1994年のN1耐久でブレーキを個別にかける事を発案

メルセデス・ベンツ車のESP(エレクトリック・スタビリティ・プログラム)やポルシェ車のPSM(ポルシェ・スタビリティ・マネージメント)など、電子制御でスロットルと4輪のブレーキを個別に制御して車両姿勢の安定性を高める装置は今では常識的な装備となった。トヨタはVSC(ビークル・スタビリティ・コントロール)と呼び、日産はDSC(ダイナミック・スタビリティ・コントロール)と呼ぶなどシステム名は各社で異なるが、仕組みや狙いは似たようなものだ。メルセデス・ベンツ社が1995年に最上級のSクラスに世界で初めて装備したことで脚光を浴びる事となる。



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じつは僕自身、4輪のブレーキを使って操縦性を高める事に以前から着目していた。レースで少しでも速く走ろうとしたとき、クラッチ、ブレーキ、スロットルの3つのペダルをドライバーは駆使して走るのだが、その方式は100年も前から変わっていない。何か進化できる方法があるのではと疑問に思ったのがきっかけだ。



とくにブレーキだ。物理学的にいうとブレーキは走行車両の運動エネルギーをブレーキシステムで熱エネルギーに変換する装置。多くはディスクブレーキを装着するようになっており、ディスクブレーキの熱容量以上には運動エネルギーの変換はできない。従ってブレーキを酷使してディスクブレーキの温度が高くなり過ぎると、運動エネルギーを変換できずブレーキが利かないブレーキフェード現象が起きる。そのためブレーキシステムのクーリングやディスクブレーキを大型化して熱容量を増やすことはレースカーの基本だ。



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しかしどんなに強化されたブレーキシステムでも4輪に配置されるブレーキを一つのペダルで操作するということは変わりなかった。自転車だって前後輪に備える二つのブレーキを右手と左手で別々に操作する。サーキットのコーナーアプローチでハードブレーキングを行うとフロント内輪がロックすることがある。そうするとドライバーはブレーキペダルを緩めなければならない。

つまりロックしていない3輪のブレーキ液圧も下がってしまうことになり、十分な減速が得られなくなってしまうのだ。できれば4つのブレーキペダルが欲しいとすら考えた。それでも足は2本しかないのだから完璧ではない。現代は電子制御システムが一つのブレーキペダル操作から走行状態を演算し必要な車輪のブレーキ液圧を高めたり緩めたりできるようになった。まさに夢のような話が実現したといえる。



1994年に三菱GTOでN1耐久(現スーパー耐久)レースに参戦し始めた頃、ライバルの日産スカイラインR32型GT-Rに勝つべくさまざまなトライをした。GTOはGT-Rより排気量が400cc大きく重量ハンデが60kg以上あったがコーナリングが速く、あと少しで勝てそうなポジションにあった。レギュレーションでエンジンのパワーアップはできない。ブレーキはレース用AP社製6ポッドの認証を得て装着していた。そこでよりブレーキの能力を引き出すためにブレーキを個別にかける事を発案したのだ。



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理屈はこうだ。コーナー進入時の減速中、駆動輪の内輪にだけブレーキをかけるとデファレンシャル(デフ)で内輪を減速した回転数が外輪に移行する。

すると外輪回転数が増え、キャタピラーの原理で旋回性が高まると考えたのだ。能動的に内輪差を発生させるような考え方といえる。



ラジコンカーに細工してみるとその効果は大!

