この記事をまとめると
■21世紀になって最初に発表されたスーパーカーは「エドニスV12」だった■エドニスV12はブガッティの元スタッフなどで構成されたBエンジニアリング社が製造
■現在はカジル・モーターズ社が後継モデル「エドニスSP-110」を生産予定
2001年1月1日午前0時に発表されたエドニスV12
2024年が明けた。今年もまたスーパーカーの世界では数多くのニュースが、世界中から発信されることになるだろう。そのメインの話題となるのはスーパーカーを開発するメーカー各社が、パワーユニットとしてどのようなシステムを採用してくるかにある。
そして、最高出力は2000馬力、最高速は400km/hという世界が、それが一般の公道上で現実的な数字であるのかどうかは別として、スペック上ではすでに確実に見え始めている。思えば、21世紀が始まってから現在まで、スーパーカーにとっては驚異的な速さでの技術革新が実現した時代だった。現在はまだ21世紀が幕を開けてからわずかに20年強を迎えた段階だが、それでもそれは実感として多くの人が認めるところだろう。
そこで今回は、「21世紀を迎えて最初に発表されたスーパーカーは何だったのか」を改めて考えてみることにした。
その答えは、記憶のなかに鮮明に残っていた。あえて時差というものを無視して考えるのならば、それは2001年1月1日午前0時にイタリアのモデナでアンヴェールされた、Bエンジニアリング社の「エドニスV12」である。

21世紀を意識したのだろう、21台の限定生産車として発表されたエドニスV12とはどのようなモデルだったのだろうか。それはまさにモデナの地と人間が生み出したスーパーカーだった。
Bエンジニアリングはブガッティ・オールスターズだった
Bエンジニアリング社の成り立ちを語るには、モデナ近郊のカンポガリアーノの地で復活したものの、1995年には経営難からその活動を停止せざるを得なくなった、ブガッティ・アウトモビリ社から話を始めなければならない。

Bエンジニアリングを設立したのは、このブガッティで副社長の座にあったジャン・マルク・ボレル。エドニスV12のチーフエンジニアに指名されたのは、ブガッティEB110を最終的に完成させた(初期段階の設計は、カウンタックで有名なパオロ・スタンツァーニによるものだった)ニコラ・マテラッツィ。
一方、個性的なフォルムを持つボディは、かつてベルトーネでチーフスタイリストを務めたマルク・デシャンプ。ほかにもブガッティから優秀なスタッフがBエンジニアリングに集結し、新たなスーパーカーメーカーが誕生したのである。

Bエンジニアリングは、ブガッティが倒産したあとに、残されたEB110のパーツの一部を購入。そのなかには17台分のカーボンモノコックも含まれていた。マテラッツィは、当初新たに開発するスーパーカーに、日本の日産自動車の子会社であるNISMOから供給される800馬力級のV型8気筒DOHCツインターボエンジンを搭載する計画だったというが、日産とルノーが新たな提携関係を結んだことで、それが現実のものとなることはなかった。
その代案として新たに設計されたのが、3764ccの排気量を持つV型12気筒DOHCエンジンで、これにIHI製のターボチャージャーをツインで組み合わせることで、プロダクション仕様では700馬力の最高出力と785Nmの最大トルクを得ることに成功した。組み合わせられるミッションは6速MT。駆動方式はフルタイム4WDを選択したブガッティのEB110から一転し、オーソドックスなRWDとされた。

マルク・デシャンプのデザインによるボディはアルミニウム製だが、これは社長のジャン・マルク・ボレルが、モデナ産スーパーカーの伝統をどこかに残したいという意思を強く持っていたためとされる。
とはいえ、その車重は1300kg前後に抑えられていたのだから、軽量性という点でもエドニスV12のアドバンテージは大きかった。

前後のサスペンションはダブルウイッシュボーン形式で、タイヤは内圧がゼロになっても80km/hで200kmの走行を可能にするというPAXシステム。
0-100km/hを3.9秒で加速し、365km/hの最高速を達成したエドニスV12。Bエンジニアリング社はその後、このエドニスV12のパワーユニットを水素エンジン化するなど、さらなる進化に挑戦。現在ではアメリカのラスベガスに拠点を持つカジル・モータースとの共同経営で、新たに「エドニスSP-110」とネーミングされた、V12からの進化版を15台限定生産する予定で活動を続けている。

それを古典的なというべきか、あるいは伝統的と表現すべきなのかは個人の感情に任せるとして、21世紀の最初に発表された自動車は、エドニスV12というイタリアンスーパーカーだったことだけは、間違いない事実なのである。