
根も葉もない噂や、ゴシップを各種SNSで拡散する人たち、流れてくる情報を鵜呑みにしてしまう人々が増えてしまった現代では、民主主義の根幹である選挙にまでその影響が及んでいる。報道やジャーナリズムではなく、エンタメとして消費される情報の問題点とは?
2000年前の古代ローマ帝国時代から変わらぬ人の本性を書籍『座右のラテン語 人生に効く珠玉の名句65』より一部抜粋・再構成し、読み解く。
人はどうして噂を信じてしまうのか
ラテン語 本記事では、fama, malum qua non aliud velocius ullum「噂、これ以上速く進む悪は存在しない」です。ちなみにvelociusはvelox「速い」の比較級です。
ヤマザキ カフェ・ベローチェのveloce「速い」ですね。イタリア人の夫がこのカフェのネーミングを見て「カフェなのに寛げなさそうで、なんだか入れない」と一言漏らしたことがありました。
ラテン語 そうです。あれはスピーディーにコーヒーが出てくることを表した名前です。紹介した格言は、本書でも何度も出てきた『アエネーイス』で、女王ディードーがアエネーイスに熱を上げて、治政がおろそかになっているのではとカルタゴ人から噂されたことについて、ウェルギリウスが書いたものです。
ヤマザキ 信憑性の有無にかかわらず、噂というものは人の意識を巻き込む大きなエネルギーを持っていると言いますから。
ラテン語 そうなんです。火のないところに煙は立たぬとはよく言われますが、実際は火のないところに煙を立たせる人もいます。噂とはそういったものだと思います。
私も中学校時代、「あいつはテストでいい点を取ったから、誰々を見下している」という噂を流されて、すぐ後になって「調子に乗らないように」と別の人からたしなめられて、広まった噂に気づくということがありました。どうやら、私より少し下の点数の人が噂を広めていたようです。
ヤマザキ 噂を広げて可視化できない攻撃を仕掛けるのって、本当に非人道的で狡いなあ、と思います。噂という攻撃を受けた人は場合によっては疲弊し、ボロボロになって、生きる力を奪われたりもしますからね。週刊誌のゴシップもまた真実や真意が曖昧なのに、人の好奇心を煽ってその後の保証はしない。
まさにそれですよ。今は新聞やテレビの報道ですら信じられないという人たちも大勢います。とにかく、そういった媒体を含め、人が言ってることについては、面倒でも一旦は「それって本当なんだろうか」という疑念を持たないといけないと思います。
ラテン語 一時は信じるほうがコスパがいいんでしょうけど、後々になって噂に苦しめられるのは自分たちでしょう。例えば、オイルショックの時のトイレットペーパーの買い占めとか。
ヤマザキ コロナ禍でもいろいろありましたね。噂であろうと何であろうと、信じるっていうのは人のせいにできるから楽なんですよ。信じた人に裏切られれば裏切った人が悪いとなるし、噂に踊らされても、噂が悪いとなる。
イタリアみたいな国では「裏切られた」というと「信じたお前が悪い」と返されます。
ラテン語 「信じられぬと嘆くよりも人を信じて傷つくほうがいい」と歌う「贈る言葉」の反対ですね。
ヤマザキ 裏切られるという経験があまりなかった人の歌ですかね(笑)。
パンとサーカス
ヤマザキ 噂というものの威力越しに見えてくるのは、人という生き物の操られやすさです。panem et circenses「パンとサーカス」というのは、手短に人を寄せ集め、体よく操るための手段ですよね。
先ほども話しましたが、戦争に負けた後、日本はアメリカの支配下に置かれ、同時にアメリカが提供する様々な文化を積極的に吸収してきました。例えばロックやジャズのような音楽もそうだし、映画、ハンバーガーやピッツァのような食文化。
エンタメと食べ物は人々に生きる喜びや快楽を提供するコンテンツですから、日本人は喜んでそういったものを受け入れた。パンとサーカスは、それとまったく同じことです。
要するに、戦争で征服した属州に、コロシアムのような娯楽を楽しむ施設と食料供給網を持ち込むことで、現地の人々を喜ばせるわけです。
古代ローマ式領土拡張の大事な点は、まず支配した属州の風習、習慣、信仰には干渉はせずにローマ式な思想や文化を染み込ませていく。
