3000例を超える胃の手術経験を持つ外科医が語る、胃がんの手術で「胃の全摘出」はしないほうがいいこれだけの理由
3000例を超える胃の手術経験を持つ外科医が語る、胃がんの手術で「胃の全摘出」はしないほうがいいこれだけの理由

人間の体の中で「胃」の役割は単なる消化器官にとどまりません。じつは胃がんの手術において、胃を全部摘出しようという判断となっても、可能な限り残すことを検討すべき一部分があります。

3000例を超える胃の手術経験を持つ外科医・比企直樹医師の著書『100年食べられる胃』(サンマーク出版)より一部抜粋、再構成してお届けする。

胃はただの「袋」ではない

胃は、ただ食べた物を一時的に貯めておく「袋」ではありません。

胃は、消化の第一ステップであるだけでなく、食欲を司る臓器でもあります。

人は、食べることができないと、栄養が摂れず、力も出ず、免疫だって保たれません。胃を守ることは、「食べる」を守ること。私の外科医としてのポリシーは「食べること」を守るために、「残せないと言われた胃を残す」ことです。

実際、北里大学病院上部消化管外科を訪れた患者さんの多くが、胃を残して回復されているわけですが、ではなぜ、私たちは「がんを治しつつ、胃を残すことができる」のでしょうか。

元気にもりもり食べられる人と、小食であまり食べられない人の違いは「胃袋の大きさ」とお考えの人は多いのではないでしょうか。

胃袋が大きければたくさん食べられる、逆に、胃が小さいと食べられない──そんなイメージを持っている人がいるかもしれませんが、でも、実際にはそのような事実はなく、胃の大きさは食欲には関係ありません。

生命力の源ホルモン「グレリン」を守れ

同様に、胃がんの手術で、胃を大きく残すほど、術後の食欲も維持できるのかといえばそのようなことはなく、予後を大きく左右するのは、大きさではなくて「どこを残すか」ということです。

胃がんで「全摘しましょう」と言われたとしても、可能な限り残すことを検討すべき「胃の一部」──それは「胃の上部」、および「胃穹窿部(きゅうりゅうぶ)」と呼ばれる場所です。

大きめの餃子ほどの大きさのこの小さな部位こそ、食欲増進ホルモン「グレリン」が分泌される場所です。

胃穹窿部はグレリンを分泌し、グレリンが食欲をコントロールする脳の視床下部に作用することで食欲が刺激され、空腹感が生まれます。

グレリンの約9割が、この胃穹窿部から分泌されるため、ここが残っているかどうかが食欲におよぼす影響はとても大きいのです。

グレリンはおもに食べることや日内変動(朝、昼、晩とおなかがすきます)によって分泌量が調整され、胃穹窿部が残っている場合、胃が空になるとグレリンの量が増えて、食べ始めると減少します。

食欲が保たれ、おいしく食べ、栄養状態をいい状態に保つことができるかどうかは、グレリンの有無にかかっています。

手術で残った胃袋がどんなに大きくても、グレリンを分泌する胃穹窿部がなければ、食欲は維持されず、食べるということに障害が生まれます。つまり、生きる活力を守るには、グレリンの分泌を守ることが大事というわけです。

胃の全摘出をした患者の術後

がん研有明病院時代に私が調べたところでは、胃をすべて切り取る「胃全摘」の次に体重減少率が大きかったのは、胃を60%も残すことができる「噴門(ふんもん)側胃切除」でした。

噴門とは食道とつながる上方部分のことを言います。噴門側胃切除では、グレリンを分泌する胃穹窿部も一緒に切除してしまい、グレリンが分泌されなくなってしまいます。食欲が維持できず、体重減少につながってしまいます。

一方、残る胃は30%ほどと、胃の下部を大きく切除する「幽門(ゆうもん)側胃切除」や、胃穹窿部の餃子くらいの大きさしか残らない「亜全摘」(20%程度しか残らない)のほうが、切除部分は大きいものの、グレリン分泌の場所である「胃穹窿部」には手をつけないため、体重減少はわずかでした。