N1カテゴリーは市販車が装備する電子制御であれば、ABSやトラクションコントロールなども使える。そこでECU(電子制御コンピュータユニット)をチューニングして駆動内輪にだけブレーキをかけるプログラム開発を三菱自のエンジニアに提案したのだ。だが言葉で説明してもなかなか理解が得られず、当時タミヤ製のラジコンカーにコーナリング中に内輪だけブレーキがかかるように細工してデモンストレーションして見せた。その効果は抜群で、曲がりにくかったラジコンカーが高速で一気にスピンターンするように曲がったのだ。



しかし、三菱はGTOではGT-Rの速さに勝てないと考えていて、ランエボへのスイッチに舵を切る。後にランエボはS-AWC(スーパー・オール・ホイール・コントロール)を構築し、4輪駆動でも曲がる特性を引き出すことに成功した。だがここでの主役はACD(アクティブ・センター・デファレンシャル)とリアアクスルのAYC(アクティブ・ヨー・コントロール)の制御によるもので、4輪ブレーキの個別積極的活用にはまだ発展していなかった。



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僕は駆動輪の内輪にブレーキをかける仕組みをどうしても実践したく、三菱がだめなら他社ででもと、H社の研究所に打診した。研究所で面談したエンジニアにラジコンカーを見せ現象は理解してもらえたが、彼の計算によるとデフの作用では回転数が移動するだけでトルク移動は起こらない。だから実車では効果がないだろうと、このプランは却下されてしまったのだ。思うにエンジニア氏は「アクセルオンで駆動トルクを掛けながら……」という視点を見落としていたとのではないかと思う。

後の2004年になってBARホンダF1マシンが駆動輪ではないフロントにアクスルデフを装備して内輪差を油圧制御するというシステムを開発したのを見て「やられた!」と思ったものだ。



エボXに実装した「S耐制御」が市販車に広まることを願う

1998年、JTCC(全日本ツーリングカー選手権)にトーヨータイヤが走らせるトランピオ・エクシブで参戦していた僕はトーヨータイヤに直訴。トーヨータイヤは興味を示してくれてJTCCを闘うエクシブで実験する機会が与えられたのだ。だがJTCCのマシンはレギュレーションでABSなど電子制御は皆無だ。そこでメンテナンスを担当していたトリイ・レーシングの鳥居さんに相談するとステアリングに左右別々に利くブレーキレバーを装着してくれるという。



テスト当日、マシンのコクピットに乗るとステアリングホイールの3時45分の位置に、オートバイのハンドルレバーが装着され、右のレバーを握ると右の前輪にブレーキが、左を握ると左前輪にブレーキがかかる仕組みに改造されていたのだ(じつは自転車のハンドルレバーみたいに……と例え話をしたのは僕だったが、まさか本当にそのまま採用されるとは思っていなかった)。



テスト場所は富士スピードウェイだ。コースインしてコーナー毎に内輪側ブレーキを手で掴んで操作する。すると確かにブレーキを掛けた瞬間はクイックにフロントがターンインしステアリングレスポンスが向上した。だがLSD(リミテッド・スリップ・デフ)が装着されたままだったので一瞬の後にはデフがロックし回頭性も失ってしまう。それよりもノンサーボのブレーキをレバーで操作するには握力の負担が大きく過ぎて1周もすれば握力は上がってしまっていた。



S耐の「エボX」で理論を確立! 市販車への採用を願う「中谷式ブレーキベクタリング」とは



効果は体感したが、デフを減速時にフリーとなるワンウェイにし、ブレーキサーボを装着すれば可能性があったが、その実践前にトランピオでのJTCCは終了してしまう。



あれから年月が経ち、ポルシェが911でブレーキングベクタリングを実装。それ以降多くのクルマも内輪ブレーキベクタリングを装備するようになったが、まだ完璧なものは登場していない。



その後、ランエボで2008シーズンまで闘った僕は、エボXに理想的なブレーキ制御となる「S耐制御」を実装させ、確かな可能性を築いた。



S耐の「エボX」で理論を確立! 市販車への採用を願う「中谷式ブレーキベクタリング」とは



残念ながら生産車にフィードバックする前にランエボの開発は中止されてしまったが、僕と4輪電子制御専門のミスター・ランエボこと澤瀬薫博士の頭の中には最後の「S耐制御」の実装と発展の夢が今も埋もれている。いつか、どこかのメーカーでこれが実現することを互いに夢見ているのだ。



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