ラテン語 穀物の無償配給は簡単に思いつきそうですが、娯楽も為政者の重要事と目を付けていたのがすごいですね。戦車競走であるとか。
ヤマザキ 円形劇場で行われていた闘技も、半円劇場で催されていた喜劇や悲劇といった演劇のエンタメ統治力も半端ありません。パンが肉体を満たす供給源であるのと同様に、サーカスは精神面に快楽という充足感を与えます。
スポーツ競技もオリンピックを見れば分かるように、古代から民衆を動かす力を備えたイベントとして、現代にまで受け継がれていますからね。
民放も娯楽のひとつ
ラテン語 娯楽の強力さは、アウグスティヌスの『告白』にも描写されています。真面目だった青年が友達に誘われて剣闘士競技を見に行きます。
最初のうちは競技場には行っても見ないように見ないようにと気をつけて目を閉じているのですが、観客の歓声といった熱気に当てられて遂に目を開くと、そこからはもう一気に引き込まれ、競技場に通うようになる。そんな話が載っています。
ヤマザキ 結局は群集心理ですよね。長いものに巻かれ、大きなものの一部になることで得られる掛け値なしの安心感。
エンタメを国策にしている国もあるくらいですからね。政治力としては受け入れられなくても、文化であれば、自覚もないまま人々の暮らしに侵入してきますから。
ちなみに、サーカスの語源がラテン語のcircus「輪」で、円形劇場に由来するのを知らない人は多いと思います。
『オリンピア・キュクロス』という漫画ではオリンピックをテーマにして古代ギリシャ人が1960年代にタイムスリップする物語を描きましたが、古代の人にしてみれば、今でも当時とさして変わらぬ様子のスポーツ競技場があることにびっくりすると思いますよ。私なぞ、東京の国立競技場の前を通るたびにコロッセオの現代版だと思ってしまいますから。
ラテン語 競技や娯楽で市民の政治への関心を失わせるという。
ヤマザキ そうですね。そう考えると、現代世界における表層的な「情報」というやつも、今や人を操作するエンタメの一種でしょう。
ラテン語 例えば民放は、まったくお金を払わずに見られる娯楽です。
ヤマザキ でも古代ローマ時代も、コロシアムの国が仕掛ける催し物を胡散くさいと思ったり、嫌う人もいたんですよ。
*注釈
カフェ・ベローチェ 首都圏を中心に展開する日本のカフェチェーン。
アウグスティヌス
354年~430年。神学者、司教。北アフリカ生まれ。マニ教を信奉していたが、新プラトン主義などの影響を受けてキリスト教に入信。教義の確立に寄与した。告白アウグスティヌスの自伝。マニ教入信など過去の過ちを告白し、キリスト教への回心を語る。
写真/shutterstock
座右のラテン語 人生に効く珠玉の名句65
ヤマザキ マリ、ラテン語さん
すべての悩みはローマに通ず
古代ローマを描いてきた漫画家と、気鋭のラテン語研究者。
ふたりが選びに選び抜き、語りに語り尽くしたラテン語格言の数々。
偉人たちの残した言葉の中に、人生に効く至言がきっと見つかる。
libenter homines id quod volunt credunt
人は自分の信じたいものを喜んで信じる
カエサル『ガリア戦記』
dimidium facti qui coepit habet
物事を始めた人は、その半分を達成している
ホラーティウス『書簡詩』
amicus certus in re incerta cernitur
確かな友情は不確かな状況で見分けられる
キケロー『友情論』(エンニウスの言葉)
……など65点を紹介。
※この対談は本書で初公開の語り下ろしです※
ホラーティウス、キケロー、ウェルギリウス、プリニウス、セネカ、カエサル……。
ローマ人の残した言葉を、二人が読み解いていく、スリリングな対談。
また、古代ローマ時代より後に生まれたラテン語も多数扱う。
二人はどんな時に、どんなラテン語に救われたのか。
創作の裏側にもつながるエピソードも多数明かされる。
はじめに ヤマザキマリ
第1章 人生と友情
第2章 芸術家のエネルギー
第3章 恋愛指南
第4章 ラテン語の表現世界
第5章 生き方について
第6章 為政者たちのラテン語
第7章 歴史の教訓
おわりに ラテン語さん