胃の大部分を切除したとしても、「胃穹窿部」を守り、食欲を守る手術方法が、「食べる」を守ることにつながることがわかりました。

当時、胃全摘手術を受けた患者さんのその後を調べると、あるデータに驚きました。

目下ステージⅠの胃がんの5年生存率は97・4%ですが、胃全摘をした85歳以上の患者さんでは、5年生存率が約60%まで低下していました。しかも、そのほとんどは胃がんではなくて、心臓病や脳梗塞など、他の病気が原因で亡くなっていたのです。

食べることに障害が生まれる

どうしてこのようなことが起こっていたのか。

私たちの研究でわかったのは、胃を全摘した患者さんは、グレリンを分泌する胃上部が切り取られてしまったことで、食欲増進ホルモンであるグレリンが分泌されなくなり、食べることに障害が生まれるということでした。

食欲不振や、味覚障害があらわれ、食べられる量が激減し、体重も筋肉量も減ってしまいます。体重が15%以上、筋肉が5%以上減少してしまうと、術後の抗がん剤治療は続けにくくなります。

さらに、胃全摘をすると低血糖を起こしやすくなり、心身をリラックスさせて身体の修復をうながす副交感神経が上手くはたらかなくなっていることもわかりました。十分な休息がとれないと、心臓の動きが悪くなり、血管が詰まる病気で亡くなるリスクが高まります。

胃がん手術の技術自体は年々進化していますから、高齢の方でも、栄養状態や体力が良好であれば、安全性に問題はありません。しかし、できるならば胃全摘は避けたほうがよいというのが私の結論です。

全摘するのではなく、胃のグレリンが分泌される部位を餃子ほどの大きさだけでも残すと、患者さんの術後の生活の質はまったく変わってきます。

文/比企直樹 写真/shutterstock

100年食べられる胃

比企 直樹
3000例を超える胃の手術経験を持つ外科医が語る、胃がんの手術で「胃の全摘出」はしないほうがいいこれだけの理由
100年食べられる胃
2025/2/281,540円(税込)192ページISBN: 978-4763141873

「生きる」ことは「食べる」ことです。
「生きる力」を高める、一生しっかり食べるための「胃」の話を、
胃がんトップ外科医が教えてくれました。


みなさんは、ご自分の「胃」のことをどのくらいご存じですか?
普段は暴飲暴食で無頓着、年に1回の健康診断で、ときどき思い出す……
くらいでしょうか?

胃には、食物を消化し、全身に栄養成分を送る役目だけでなく、
「食欲」そのものも司ることが、近年あきらかになりました。
消化の第1ステップにして、「食欲」を司る、
人体一の多機能臓器といえる「胃」。


その「胃」の外科手術で国内トップの腕を誇ると言われる比企直樹医師は、
手術において、胃の「ある部分」を残すことが、
手術後の健康と食欲を守ることを明らかにし、
その新しい手術方法を開発した医師。
3000をゆうに超える胃を見て、触れて、
誰よりも胃の真価とケアの大切さを知る医師が、
人生100年時代を健やかに生きるための、
胃とのつきあい方を教えてくれました。

胃そのもののことはもちろん、
病気のときの食べ方や、「筋力」を保つ方法もお伝えしています。
一生「食べられる」を守って元気に生きる秘訣がつまった本書。
ご自身はもちろん、ご家族の健やかな毎日のために、お役に立つこと請け合いです。

【目次より】
◎胃には「顔つき」がある
◎鍵は「胃の上部」にあり。生命力の源ホルモン「グレリン」を守れ
◎「糖質過多の食事」が逆流性食道炎の原因に!?
◎「内臓脂肪」が増えると逆流性食道炎になる理由
◎からだのあらゆる炎症は「胃が止まる」につながる
◎九死に一生を得る人は「栄養状態のいい人」だけ
◎誤嚥性肺炎につながる「口の衰え」を予防せよ
◎「心配なポリープ」「心配ないポリープ」どう見たらいい?
◎胃がんの原因の多くは「ピロリ菌」であることは間違いない
◎胃を全摘しないほうがよいこれだけの理由

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