レーシングカー×女性用下着メーカーの異色コラボも!

レーシングカーに惹かれる要素はいくつもあるが、カラーリングも重要なカギを握っているのは間違いない。インパクトあるスポンサーカラーに彩られたマシンは、ある意味その時代の象徴でもあった。そうしたいまでも印象深いスポンサーとそのカラーリングを振り返ってみよう。



◆石油元売り会社系

ガソリンスタンドなどを展開している各企業は、モータースポーツにも積極的に関わってきた。



・日本石油(現エネオス)

日本石油は、F3000の星野一義や、グループCのポルシェ962C(トラスト)などをスポンサード。星野が、日石のハイオクガソリン「ニューレーサー100」のTVCMに出演し、「星野さんクルマは?」「いけね」というやりとりが……(いまのペトロナスカラーが、当時の日石カラーに似ている!?)



・出光(現 出光昭和シェル)

グループAで、中子・岡田組が活躍した出光シビック(無限)が有名。ゼッケン100番は、ハイオクガソリンのオクタン価をイメージ。



・共同石油(現 エネオス)

共同石油は、グループAの共石GT-Rのグリーンのカラーでなじみ深い。



・キグナス石油

F3000でキグナス 東燃チームのメインスポンサーとして参戦。アンドリュー ギルバート スコットや、故ローランド・ラッツェンバーガーなどがドライブした。



・ESSO

2002年にJGTCでチャンピオンになった、チームルマンの「エッソウルトラフロースープラ」のブルー&ホワイトのカラーが有名(ドライバーは脇阪寿一・飯田章)。しかし、1999年 エッソタイガースープラのトラ模様のカラーリングも忘れられない。トヨタのCカーもサポート。



これぞ時代を映す鏡! レースマシンを彩った懐かしの「スポンサ...の画像はこちら >>



・その他

モービルもGTのNSXのスポンサーだったし、BPもグループAにGT-Rで参戦(最後のインターTECで優勝)。STPも同じくグループAのSTPタイサンGT-Rのスポンサーとして有名。



これぞ時代を映す鏡! レースマシンを彩った懐かしの「スポンサーカラー」



◆ファッション系

・チャージ(レナウン)

1991年にルマン24時間レースを制した、マツダ787Bのカラーリングは、オレンジと緑のチャージカラーだった。昨年、そのレナウンが破産してしまったニュースは、モータースポーツファンにもさみしかった。



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・ワコール

女性用下着メーカーのワコールも、グループC時代に童夢・トヨタと組んで、モータースポーツに参戦。レーシングカーと女性用下着メーカーという組み合わせはかなり異色だった。



・taka-Q

紳士服・婦人服・関連洋品雑貨の企画・販売会社のタカキューも、グループC時代にtaka-Qポルシェやトヨタの89C-Vなどのメインスポンサーだった。



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黄色いボディに「taka-Q」のロゴはよく目立ったが、同じく黄色のフロムAポルシェ(日産)とかぶっていた部分も!?



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・レイトンハウス

バブル最盛期にF1からF3000、グループC、グループAと世界中のサーキットにレイトンブルーを広めたアパレルブランド(母体は不動産業)。Tシャツ、ブルゾン、タオル、ステッカーなど、レイトングッズに凝った人は多かったはず。



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・伊太利屋

1970年代のGCマシン「紫電」の白にピンクの伊太利屋カラーが印象的。アニマル柄を日本のファッションに初めて取り入れたファッションブランドの伊太利屋も有名だが、ランチア、マセラティの日本総代理店だった「ガレージ伊太利屋」が、GCのスポンサーだった。



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カメラメーカーや金融関係も!

◆カメラメーカー

・キャノン

ホンダの第2期F1時代、1985年にウイリアムズのメインスポンサーとして契約。マンセルとピケが活躍した頃、ウイリアムズ ホンダのリヤウイングに大きく書かれた「Canon」の赤い文字が誇らしげだった。



これぞ時代を映す鏡! レースマシンを彩った懐かしの「スポンサーカラー」



・ニコン

1982年のルマン24時間にエントリーしたマツダ RX-7 254や、1983年のマツダ 717C(そらまめ君 由良拓也がデザイン)のスポンサーだったのがニコン。



・ミノルタ(現 ソニー

トヨタのCカー、トヨタ88Cをサポートし、「ミノルタ トヨタ」として参戦。



・オリンパス

JPSカラー時代のロータスのF1マシン、ロータス79のボディサイドに、金色のロゴでオリンパスの大きなステッカーが貼られていた。1978年にマリオ・アンドレッティがチャンピオンになったマシンなので、プラモデルやミニカーを持っている人も多いのでは?



◆金融関係

バブル期は、消費者金融などのスポンサーも多かった。グループCの武富士ポルシェや、F3000のアコム、ミリオンカードは、大会の冠スポンサーにもなっていたし、ニコスカードも「ニコスカップ」としてGTレースのスポンサーに。またニコスの山田会長は、一時期ドライバーとしてもGTなどに参戦していた。ジャックスカードも、JTCCSのアコードやシビックのスポンサードをしていた。



これぞ時代を映す鏡! レースマシンを彩った懐かしの「スポンサーカラー」



◆その他

1990年代、鈴木亜久里が契約していたフットワークアロウズのスポンサー、フットワークとF3000やGCのスポンサーだった佐川急便は、宅配便業者。



農機具メーカーの井関農機も「ヰセキトラストポルシェ956」で、1984年から参戦。



これぞ時代を映す鏡! レースマシンを彩った懐かしの「スポンサーカラー」



建設機械メーカーのコマツ(小松製作所)も、F1のロータスやウイリアムズに、ギアボックスなど油圧関係の部品などを提供。ロータス107には、コマツのステッカーが貼ってあった。



シオノギ製薬も、一時期F3000など積極的にサポートしている時期があった。

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