第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が行なわれる直前、2005年のシーズン、当時、中日ドラゴンズで5番を打っていた福留孝介は、打率3割2分8厘、ホームラン28本、打点103、OPSは千を超える1.020というハイレベルな数字を叩き出した。ふつう、これだけの結果を残せば、それなりの満足感に浸ってしまうものだ。
あくまでも貪欲に、バッティングと向き合おうとした。だから春のキャンプ中、あえてバッティングフォームを変えた。グリップを最初から後ろに引いておいて構え、そこから振り下ろすイメージ。テイクバックの動作をシンプルにすることで、確実性をアップさせることが狙いだった。
福留孝介。
第1回WBCの準決勝、韓国との3度目の決戦で放った値千金の代打2ランホームランは、今も多くの野球好きの脳裏に鮮烈な記憶として刻まれている。記者席でバンザイや絶叫は禁物だと誰もがわかっていて、それでもほとんどの日本人記者は立ち上がって拳を握りしめた。それほどまでに緊迫したなかで飛び出した、日本を救う起死回生の一発──。
【打率1割台でスタメン落ち】
今から20年前、2006年3月18日。
サンディエゴは朝から青空が広がり、陽射しは暖かかった。ただ、頬を刺す風が冷たく、ナイトゲームではかなり寒くなることが予想されていた。
イチローの定位置だった1番に青木宣親。そして3番にイチロー。王監督はずっとイチローの1番、松中信彦の4番は動かさないと言い続けてきた。それは世界でナンバーワンのトップバッターであるイチローと、日本でナンバーワンの4番バッターである松中のプライドを尊重していたからだった。しかし大一番を前に、王監督は決断した。
青木の代わりにスタメンを外れたのは福留だった。
2次リーグまでの福留は6試合で19打数2安打、打率.105。その2安打も中国戦でのホームランとメキシコ戦の内野安打のみ。"らしさ"がまったく見られなかったここまでの福留のバッティングに、指揮官は動かざるを得なかったのだ。王監督はこう言っていた。
「プレッシャーもあるだろうし、3月の時期で本来の調子じゃない部分もあるんでね。
福留は王監督から直々にスタメン落ちを伝えられた。
「最初からずっといい感じではなかったので、それまでよく使ってくれたなと思いました。僕が監督だったら、こんな状態の選手、絶対に外すなって思っていましたからね(苦笑)」
ただ、その際に王監督は福留にこう言っている。
「大事なところでいくからな」
そして、この言葉が現実になる──。
つづく>>










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