この記事をまとめると
BMW 507は1956年から1959年までの3年間で252台が生産された



メルセデス・ベンツ300SLとイギリスの軽量スポーツカーの間を狙ったモデルだったが販売は不振



■3.2リッターV8OHVエンジンをチューニングしたコストのかかったモデルで非常に高価だった



後にZ8のモチーフとなったコンバーチブル

BMWが1956年から1959年までという、わずかな期間に生産していたグランド・ツーリング・コンバーチブル、それがここで紹介する「507」だ。



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この姿カタチ、どこかで見覚えがあると思っても、それは間違いではない。507は後に、ヘンリック・フィスカーの手によって描かれた流麗なコンバーチブル、Z8にその基本的なインスピレーションを与えたモデルとしても知られている。



名作Z8のご先祖様はBMWをピンチに追い込んだ問題作! 超美しいクルマなのにたった252台しか作られなかった「507」
BMW 507とZ8のサイドビュー



だが当時の507は、それほどまでの成功作だったわけではなかった。総生産台数はわずかに252台。それによってBMWは、ビジネス的には大きな損失を被ることになったのだから。



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BMW 507のりやスタイリング



そもそも第二次世界大戦後のBMWは、戦前と同様に高価格な高級車を生産することをビジネスのメインとしていた。この507が販売面で成功を収めることができなかった直接の理由もその価格にあり、BMWは同時期に発表された503などの販売不振などとともに、深刻な経営不振へと陥ってしまったのである。



BMWの高級でスポーティなイメージでも高すぎて通用しなかった

そもそもこの507の企画は、アメリカの自動車輸入業者であるマックス・ホフマンによって提案されたものだった。その狙いは高価なメルセデス・ベンツ300SLと、イギリスから輸入される安価なオープンスポーツ群とのギャップを埋めることで、BMWはそのフレームに503の短縮版を使用するなど、既存のコンポーネントを使用することで、可能なかぎり価格の上昇を避ける工夫を施した。



ちなみにホイールベースは503が2835mmであったのに対して、507は2480mm。車重は1330kgと当時発表されていた。



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BMW 507のサイドビュー



搭載されたエンジンは、アルミニウム合金製のブロックを採用したV型8気筒OHVで排気量は3.2リッター。これも502用がベースとされたもので、ゼニス製のキャブレターやハイリフトカム、ポリッシュ仕上げの燃焼室、そして7.8まで高められた圧縮比など、そのチューニングは結果的には非常にコストのかさむものとなってしまった。



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BMW 507のエンジン



ミッションは4速MT。

最高出力は150馬力を発揮した。ファイナルレシオは3.70がスタンダードだったが、オプションで3.42と3.90の選択ができた。



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BMW 507のインテリア



参考までに3.70のファイナルでの0-100km/h加速は11.1秒、最高速は196.3km/hというのが、当時発表されたパフォーマンス・データだ。



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BMW 507の走行シーン



オープン時の美しさが際立つ507。BMWはそれによって高級でスポーティーなイメージを回復するつもりだったが、その計画は完全に挫折。後に誕生する、より小型で安価な1500や700の成功によって財政は回復したのだ。

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