柳沢慎吾「“あばよ!”はテレビが元気だったあの時代だから生まれた言葉」キメ台詞誕生秘話と「あばよ」をやめるのを止めた大物俳優
柳沢慎吾「“あばよ!”はテレビが元気だったあの時代だから生まれた言葉」キメ台詞誕生秘話と「あばよ」をやめるのを止めた大物俳優

俳優・柳沢慎吾さんの決め台詞「あばよ」は、今もおなじみの別れの挨拶。「卒業」シーズンの3月は、「さようなら」がよく聞こえてくるせつない季節だが、「あばよ!」の一言があれば、清々しく別れられることだろう。

柳沢さんいわく、「あばよ!」には、偶然がきっかけの誕生秘話と忘れられない大先輩からの一言があるのだとか。

「あばよ!」誕生は、とんねるず石橋貴明さんがきっかけ

――別れの挨拶としては、すっかりお馴染みの「あばよ!」。「いい夢見ろよ!」とともに、柳沢さんの代名詞でもある言葉ですが、誕生した時期は覚えていらっしゃいますか?

柳沢慎吾(以下、同) 
たしか1989年にとんねるずの「ねるとん紅鯨団」(フジテレビ系)の正月特番に出演したときだったかな。バブル経済が極まっていてテレビが盛り上がっていた時代。

――「ねるとん紅鯨団」といえば、毎回、お見合いパーティーのように何人もの一般人男女を集わせて、その様子をとんねるずのふたりがウォッチングするという番組でしたよね。

そうです。で、僕が出たのは、芸能人限定のコーナー。



元・おニャン子クラブの内海和子さんに告白して、「ごめんなさい」ってお断りされちゃうんですが(笑)、そのとき貴ちゃん(とんねるず・石橋貴明さん)に「なんか一言言ったほうがいいよ」ってそそのかされちゃって。

そこで咄嗟に出てきた言葉が「あばよ!」だったんですよ。

本当に偶然でした。貴ちゃんの一言がなければ、生まれていなかったと思います。

女性に何かしらのコンプレックスを抱えていた男性視聴者にとっては、「偉そうに!」と思われるかもしれないんだけど、きれいな女性に男がふられる構図での視聴者の気持ちを「あばよ!」のひと言で僕が代弁しちゃった。悔しそうだけど後腐れない感じがよかったのと、インパクトが強かったからウケたんだろうね。

――ちなみに「いい夢見ろよ!」もねるとん紅鯨団で生まれたとうかがっています。

その後、2回正月特番に呼んでもらえて、またふられて(笑)、「あばよ!」ではなく別の言葉を言おうとしたときに口に出したことを覚えています。

これもとっさに思いついたの。けどよく知られている「いい夢見ろよ!」じゃなくて「いい夢見させてもらったよ!」って捨て台詞だった。多分、僕のファンがいつの間にか「いい夢見ろよ!」って言い始めて、それが浸透したんだろうね(笑)。

「あばよ!」も「いい夢見ろよ!」も、テレビが元気だったあの時代だから生まれた言葉。

今の時代で同じ状況だったら浮かんでこないんじゃないですかね。

「やり続けることは難しい」と“ある大先輩”が教えてくれた

――当時のねるとん紅鯨団は、23時台の放送ながら平均視聴率17%を超える超人気番組で、柳沢さんの「あばよ!」は、瞬く間に全国区の知名度を誇るフレーズになりました。

ファンじゃない人でもよく口ずさんでいたんで、シンプルにびっくりしました。

今も昔もスタッフから「あばよ!」をやってくれって、よく言われるんです。「あばよ!」をカットされることってほとんどなくて、この前撮った収録でもオープニングとロケ中に2回やったんですが、どっちもオンエアされましたし。

でも正直「あばよ!」も「いい夢見ろよ!」も卒業しようかなと思った時期があったんです。

――それは俳優としてのキャリアを考えてのことや、「あばよ!」を求められること自体にプレッシャーを感じていたから、ということでしょうか?

いや単純に飽きたから(笑)。

2000年代に入りかけぐらいのときですね。

僕は俳優志望でしたが、人を笑わせるのも大好きな性格。お笑い好きが高じて「ぎんざNOW!」(TBS系)にコンビで出演して、20代目チャンピオンにもなりましたから。

自分の性格的に人に喜ばれるとついつい笑わせちゃう。なので、自分で「もういいだろ」と思ったネタでも、いつの間にかやめられなくなってしまいます。

「あばよ!」に限らず、自分の持ち芸の「ひとり警視庁24時」「ひとり甲子園」なども同じで、自分が飽きたころに流行りだしたので、ブームが来たときに僕自身は冷めていたんですよ。

――これ以上、「あばよ!」を続けなくてもいいんじゃないか、もうそろそろ卒業してもいいんじゃないかとお考えになったということですね。

はい。でもやめようか迷っていたことを僕の大先輩である松方弘樹さんに相談したら一蹴されたんです。

「慎吾。やめるのは簡単だけど、やり続けることは難しい。絶対に自分のためになるから大切に続けなさい」って。



松方さんには、若いころにも「20代のうちからバラエティやクイズ番組、時代劇などいろんな引き出しを作っておいたほうがいい」とアドバイスされました。というのも、引き出しをたくさん持っていれば、潰しがきいて食っていけるから、と。

あのころは言葉の意味をまだよくわかっていませんでしたが、この年になってようやく続けてきてよかったなって思っています。

葬式は「あばよ!」で見送られたい!

――2007年には、「あばよ!」をフィーチャーしたセレクションCD「柳沢慎吾セレクション あばよ!!」をリリースされるなど「あばよ!」人気は留まるところを知りません。長らく愛されてきた言葉ですが、なぜここまで人気になったか、柳沢さんご自身のご見解を教えてください。

なんだろう。有名にはなったけど、ずっとスポットライトが当たっていなくて、日陰で生き続けてきた言葉だからかな? 実は「あばよ!」って流行語大賞になっていないんですよ。ノミネートされたことすらありません。

もちろん自分では大賞を獲ることができる言葉だとは思っているよ(笑)。でも逆にそうならなくてよかった。

流行語大賞って一度獲ってしまうと、一瞬は脚光を浴びますが、すぐに消費され尽くしちゃって消えちゃう。そう考えると、「あばよ!」は下手にもてはやされず、美味しいところだけもらって現在まで生き続けている言葉だって捉えることができるかもね。

――奥が深い!

あとは「あばよ!」って「さようなら」みたいな別れの挨拶じゃないんですよ。

ニュアンス的には「また会うときがあったらよろしく!」っていう感じで、関係にシャットアウトしてはいないんです。「また会える」と思える言葉だからこそ、今も愛してもらっているのかもしれないですね。

――卒業して別々の道に向かうとしても、またいつの日か会える。「あばよ!」はそんな気持ちにさせてくれる不思議な魅力がありますよね。では、つかぬことをおうかがいしますが、「あばよ!」で果たしたい夢とか野望とかってございますか……?

やっぱりハリウッド進出じゃないですか! 洋画のラストシーンでグーサイン出しながら「あばよ!」って言いたいもん(笑)。

んで、自分の葬式ではみんなから「あばよ!」って言われながら見送られる。「天国でもいい夢見ろよ!」って。まあそうなることは絶対わかっているから、夢じゃなくて、半ばもう決まっていることだけどね(笑)。

取材・文/中田椋/A4studio 撮影/井上たろう ヘアメイク/宮田裕香子