピック出場が見えていたんですね。

中村 そうです。だから階級をひとつ上げるという意識はなかったです。

ただ、谷さんが出産から復帰されて世界選手権(2007年)で優勝したんですよね。当時の選考基準で言うと、もう自分がどんなにがんばっても(48㎏級では)北京オリンピックに出られないなと思いました。先生からも「だったら次のロンドン大会に向けて階級を上げよう」と言われて、確かにそうだなと。そして、高校3年生の秋の全日本(講道館杯全日本柔道体重別選手権大会)から52kgに上げたら優勝して、さらに(嘉納治五郎杯東京国際柔道大会でも)連続優勝したことで北京につながりました。

伊藤 結果的によかったんですね。

中村 はい。運もよかったんだと思います。北京には48kg級に谷さんが出て、私は52kg級の最終選考でも勝てたので本大会に行けました。

――食事の量は階級を上げる前と比べてどう変わりましたか。

中村 そのときには「やったー!」と思って好きなだけ食べていました。体重のことは気にせず柔道に集中できたから、久しぶりに楽しく試合ができたという感じでした。


「減量で生理が止まった」中村美里 「体重が激減した」伊藤華英 ふたりが悩んだ高校時代の体調不良を明かす
オリンピック3大会に出場した中村美里さん photo by AFLO

――階級を上げてからは生理も戻ったそうですが、ご自分では何が理由だったと思いますか。

中村 シンプルに階級を上げたことです。それからJISS(国立スポーツ科学センター)の婦人科で相談して、低用量ピルを処方していただき、それを飲み始めたことも理由のひとつだと思います。

伊藤 確かにピルを服用することによって生理は来ますよね。低用量ピル(※)は生理痛や過多月経、月経前症候群などを治療する薬で、最近では月経周期を調整するために使用するアスリートが増えていますね。
※服用に関しては専門家の先生との相談が必要です。

中村 私はピルをしばらく飲み続けて、大丈夫かなと思った頃に専門家の先生に相談して服用をやめましたが、それからもちゃんと生理が来ていました。でも、だんだんと52kg級の体つきになってきて、5kgくらいの減量をしなくてはならなくなりました。

伊藤 5kg落とすのもきついですよね。

中村 それでも48kg級のときの減量よりも楽でした。生理に関しては、減量した翌月に遅れて来ることがありました。

伊藤 自分なりのルールがわかってきたんですね。

中村 そうです。減量したら遅れるとか、ずれこむことはありましたが、止まることはなかったです。ナショナルチームに栄養士さんもいましたので、どんな食べ物を、どんなスケジュールで食べていけば、どんなふうに体重が落ちていくかを教えてもらったことは大きかったですね。

伊藤 それはいいですね。そうして生理の課題は解消されていったんですね。

インタビュー後編はこちら>>

【Profile】
伊藤華英(いとう・はなえ)
1985年1月18日生まれ、埼玉県出身。元競泳選手。2000年、15歳で日本選手権に出場。2006年に200m背泳ぎで日本新、2008年に100m背泳ぎでも日本新を樹立した。同年の北京五輪に出場し、100m背泳ぎで8位入賞。続くロンドン五輪では自由形の選手として出場し、400mと800mのリレーでともに入賞した。2012年10月に現役を引退。その後、早稲田大学スポーツ科学学術院スポーツ科学研究科に通い、順天堂大学大学院スポーツ健康科学部博士号を取得した。

中村美里(なかむら・みさと)
1989年4月28日生まれ、東京都出身。柔道家。小学3年生時代から柔道を始め、高校1年時に48kg級でシニアの国際大会で優勝する。高校3年時に52kg級に上げてシニア大会で日本一に。2008年の北京五輪に出場し、銅メダルを獲得する。2012年のロンドン五輪にも出場を果たし、2016年のリオ五輪では再び銅メダルを獲得。また、世界選手権では3度金メダルに輝く。現在は国内外で柔道の指導・普及に携わり、全日本柔道連盟女子柔道振興委員会委員長も務める。

編集部おすすめ