勇退・西村雄一が語る「23年間のレフェリー人生」(前編)
あの人はまだ、笛を吹いている。
国内外でビッグマッチを担当した西村雄一は、昨年12月にトップリーグを担当する審判員から退くことを明らかにした。
「年末年始の過ごし方は、これまでとあまり変わりませんでした。公式戦は未来あるレフェリーが活躍していく場所なので、僕はそれ以外のところで声をかけてもらった試合に行っています。JFAでは審判マネジャーのひとりとして、地域のFA(サッカー協会)とのつながりを強固にしながら、次世代のレフェリーの発掘と育成などを担当していきます」
2002年から24年までの23年間で、主審としてJ1、J2、J3、リーグカップ、天皇杯で688試合を担当した。Jリーグ最優秀主審賞には2009年から2017年まで9年連続で選出され、最多11度の受賞を誇る。2004年からは国際主審及びプロフェッショナルレフェリー(PR)として、国際サッカー連盟(FIFA)やアジアサッカー連盟(AFC)が主催する大会の審判団に名を連ねていった。ロンドン五輪などを担当した2012年には、AFCレフェリー・オブ・ザ・イヤーに輝く。
「すごいプレーを目の前で見ることが、レフェリーとしての何よりの喜びでした。観客席ではなく選手たちと同じピッチで、自分の目の前で、ものすごいプレーに出会う。それが本当に楽しかった」
もちろん、楽しさを感じるだけではない。VARなどのテクノロジーが導入される以前は、主審の判定が議論を呼ぶことがあった。
西村自身、ミスをおかしてしまったことがある。
2005年の中国対韓国戦と2008年のJ2リーグで、レッドカードの対象選手を間違えてしまったのだ。
「国際試合でのそのエラーは、副審の助言を得てレッドカードを出しました。それが間違いだったのですが、そもそも僕自身がファウルを認識できなかったのが問題でした。副審のミスではなく、僕のエラーだったのです」
【先入観にとらわれない考え方が大切】
選手にはそれぞれのプレースタイルがある。警告や退場の対象となるような激しいプレーをいとわない選手がいて、実際にカードを多く受ける選手がいる。スコアや時間帯、試合の重要度、ホームゲームかアウェーゲームなのかなどによっても、選手たちの試合中の振る舞いは変わってくるものだ。
「若い頃は『この選手には気をつけなきゃ』という観点で見ることもありました。けれど、『こういう選手だから、こういうプレーをするかも』という先入観にとらわれない考え方が大切だと気づきました。
あの人がやったから出すとかではなく、誰がやってもカードに値するプレーにきちんとカードを出す。そうすることによって納得度の高い判定になっていくということを、経験を積みながら理解していきました」
2010年ワールドカップ南アフリカ大会の当時、西村は先入観に引っ張られないことの重要性に気づいていた。
開幕戦当日のウルグアイ対フランス戦を担当し、6枚のイエローカードと1枚のレッドカードを提示する。
ブラジルとオランダがベスト4進出をかけた一戦では、ブラジルのMFフェリペ・メロがオランダのFWアリエン・ロッベンの太ももを踏みつけた。西村はすぐさま現場に駆け寄り、フェリペ・メロにレッドカードを提示した。
「あれを見逃していたら、今ここで取材を受けることはなかったでしょうね(笑)。ピッチ上ではさまざまな事情がアドリブで起こるので、それに瞬時に対応できるのかが本当に重要になります」
南アフリカ大会後も国際舞台に立ち続け、2014年には再びワールドカップにアポイントされる。開催国ブラジル対クロアチアの開幕カードを担当した。
この試合では、ブラジルFWフレッジとクロアチアDFデヤン・ロブレンが交錯したプレーで、ブラジルにPKを与えた。この時点でスコアは1-1であり、ホスト国がPKを得たことなどから、西村の判定はさまざまな議論を巻き起こすこととなった。
【ジャッジするのは仕事の半分】
「あの場面は、ロブレン選手のホールディング、ノーファウル、フレッジ選手のシミュレーション......の三択です。ロブレン選手の左手がフレッジ選手の左肩にかかっているのは、映像に残っています。シミュレーションはまったく接触がないのにあったように装うものですから、ここでその判定はエラーになります。
さらに言うと、プッシングやキッキングなどはどれくらいの程度で行なわれたのかという判断が必要ですが、ホールディングはその行為があって、どのように影響したかの判断です。
レフェリーの仕事は「マネジメント」と西村は言う。
「ファウルなのかどうかをジャッジするのは、仕事の半分ほどでしょう。そのジャッジを受けて当該選手や両チームの選手が納得し、次のプレーに向かえるようにマネジメントすることが大切です」
目の前で起こる一期一会のプレーに感動しつつ、西村は一つひとつのプレーに眼を凝らす。そのなかで、選手たちとコミュニケーションを図っていった。
「厳しいプレーをしてしまった人に『なぜ、そういうことするんですか』と問いただしても、『仕方がないでしょう』となるだけです。そこで、『ここは止めるしかなかったですよね』と言うと、『そうなんです、すみませんでした』となる。選手は自分のプレーを理解してもらったことで、自分の行動を変えることができます』
監督とも、コミュニケーションを取る。無線機を使って第4の審判員と協力しながら、スムーズな試合進行を実現していく。
「監督はピッチの外から、主審は中から見ているので、見方が真逆になることがあります。その違いで折り合いがつかない場面では、『内側からだとこんなふうに見えました』と、監督に投げかけてみたりします。もしくは4th(第4の審判員)に中からどう見えたのかを無線機で伝え、監督に届けてもらっています」
【監督だって譲れない時もある】
ファウルやその繰り返しによる判定で、監督が声を荒げる場面は少なくない。激高する監督もいる。
「監督がいつも紳士でなければならない、と僕は思っていません。チームを鼓舞するための振る舞いもあるでしょうし、外から見ていてどうしても納得いかないとか、譲れないという時もあるでしょう。
その思いをしっかり受け止めるようにしています。それをせずに『黙って!』としたら、監督は気になったシーンではなく『主審のその態度が気にいらない』ということになりかねないので」
サッカーでは、同じプレーは二度と起こらない。だからこそ、過去の情報に頼らず、先入観に走ることなく、一つひとつ判定を創っていく。
「勝敗に関係なく、選手に『今日はやりきった』と、観客の方々には『また観に行きたい』と、試合後に思ってもらえるか。皆さんが結果を受け入れて次の試合へと向かっていくなかで、レフェリーの存在が記憶に残っていなければ、とりあえずの役割は果たすことができたのかな、と思いますね」
選手、監督との絶え間ないやり取りは、レフェリーとしての西村を成長させた。印象深い選手を聞くと、ほとんど間を置かずに、あの元日本代表DFを挙げた。
(つづく)
◆西村雄一・後編>>「闘莉王、大久保嘉人、ネイマールとの思い出」
【profile】
西村雄一(にしむら・ゆういち)
1972年4月17日生まれ、東京都出身。サラリーマン生活を送りながら1999年に1級審判員となり、2004年から2014年まで国際審判員を務める。ワールドカップは2010年南アフリカ大会と2014年ブラジル大会で笛を吹く。J1、J2、J3、リーグカップ、天皇杯で計688試合を主審として担当し、Jリーグ最優秀主審賞は11度受賞。