
画家・横尾忠則、88歳の現在地を見せる『横尾忠則 連画の河』が4月26日(土)~6月22日(日)、世田谷美術館で開催されている。プレス内覧会の様子も交えてレポートしたい。
開幕の前週に夫妻でコロナに罹患し、内覧会に出席できないかもしれないと思っていたという横尾は、担当学芸員の塚田美紀とのミニトークに晴れて登壇。しかし「展覧会をするたびに、いつも大きな病気に見舞われるんですよね」と語り出した。
「絵を描くことと病気になることが一体化し、肉体を切り離して描くことは考えられないんですね。腱鞘炎で手が痛くて、あれ以上上手に描けないんですが、下手でもいいんだと思うと自由な気持ちが湧き出してくるんです」
目も耳も悪いし、腰も痛いと不調を訴えながらも、約2年かけて64点もの新作油彩画を描いたパワーに敬服せざるを得ない。

プレス内覧会より。横尾忠則と世田谷美術館学芸員の塚田美紀
2024年に東京国立博物館 表慶館で開催された個展『横尾忠則 寒山百得』では、寒山拾得(寒山と拾得という2人の詩僧)をテーマに、独自の解釈で102点もの絵画をアスリートのごとく描いた。しかし終了後「自由をテーマに描いたのに、自由であることに自分がとらわれてしまっていた」と思ったという。そこで今回はテーマや意図も考えずに、一点描いたら二点目が描ける、二点目が描ければ三点目が描けるというように、筆の流れに任せて制作。展覧会タイトル「連画の河」は、和歌を詠み合うために数人が集まり、前の人の上の句を次の人が引き取って詠みつないでいく「連歌」になぞらえ、自分の絵で「しりとり」をするように、「昨日の自分」から「今日の自分」へと楽しみながら描いていったという。
2年前、そうした提案を受けた塚田は「美術館としてはドキドキワクワクだけでなく、何が出てくるかわからないハラハラが大きい。けれど、世田谷美術館では横尾さんの個展をはじめ、区内に住む横尾さんがふらっと訪れることも多く、お付き合いが長い。横尾さんの制作についていき、何が生まれるのかを体験させていただこう」と腹をくくったという。
最初に出会うのは、1994年の絵画《記憶の鎮魂歌》。篠山紀信が1970年に撮影した、故郷である兵庫県西脇の同級生たちとの写真をもとに描いた、30年近く前の作品だ。篠山が撮影した当時の写真が掲載されている写真集『横尾忠則 記憶の遠近術』も展示されているが、絵画では横尾が亀として登場。2本の川が合流するY字になったところに鉄橋が架かっている。

《記憶の鎮魂歌》1994年 横忠則現代美術館
1970年に撮った写真をもとに1994年に描いた絵画を起点として、時間とイメージがレイヤー(層)として重なっていく。通り過ぎる列車、河原に並んでいた同級生がいつのまにやらアトリエの画家とモデルに変容している。「モチーフだけでなく、横尾さんの場合は、どう描くかに意識があります。最初の溶けたようなタッチから、しばらく三原色で遊ぶような作品が続きます」(塚田)。

展示風景より、《連画の河》シリーズ 2023年

右:《連画の河4》2023年、左:《出たり入ったり》2023年

展示風景より、《連画の河を渡る》シリーズ 2023年
あらかじめコンセプトを考えては描かない。その日見た新聞や雑誌で気になったイメージ、自身の連載で題材にしたもの、そしてふと浮上する過去の記憶などを発端として描くことが多いという。アトリエを訪ねてきたカルティエ財団の方とメキシコの話題になったことから、西脇の同級生たちがなぜかメキシコへ。自身のメキシコのイメージを増幅させていく。また、ピカソやデュシャン、デ=キリコ、マン・レイなどアーティストにも変貌する。

メキシコをイメージした作品群。左:《メキシカーナ》2023年

右:《赤い恋》2024年、左:《太陽系をコントロールするメキシカン》2024年。手前はスケッチブック
横尾が制作途中でどうしていいかわからなくなったような作品も除外せず公開している。「あまり調子の出ない時期もいつしか抜けていくということが体感できる。そうした作品も展示してみると全体の流れの中に気持ちよくおさまり、何も違和感がないなというのが実感です」(塚田)。
ゴーガンの描くタヒチの女たちを参照しながら描いた作品は、色がグラフィカルで、また作風が変わる。

展示風景より、左:《連画の河、タヒチに》2024年

右:《略奪された心臓》2022/24年、左:《盗まれたシンゾー》2022/24年、中央:《SPとシンゾー》2024年

展示風景より、右:《大壺登場》2024
そして広場のような展示室には、横尾が一番気に入っている作品がある。「人生の終わりぐらいは道徳的になった方がいいでしょう」とユーモアをまじえて付けたタイトルは《The End of Life Is Moral》。逆さになり、壺から足を突き出した人間は、ヒエロニムス・ボスの絵画にある、川の中に逆さに刺さっている男性から着想されていると思われる。あるいは横尾の「Y」にも見える。

《The End of Life Is Moral》2024年

展示風景。右は《ボッスの壺》2024年
当初はここで終わる想定だったが、最後に自画像を展示した。

右は《Self-Portrait》2025年
筆者は、2021年に『GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』(愛知県美術館、東京都現代美術館、大分県立美術館)を鑑賞しているが、過去のモチーフの輪廻転生のような展開に圧倒され、まさに集大成との思いを強くした。しかしそこに安泰せず、初の制作手法による新作である。横尾は「絵を描くのにはもうつくづく飽きているんですよ。三、四歳ぐらいの子どもの頃から絵を描いていますから。この先はどうなるのかまったく分からない」と語る。飽きたからこそ、こだわりを捨てて融通無碍でいられるのか。飽きないように新しい冒険に出たのか。64点で一つの作品、描き続けた「時間」そのものが作品ともいえる。開幕から2週間以上を経て、コロナの後遺症に悩む様子をSNSで綴る横尾の回復を祈りたい。
取材・文・撮影:白坂由里
<開催概要>
『横尾忠則 連画の河』
2025年4月26日(土)~6月22日(日)、世田谷美術館にて開催
公式サイト:
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00223