この記事をまとめると
■アルファロメオにはかつて軍用車が存在した



■「1900 マッタ」と呼ばれるモデルの軍需品で、正式名称は「AR51」となる



■ジープのウィリスなどを分解して研究したうえで登場したモデルで、レースでも活躍した



異質すぎるアルファロメオ! 「1900マッタ」とは

本気を出すとまあまあ強い、第二次大戦中のイタリア戦車軍団は褒められているのかナメられているのか判断しがたい評価だったかと。工業力が長けていなかったわけでもないのですが、軍需製品となるとどういうわけかイタリアはパッとしない。それでも、他国製品を参考にしたアレンジは本領発揮とばかりに、本家を凌ぐような仕上がりに(笑)。



たとえば、アルファロメオの軍用車両1900マッタは、ジープのまんまというか、ランドローバーそのまんまといってもいいくらい。ですが、コピーのように見えてじつはアルファロメオの本気が充満している珠玉の1台にほかならないのです。



これがアルファロメオだと!? クロカン四駆「マッタ1600」...の画像はこちら >>



1951年にデビューした1900マッタは正式名称「AR51」と呼ばれる軍需品としてスタート。このARはアルファロメオの略かと思いきやアウトヴェットゥーラダリコグニツィオーネ(Autovettura da Ricognizione)を略したもので、偵察車両を表しています。



当時、アルファロメオは戦後の弱体化からイタリア政府産業復興公社(I.R.I.)の傘下、すなわち国営企業に成り下がっていました。それゆえか、1949年にNATO(北大西洋条約機構)軍が設立されたためか、イタリア国防省がアルファロメオに偵察車両の入札を依頼。NATOへ加わるのに、「ちょっとしたクルマくらいなきゃ困る」、てな状況だったのでしょう。



これがアルファロメオだと!? クロカン四駆「マッタ1600」が超絶イカしてる!
Alfa-Romeo-1900-M-Matta



イタリア陸軍の採用担当士官だったガルバーニ大佐からのRFP(依頼仕様)は、「あらゆる障害を克服して走れること」とのことでしたが、本音は第二次大戦中のウィリス・ジープやランドローバーといった車両の性能に「追いつけ、追い越せ」だったに違いありません。



アルファロメオ側はジュゼッペ・ブッソ技師が設計を担い、まずはジープを解体しての研究から始まったとされています。次いで、ランドローバーのシャシー、とくに前輪まわりの研究が行われ、最終的には独立したフロントサスペンション、閉断面の鋼鉄製ラダーフレームといったアルファロメオならではの機構を導入することに。



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また、搭載するエンジンもアルファロメオらしいもので、1900のネーミングが示す通り戦後初めてリリースしたミドルクラス「アルファロメオ1900」から流用した直列4気筒DOHCに偵察車両らしからぬ改良を施しています。



すなわち、80馬力あったパワーをあえて65馬力にデチューンすることで低速トルクを確保しつつ、耐久性の向上、メンテナンスサイクルの最適化を実現。

つまりは、要領よく軍需製品の勘所を押さえていたのです。ちなみに、本家のジープは2.2リッターエンジンながら旧弊なサイドバルブだったために60馬力と、300cc少ないアルファロメオの後塵を拝することに。



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また、最低地上高を稼ぐためにエンジン底面のオイルパンが省かれ、レーシングカーでおなじみのドライサンプ化されていることも、アルファロメオらしいカスタムと言えるでしょう。



軍用車として大活躍しいまでも動くクルマが多く存在する

そして、前進4段に副変速機を備え、トランスファーレバーで全輪駆動も可能という走行性能にガルバーニ大佐は文句なしの正式採用を決定。このとき、AR51の悪路をものともせず、ツインカムサウンドをまき散らして走破する姿に、アルファロメオの重役だったアントニオ・アレッシオが「マッタ(英語でいうマッド=狂ってる)」と呼んだことから1900マッタの愛称がついたと伝えられています。



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AR51は、イタリア国防省に2000台(1500台という説もあり)を納めたとのことですが、軍需用以外にも民生車両として、警察や消防署、そしてごく少数なクロカンマニア? にも納車されました。こちらはAR52というコードネームが与えられましたが、各部の補強やマウント、ヒッチあたりが省略されたほかはほぼ同一といっていいでしょう。



1951年から1954年までの生産期間と、軍需製品としては比較的短期間なのですが、これにはライバルだったフィアットが軍需車両「カンパニョーラ」を提案したことが理由かもしれません。なにしろ、フィアット帝国は戦時中から戦車や軍事車両を作っていましたから、偵察車両くらいでもアルファロメオにもっていかれるのは面白くなかったに違いありません。



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Alfa-Romeo-1900-M-Matta



それでも、1900マッタは1952年のミッレミリアにエントリーし、クラス優勝をかっさらうという快挙も成し遂げています。イタリア北部の街、ブレシアをスタート&ゴール地点とするおよそ1000kmにわたる公道レースはご承知のとおりですが、じつは軍用車両クラスというのが存在していたのです。



AR51のライバルは、もちろんフィアット・カンパニョーラでしたが、アントニオ・コスタ/フランチェスコ・ベルガ(両名ともにイタリア軍所属の士官!)組のワークスチームは、フィアットに40分の差をつけてゴール。

ミラノの名目を保つ瞬間となったのです。



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1900マッタは、アルファロメオ史のなかでも特異な存在かもしれませんが、官民から愛用されたという意味では唯一無二のクルマ。現在でもイタリア国内はもちろん、ヨーロッパ各国に数多く動態保存されているのも大いに納得です。そういったファンの前では、「ジープっぽい」とか、「ランドローバーっぽい」というのは確実にNGワードなんでしょうね(笑)。

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