
徳島市に本店を置く徳島大正銀行は、2020(令和2)年1月に設立した。その名のとおり徳島市内に本店を置いていた徳島銀行と、瀬戸内海・大阪湾を隔てた大阪市内に本店を置いていた大正銀行という2つの第二地銀が合併して誕生した。
徳島大正銀行は隣県香川の香川銀行とともに、トモニホールディングス<8600>の完全子会社である。トモニホールディングスの社名は「TOMONI」ではなく「TOMONY」と表記される。「ん?」となるが、「TO MONY」と考えれば「To Money」に語感が近く、その「HOLDING」と受け取ることができる。「お金に向かって集まった金融持株会社」と考えれば、至極真っ当、直截的な金融持株会社の趣がある。
質の異なる2つの無尽組織からのスタート
2つの第二地銀の源流からたどっていこう。まず、徳島銀行だ。
徳島銀行は1918(大正7)年3月、富岡無尽合資会社として設立した。1936年7月に開業し、業務を引き継ぐ。そして1948年2月、徳島無尽に改称し、3年後の1951年、相互銀行法の制定にともない、同年10月に徳島相互銀行となった。
その徳島相互銀行が1989年2月に他の相互銀行52行とともに普通銀行に転換し、徳島銀行という第二地銀となった。徳島銀行としては大きなM&Aはなく、2020年1月に大正銀行と合併し、徳島大正銀行が誕生した。
一方の大正銀行は1922(大正11)年4月、兵庫県に設立された関西住宅組合建築という会社がそもそもスタートだった。住宅関連融資にも積極的に取り組む組織であったようだ。
関西住宅無尽は1954年8月に本店を兵庫県から大阪府に移す。そして1958年10月に相互銀行に転換、大正相互銀行に改称した。
大正相互銀行は相銀時代の1988年4月に大阪北信用組合を合併する。その直後の1989年4月、徳島銀行の普銀転換から2カ月遅れで普通銀行に転換し、大正銀行と改称した。もともと住宅関連融資に強いという性格があったためか、2015年10月に37年ぶりに京都支店を開設した際も、京都府、滋賀県の戸建て住宅を手がける宅建業者や不動産業者向け融資を強化したとされる。
その大正銀行は2016年4月、トモニホールディングスとの株式交換により、同社の完全子会社となる。そして2020年1月、徳島銀行と合併し、徳島大正銀行と改称した。
徳島銀行と大正銀行。ともに、無尽・相銀・第二地銀というルートをたどるが、主な営業エリアは徳島県内と、大阪を中心とした関西。
なぜ3行の合併をしなかったのか
現在、徳島大正銀行はトモニホールディングスの完全子会社という位置づけである。そのトモニホールディングスは2010年4月、香川県高松市に設立した。徳島大正銀行と香川銀行、およびそれぞれの子会社計9社で構成している。
トモニホールディングスはもともと徳島銀行と大正銀行、香川銀行の3行体制をとっていた。その持株会社内の2社が合併したことになる。このとき、香川銀行も加わり3行による合併も想定されたはずだ。このことについては「一度に3行が合併するのは、労力的に荷が重い」と考えたのだろう。経営規模が大きくなれば、それに見合う市場の獲得が求められる。
当の関西圏では、第二地銀の“地盤沈下”が進み、最も多かった頃は大阪に6行あった第二地銀が大正銀行のM&Aにより消滅し、現在、関西では神戸市(兵庫県)に本店を置くみなと銀行のみとなっている。地域に強い第二地銀が関西圏には少ない点も、徳島・香川両県の第二地銀として有利な条件にあると言える。
2024年3月期の香川銀行の純利益は過去最高の約63億円。徳島大正銀行は約78億7,300万円で、4期連続で最高益を記録した。
2行体制をとるトモニホールディングスとしては、2024年9月期の連結決算で純利益が前年同期比23.7%増の86億8,300万円。中間期としては過去最高益となっている。
鳴門の渦潮ならぬ新たな2つの“トモニ・トルネード”が、瀬戸内海を東進している。
文・菱田秀則(ライター)
【M&A Online 無料会員登録のご案内】
6000本超のM&A関連コラム読み放題!! M&Aデータベースが使い放題!!
登録無料、会員登録はここをクリック