ダイヤの原石の記憶~プロ野球選手のアマチュア時代
第14回 筒香嘉智(DeNA)

「当たればマッハ」

 松坂大輔(元西武ほか)らを擁し、甲子園で春夏連覇を達成してからちょうど10年後の2008年夏。横浜の名参謀・小倉清一郎部長(当時)は、2年生ながら主軸を打つ打者を、そう評した。

だが、つづきがある。

「打球の速さは、横浜で歴代ナンバーワン。飛距離はヤンキースの松井秀喜級。でも......なかなか当たんないんだよ(笑)」

精彩を欠く筒香嘉智に名将が言い放った「もう野球をやめたほうが...の画像はこちら >>

【入部早々、横浜高の4番に抜擢】

 筒香嘉智。2016年にはホームランと打点の二冠を獲得するなど長くDeNAを牽引し、17年のWBCにも出場した強打者だ。20年のメジャー挑戦では、実働3年で18本塁打を記録して24年、古巣・DeNAに復帰。そのシーズン中は不本意な成績だったが、日本シリーズでは、26年ぶりの日本一に貢献した。

 今季も出場試合こそ少ないながら夏場から調子を上げ、最終戦で日米通算250本塁打を達成するなど、8月以降の33試合で14本塁打と本領を発揮。巨人とのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージの第1戦でも、2本塁打を含む4打数4安打3打点と大爆発しチームの勝利に貢献した。

 大阪・堺ビッグボーイズ時代に30本のホームランを打ち、ボーイズ関西選抜の4番として世界大会に出場した経験もある。進学にあたっては、強豪から引く手あまた。だが筒香は、地元・和歌山を離れて横浜に進んだ。

「小学校2年の時(98年)、甲子園で松坂さんたちの春夏連覇を見たんです。

1回戦(対柳ヶ浦)、PL戦、明徳義塾戦......ただ、延長17回のPL戦は9回で帰っちゃったんですが(笑)、家に帰ったらまだやっていた。『すごいな。いつかこのチームで野球をやりたい』と思った」

 ちなみに小学生時代は、水泳でも選手育成コースに選ばれ、橋本市(和歌山)の決勝まで勝ち抜いている。だが本人によると、「水泳で全身を鍛えるのは野球のため」と割りきっていたという。

 その横浜では、入部していきなり4番に抜てきされた。その2007年夏の甲子園は逃したが、新チームでは3番として神奈川、そして関東大会に優勝。公式戦通算22打点は、翌年の選抜に出場する全選手中トップという勝負強さを見せている。

 だが、選抜では北大津(滋賀)に初戦負け。筒香自身も、二塁打こそ1本記録しているが、ほかの打席は併殺打、三振などパッとしなかった。

 選抜以後も苦しんだ。5月の招待試合では、選抜で優勝した沖縄尚学の東浜巨(現・ソフトバンク)を「とにかく、スイングスピードがすごい」とうならせてはいるが、強打者ゆえに警戒され、変化球で崩され、変化球を意識するあまりストレートに差し込まれる。

 悪いことに、その頃から腰を痛め、スランプはますます深刻化。

渡辺元智監督(当時)からは「もう野球をやめたほうがいい」と半ばサジを投げられた。「当たればマッハ」と、小倉部長が言い出したのもこの頃だ。

【2年夏の甲子園で覚醒】

 そして夏、チームは南神奈川を制して甲子園切符を手にしたが、7番に降格した筒香は18打数3安打で、打率が2割にも満たない散々なデキだった。

「苦しみました。悩んで、いろんなことを試した」という筒香の覚醒は甲子園初戦、浦和学院(埼玉)との一戦だ。甲子園入りしてから、それまで上げていた右足をすり足にすると、「目線のぶれがなくなった」という2回の初打席でライトに先制2ランを叩き込むなど計4打点。

 ホームランはなんと3カ月ぶりのことで、打順が7番から4番に昇格した広陵(広島)戦でも2安打2打点、仙台育英(宮城)との3回戦も2安打。そして聖光学院(福島)との準々決勝では、逆風を切り裂く2ラン、弾丸ライナーの満塁弾という2打席連続の離れ業だ。

