初代スペチアーレの288GTOエボルチオーネの進化版として開発

フェラーリにはスペチアーレ(イタリア語で「スペシャル」)と呼ばれる文字どおり「特別」なクルマがいくつかある。そんなスペチアーレのなかで、もっとも人気のある1台といえばF40ではなかろうか。



F40の前身となったのは、1984年に誕生した初代スペチアーレともいうべき「288GTO」で、その正常進化型として製作された「288GTOエボルチオーネ」だった。

GTO=GTオモロガート(イタリア語で「ホモロゲーション」)という称号から、一般的には当時のグループB規定を意識したホモロゲーションモデルとして誕生したとされる288GTOだが、その開発を主導したニコラ・マテラッツィは、「開発の現場にはグループB車両という意識は一切なく、それはマーケティングの観点から発表時に付け加えられた、ひとつのセールストークだった」と、かつて筆者のインタビューに対して答えてくれた。



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その288GTOに、さらなる進化の可能性があったことは、後の288GTOエボルチオーネが、それを証明している。フェラーリのセミ・ワークス(もちろんそれには、F1以外のレーシング・アクティビティにおける、という注釈が必要だが)ともいえるミケロットを始め、多くの優秀なパートナーとともに生み出された288GTOエボルチオーネ。それは、前後して企画が持ち上がった、フェラーリ創立40周年の記念モデルの候補のひとつとなり、さまざまなアイディアのなかから、最終的に創立40周年記念を祝すモデルは、288GTOエボルチオーネをエンジニアリングの原案とするものに決定された。



エンツォ・フェラーリとニコラ・マテラッツィとの間には、当初からその生産台数は350台前後に限定するという認識があった。結果的にF40は、エンツォ自身の指示による最後のフェラーリであること、あるいは好景気を背景に、そのプレミアム性が高く評価されたことなど、さまざまな理由によって1300台以上もの台数が出荷された。



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そしてマテラッツィは、インタビュー時にこう語った。「最初から1300台以上ものF40が生産されることが分かっていれば、私もエンツォも、F40をあれほどにスパルタンなモデルとはしなかっただろう。F40はフェラーリのカスタマーの中でも、高いドライブスキルを持つ者のみに与えられるべき、特別な中にも特別なモデルだったのだ」



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公称最高速度は324km/h! 実際に300km/hが出せたという

それではフェラーリ創立40周年の年、すなわち1987年に正式発表されたフェラーリF40とは、いかなる構成を持つモデルだったのだろうか。



F40のエクステリアデザインは、現代のフェラーリ、あるいはそのライバルとなるスーパースポーツの姿と比較すると、非常にシンプルな、しかしながらスーパースポーツとしてのオーラに満ち溢れた造形だ。それは、安全基準が、まだ現代ほどに厳しくはなかった時代の作品であるから、当時レオナルド・フィオラバンティをチーフ・スタイリストとしていたピニンファリーナも、比較的自由な発想でF40をスタイリングすることができただろう。



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全長×全幅×全高で、4430×1980×1130mmと、デビュー当時に発表されたボディサイズは、現代のスーパースポーツと比較すると十分にコンパクトなものといえるが、それよりも世界から熱い視線が注がれたスペックは、わずか1100kgという数字が掲げられた車重だった。



この車重を実現するために、マテラッツィ以下、フェラーリのエンジニアリンクチームは、ボディーパネルにカーボンケブラーなどの軽量複合素材を積極的に採用。基本構造体はクロームモリブデン鋼によるスペースフレームで、その前後にはスチール製のサブフレームが接合される。前後のサスペンション、そしてパワーユニット一式は、このサブフレームに搭載される仕組みだ。



ミッドに搭載されるエンジンは、82×69.5mmのボア×ストローク値から、2936ccの排気量を設定した90度V型8気筒DOHC32バルブ+ツインターボ(F120A型)だ。



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F40用のV型8気筒エンジンは、その強度設計においては、フェラーリがランチアのグループCマシンである、「LC2.83」に搭載するために開発したティーポ268C型にまでその血統をさかのぼることが可能だ。すなわちそれは、純粋なレーシングユニットの血統を受け継ぐもの。2936ccの排気量は、FIAが当時、モータースポーツ・レギュレーションで採用していた過給器係数、1.7を乗じた時に5000cc以下となることを意識した結果だろう。



IHI製のターボチャージャーを、左右の各バンクに装着し、1.1バールの最大過給圧と7.8の圧縮比を設定することで、F120A型エンジンが得た最高出力は478馬力/7000rpm。マネージングシステムは当時のウエーバー・マレリとの共同開発によるもの。



組み合わせられるミッションは、オーソドックスな5速MTだ。クラッチは油圧作動の8.5インチ径ツインプレート。フェラーリはこの5速MTに、全段フルシンクロメッシュ機構を採用するが、オプションではコンスタントメッシュタイプの5速MTも用意されていた。



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デファレンシャルは40%のロッキングファクターが設定されLSD機構付き。駆動方式は言うまでもなくRWDで、ABSを始め、現代のスーパースポーツではもはやスタンダードともいえるスタビリティ確保のための電子制御デバイスなどは、このF40には一切存在しない。つまりF40のパフォーマンスは、カスタマー自身のドライビングスキルによってのみ、引き出されるものといえたのだ。



サスペンションは、フロントが上下Aアームの間にダンパーをマウント、リヤではドライブシャフトとの干渉を避けるために、アッパーアームとサブフレームの間にダンパーをレイアウトしたデザイン。1991年には車高調節機構を装備することが可能となり、マキシマムポジションを選択すれば、フロントで20mm、リヤは10mmのエクストラ・ロードクリアランスを得ることができるほか、オートマチックの車高調節によって、標準設定のミディアムから2mm低い、ミニマムポジションへの移行(もちろん逆方向へも)も行われる。



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日本では59台が正規輸入車され、5000万円弱のプライスで販売されたというが、ちょうどバブル経済の真っ只中にデビューしたF40は、実際にはプレミアが載せられて1億円、ときには2億円以上で取り引きされたとされる。



そんな意味でも世間一般からのF40の注目度は非常に高く、おひれのついたさまざまな噂が絶えなかった。例えば、著名なF1ドライバーに「雨の日には絶対に乗りたくない」と言わしめるほどのジャジャ馬であり、フェラーリコレクターのとある実業家が運転を誤ってクルマもろとも崖から転落したとか、実際に300km/hを出せる市販スーパーカーが少なかった時代に公道で300km/hを出している動画が出まわり、運転していた男が逮捕されたなど、その真偽はさておき、F40には数々の伝説的な噂が残っている。



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フェラーリF40、それはスーパースポーツのヒストリーを語るうえで、欠かすことのできないまさに伝説のマシン。そしてその魅力は永遠に不変なのである。

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