この記事をまとめると
■1950~60年代のアメリカ車は大きなボディに華美な装飾が特徴だった



■戦後、アメリカは世界一の国を自負し、クルマがステイタスの証としてゴージャスになった



■1960年代後半、クルマが多様化したことで急速に巨大なクルマは減っていった



1950~60年代のアメリカ車のデザインにはいまでも圧倒される

ネバダ州ラスベガスで毎年恒例行事となっている世界最大級の自動車アフターマーケット見本市「SEMAショー」。



会場内を見渡すと、SUVやピックアップトラックを使ったアウトドア系チューニングが目立つ。また、90年代後半から2000年代初頭にかけての短期集中的なブームとなった日系スポーツカーのチューニングについても、その流れを汲む用品がチラホラと見受けられる。



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一方で、こうした現代のクルマたちとは一線を画す、とてつもなく大きく、とんでもなく派手で大胆なアメ車たちの姿もある。その多くは1950年代から1960年代初頭にかけて米大手メーカー各社によって製造されたものだ。



フロントグリルが大きく、フロントバンパーが二重・三重になったような押し出し感の強い顔つき。サイドビューでは、現在社会では想像できないような、車体後部に大きく続く造形。後付けのウイングではなく、ボディそのものがウイング形状になっているなど、実物を見るとその発想の大胆さに改めて驚かされる。



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名実ともに世界一となったことでクルマもゴージャスに!

それにしても、なぜこうした特殊なエクステリアデザインが50年代から60年代にかけて流行したのだろうか?



そんな疑問を解き明かしてくれるのが、ミシガン州デトロイト近郊のディアボーンにあるフォードミュージアムだ。この地域には、フォード本社や関連する研究開発拠点などが数多い。



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フォードの自動車博物館といっても、フォードだけの歴史を紹介するのではなく、フォード以外のクルマの展示も含めたアメリカの自動車産業全体が分かる。また、長年に渡りモータウン(モータータウン)と呼ばれてきた米自動車産業の集積地であるデトロイトの歴史を知る上でも、ここは貴重な施設だと思う。



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そんなフォードミュージアムをゆったり歩いてみると、アメ車の歴史が戦後に大きく変わったことが肌感覚で理解できる。



戦後、アメリカは政治でも経済でも、世界ナンバーワンを強く意識するようになる。その上で、経済発展のためには庶民の生活レベルの向上を重要視した。

具体的には、全米をつなぐフリーウェイ構想に着手し、それに沿うように郊外型の新興住宅地の建設ラッシュとなった。



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そうしたアメリカンなライフスタイルに合わせたクルマ作りを、自動車メーカー各社が始める。「クルマはステイタスシンボルである」という発想から、よりゴージャスに、より大きくという発想が加速していく。
ライバルメーカーがボディの大型化を発表すれば、さらに大きく派手なボディ形状を、といったメーカー間の競争が激しくなった結果、現代社会では考えられないようなエクステリアデザインが量産されることなる。



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60年代になると、クルマの多様化が進み、また、空力性能などもクルマの設計要件として重視されるようになり、50年代の巨大なアメ車ブームは終焉する。

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