 当時のスコアブックに、筒香のコメントが記してある。

「満塁ホームランは、塁上の先輩から『本塁打はいらないぞ』と聞こえて、センター返しを意識しました」

 それがライトへの「マッハ弾」なのだから、天性のスラッガーだ。15対1と大勝したこの試合で筒香は、1試合個人最多タイの8打点を記録。準決勝では浅村栄斗(現・楽天)らのいた大阪桐蔭に敗れたが、19打数10安打と毎試合ヒットを放ち、個人14打点はこの大会で優勝する大阪桐蔭・萩原圭悟に抜かれるまで、史上最多タイだった。さらに、2年生として1大会3本塁打は、清原和博以来。

南神奈川ではピークだった腰の痛みを、痛み止めでなだめながらの記録である。

菊池雄星から特大アーチ】

 筒香とじっくり話す機会があったのは翌2009年、夏の神奈川大会を前にした時期だ。08年秋の神奈川で敗れたチームは、09年の選抜出場を逃し、筒香にとって最後の夏。まずは、渡辺監督に話を聞く。

「僕もびっくり。成長はすごい」

 そう指揮官が脱帽したのは、5月に行なわれた花巻東(岩手)との練習試合だ。選抜準優勝左腕・菊池雄星(現・エンゼルス)の外のカーブを、ライトポール際に運ぶ特大ソロ。この年のドラフト1位候補同士の対決で、あらためて世代屈指のスラッガーぶりをアピールしたのだ。

「春の関東大会あたりまでは、変化球をとらえきれず、真っすぐを打ちたいあまり、待ちきれずにボールにも手を出す。ところが、今はきっちりと見極められるし、飛距離だけではなくうまさが加わってきましたね」

 しかも筒香は3日前に発熱し、この日は出場しない予定だった。それが「相手もそうだけど、僕も甲子園で結果を出しています。負けるわけにはいかない」と、病院で4時間の点滴を打ち、強行出場。

 5回終了時にはふらふらで交代、という半病人状態での一発というからおそろしい。

打撃練習を見る。ゆったりとした構えから鋭くはじき返された打球は、グン、グンと2段階に伸びてライトのネットを直撃する。

 もともとこのネット、筒香の入学後、上に5メートルほど継ぎ足されている。横浜の長浜グラウンドはライトの後方にマンションがあり、ヘタをすると筒香の打球が直撃しかねないためだ。それまでは、140メートルほど飛ばないとネットを越えなかったが、筒香の飛距離はそれを越えかねない。つまり、継ぎ足された分は"筒香ネット"と言うわけだ。実際、筒香ネットのはるか上を越す150メートル級の当たりも見た。さいわい、マンションから外れた右翼ポール際で直撃は免れたが、まさにマッハの打球だった。

【高校通算69本塁打をマーク】

 3年時の筒香は、キャプテンを務めている。「この年代には、言葉で統率できるそういうタイプがいない」という渡辺監督が、言葉ではなく、プレーで、バッティングで引っ張ってほしいという思いで指名した。

 その思惑ははまった。「自分がしっかりしないと、人にあれこれ言えませんから」と語る主将・筒香は、練習中から意欲的に声を出し、自らのプレーでチームをまとめている。

たとえば、体調不良でも泣き言をいわず、出場を直訴した花巻東戦。あるいは春の県大会、桐蔭学園との3回戦。3点を追った9回、同点打を放ったのも、延長10回の決勝三塁打も筒香だった。

「春は神奈川で優勝しましたが、慶應(義塾)などライバルはたくさんいる。気を抜かず一戦一戦勝ち抜いていきたい。そして、選抜Vの清峰(長崎)の今村(猛/元広島)と対戦してみたいですね」

 結局、最後の夏は甲子園には出場できなかったが、筒香は高校通算69本塁打を記録。その年に行われたAAAアジア選手権の日本代表に選ばれた。ちなみに2008年夏、筒香が残した1試合8打点という個人最多記録は、長い甲子園の歴史でたったふたり。2年生で記録したのは、筒香のみである。

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