この記事をまとめると
■パノスは1989年に設立されたアメリカのスポーツカーメーカー■自社ブランドのスポーツカー「エスペランテ」を発売
■1997年から参入したモータースポーツでも意欲的な活動を見せた
レースの世界でも活躍した知られざるアメリカンスポーツカー
パノス・オート・デベロップメント・カンパニーというアメリカのスポーツカーメーカー、そしてレーシングカー・コンストラクターの名前を聞いたことがある人はどれだけいるだろうか。同社がダニエル・パノスによって設立されたのは1989年のことで、彼らがまず手がけたのは自社ブランドのスポーツカーを生み出すことだった。
ここで誕生したのが「エスペランテ」と呼ばれるフロントエンジン・リヤドライブのモデルで、その特徴的なロングノーズデザインは、ダニエルの父でありパノスの創業時には少なからずの出資も行ったドナルド・パノスの意向によるもの。
実際に完成したパノスのファーストモデル、エスペランテは、たしかに魅力的なモデルであったようだ。その理由のひとつとして考えられるのは、パノスがそもそもアイルランドでロータスやマセラティなどのシャシーを設計していた、トンプソン・モーター・カンパニーを買収して設立された会社であったからで、トンプソンのもつノウハウは積極的にパノスのエスペランテに使用された。

オンロードのスーパースポーツを生産することで、企業としての足場を固めたパノスは、1997年になると長年の夢でもあった、モータースポーツの舞台へと進出する。
時代はすでにミッドシップカーが主流であったが、パノスはロードカーと同様にフロントミッドシップの基本設計を選択。「エスペランテGT1」とネーミングされたそのマシンは、車名からもわかるように当時のGT1カテゴリーに沿ったもので、そのレギュレーションどおりに1台のエスペランテGT1が、搭載エンジンを5.3リッター仕様のV型8気筒に変更して製作され、ドナルド・パノスによって所有されている。

ちなみにレース仕様のエスペランテGT1には、約600馬力を誇る6リッターのV型8気筒エンジンを搭載。マシンの開発はパノスのみならず、イギリスのレイナードがそれを担当。1997年のル・マン24時間には3台がエントリーしたものの、全車リタイヤという結果に終わってしまう。

25年以上前のル・マンにハイブリッドマシンを投入
だが、翌1998年のル・マンでは、パノスからはさまざまなトピックスが世界に発信されることになった。ひとつは総合7位という成績で決勝レースを終えたこと。そしてもうひとつは、ガソリンエンジンに加えてエレクトリックモーターを使用するハイブリッドモデルの「Q9」をエントリーしたことだった。

現在でこそル・マンやIMSAのトップカテゴリーはハイブリッドモデルも珍しくないが、この時代にそのシステムを採用してきたパノスには、技術的な先進性とチャレンジングな精神があったといえるだろう。
エスペランテGT1によるパノスのル・マン24時間参戦は1998年をもって終了するが、その後も彼らはLMPカーの「LMP1ロードスター」で、同レースへの挑戦を続けていく。

そして、我々にとって久々にパノスの名前がビッグニュースとして伝わったのは、すでにこのころアメリカでIMSAのオーナーとなっていたドナルド・パノス、そして2010年までLMP1を「アキュラARX-02」で戦っていたハイクロフト・レーシングの共同プロジェクトとして、「プロジェクト56」が立ち上がったときだった。
プロジェクト56は、ル・マン24時間レースの主催者であるフランス西部自動車クラブが新技術をアピールするために新たな出場枠(56番目のガレージを使用する)を利用し、レースへの参加を目指すというもので、2012年には日産自動車がこのプロジェクトに参加。「ニッサン・デルタ・ウイング」のエントラント名で2012年のル・マン24時間レースから2016年まで、いくつかのレースに参戦した。

まさにアメリカの象徴ともいえるスポーツカーメーカーのパノス。彼らの名前はモータースポーツとともに、アメリカのなかで徐々に浸透していったのである。