【長野銀行】2026年経営統合、八十二長野銀行としてリスタート|ご当地銀行のM&A

地銀再編が叫ばれる中、いわゆる第一地銀と、相互銀行から普通銀行に転換した第二地銀の統廃合が続いている。県別に見ると、新潟県の第四銀行と北越銀行が合併した第四北越銀行、三重県の三重銀行と第三銀行が合併した三十三銀行、福井銀行による福邦銀行の子会社化など、徐々にではあるものの“1県1地銀”が浸透してきた。

長野県も、その一つだ。かつては県内に八十二銀行(長野市)と長野銀行(松本市)が存立していた。だが、2023年6月に長野銀行は株式交換により八十二銀行の完全子会社となる経営統合を行った。2026年1月に合併し、八十二長野銀行としてリスタートする。

県商工信用組合が前身、M&Aの実績のないままの合併劇

長野銀行は1950年11月に設立された長野県商工信用組合が前身である。当時は終戦により資金需要が高まり、長野県においても松本市の商工業者を中心に商工信用組合を立ち上げた。県の商工信用組合を標榜するのに、県庁所在地の長野市ではなく県内第2の人口規模の松本市に設立されたところがおもしろい。

松本市は明治初期の廃藩置県の頃は筑摩県の県庁所在地だった。長野県との合併により県庁所在地が長野市になって以降も、日銀支店や国立信州大学が設置された独自色の濃い市である。

県商工信用組合は松本に拠点を置き、深刻化する県内中小企業の資金繰りに対応し、県下一円を区域とする金融機関をめざした。ちなみに、長野や大町などには支店を置いていた。

1970年4月、県商工信用組合は相互銀行に転換し、長野相互銀行として新たなスタートを切った。1989年2月には多くの相互銀行と同様に普通銀行に転換し、長野銀行となる。

以後は着実に業容を拡充し、東証2部、さらに1部への上場を果たし、2013年12月には預金残高1兆円を達成した。2020年には創業70周年を迎え、2022年4月には東証スタンダード市場へ移行する。ところが、翌2023年5月には上場廃止、同年6月には八十二銀行との統合を果たした。

県商工信用組合時代から大きなM&Aを経験しないまま迎えた八十二銀行との合併。2026年1月には八十二長野銀行となるべく、現在も店舗の統廃合を進めている。

「1県1地銀」体制は避けられない選択

八十二長野銀行のような「1県1地銀」体制が浸透するには、さまざまな背景がある。

まず、地方で特に顕著な人口の減少だ。地方で人口が減少すると、単純に口座が減少し、預金残高が減少していく。貸出先も先細りしていく。その中で銀行は収益を維持するために再編を迫られるのは避けられない。

また、長く続いた低金利政策もボディブローのように効いている。長く続いた低金利政策により、銀行の収益源である利息収入が減少していく。

それが、経営を圧迫しているのだ。

さらに、金融庁や国の意向も働いている。金融庁としては、地方銀行のビジネスモデルの持続可能性について、地方銀行との対話を始めている。その中で聞き取り調査や再生パッケージ策の提示も進めている。また、国としては、地方金融の再編を促す特例法を2020年11月に施行したほか、日銀による支援、補助金制度の設定なども進めている。

地方金融の再編はまさに“待ったなし”の状況で、誰の目にも見えるかたちになっている。

文・菱田秀則(ライター)

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