
相手に迷惑をかけてしまった時、日本人はすぐ「すみません」と口にしてしまう。お詫びではなく、誰かに親切にしてもらった時にも、口ぐせのようにそう言ってしまう人も多いだろう。
100万部突破のトリセツシリーズ最新作『対話のトリセツ ハイブリッド・コミュニケーションのすすめ』(黒川伊保子著)より抜粋・再編集して、そんな“魔法の言葉”について解説する。
「すみません」を「ありがとう」に換えると、世間が優しくなる
日本人は、「ありがとう」と言えばいいところを「すみません」と言う。外国語を習っていると、そう感じることがある。
たとえば、レストランが混んでいて待たされたとき、日本の店員さんは「お待たせしてすみません」と謝ってくれる。英語なら「Thank you for waiting」(待ってくれて、ありがとう)なのに。
混んでいるのも、客が予約せずに行ったのも、店のせいじゃないのに、謝ったとたんに、なんとなく自分の不手際のような気がして、店員さんの気が滅入るのではないかしら。一方、「待ってくださって、ありがとうございます」なら、同じ行列も「入れなくても待ってくれるお店のファンの列」に見えてくるはず。
客のほうも、「すみません」と言われると「早くしてね」と言いたくなるところを、「ありがとう」と言われると「自分の意思で待っていること」を再確認して「気にしないで」と言ってあげたくなるのでは?
「ありがとう」が言える店員さんのほうが前向きでいられるうえに、カスタマーハラスメントに遭いにくい気がする。
親切にしてもらったときも「すみません」と言う人が多い。「見ず知らずの人に、お手を煩わせてすみません」という謙虚な気持ちは美しいけれど、そんなふうにして生きていると、意識の真ん中に「人様の手を煩わすなんてダメ人間」という核のようなものができてしまうような気がする。そうしたら、大事なときに、人前で萎縮したり緊張したりしてしまわない?
そして、他人が「人様を煩わす行為」をしたとき、自分が自制している反動で、憤りを感じたり、イライラしたりもするのではないだろうか。「すみません」で暮らしていると、世間が生きづらく、厳しいところに感じてくるはず。
子育て中の短縮業務で定時より早く退勤するにあたって、本当に申し訳なさそうに「すみません、すみません」と言いつつ席を立つのもいかがなものかと私は思う。悪いこともしていないのに謝っていると、なんだか情けない気持ちになって、仕事も子育ても楽しめなくなってしまう。それでは、モチベーションも自己肯定感も下がって、あまりにももったいないので、私が上司なら、こういう「すみません」は禁止したいくらいだ。
とはいえ、職種によっては、やはり残ったメンバーにしわ寄せが行くこともあるはず。それなのに、何も言わずに、まるで定時退社のように帰られた日には、今度は周囲がイラついてモチベーションが下がるので、そこは「ありがとう」でカバーしよう。「お先に帰ります。(いつも支えてくださって)ありがとうございます」なら、言われたほうもそんなに悪い気はしないのでは?
「すみません」を「ありがとう」に換えると、失敗が怖くなくなる
とはいえ、謙虚な姿勢を美しいこととして育てられてきた日本人には、とっさの「ありがとう」は勇気がいるはず。でも、職場のマナーにしてあげれば、言えるのではないだろうか。私自身は、「すみません」と立ちすくむ部下には、「ありがとう」にしてね、と声をかける。これ、職場のキャンペーンにしてもよいのでは?
急ぎの案件や、顧客を巻き込むようなトラブルで「すみません」を言わざるを得ない場面を除いて、上司のミスの指摘には「ありがとう」と言おう。プライベートなことで席を立つときも、「ありがとう」で立とう、と。
「すみません」を「ありがとう」に換えると、情けない気持ちにならないので、上司のダメ出しが傷つかなくなる。結果、失敗にタフになれる。意欲が萎えないので、作業効率も上がる。いいことずくめでしょ?
「すみません」を「ありがとう」に換えると、世間が優しくなる――これは、何も職場に限らない。幼少期からそんなシーンを目撃していると、自然にできるようになるので、子育て中の方には、ぜひ、子どもたちの前で“「すみません」ではなく「ありがとう」”を実践してあげてほしい。
見知らぬ人に注意されたときでも、相手に実害がなければ、「ありがとうございます」で返せばいい。
発熱した幼子を連れて、薬局で調剤待ちをしているとき。子どもがだるがって抱きついてきたので、抱き上げて背中を撫でてやったら、離れたところに座っていた年配の婦人が「土足のまま!」と吐き捨てるように言ったとしたら(ちなみにこれは私の友人に起こった実話)、多くのお母さんは「すみません」と謝ると思う。けど、悲しい気持ちにならない? 母親失格な気がして情けなくて。
こういうときは、半ば笑顔で「ありがとうございます」と言いながら、手のひらかハンカチで靴裏をカバーすればいい。「気づいてくださって(粗相を未然に防いでくださって)、ありがとうございます」の意だが、「ありがとうございます」だけで通じる。
そうすれば、互いの意識の中で、「靴のまま椅子に上がらせる、ダメな母親」から「いつもはちゃんとしてるけど、今はいっぱいいっぱいでできなかった、大変なのに頑張ってるお母さん」に昇格する。
とっさの「ありがとう」、最初は勇気がいるけど、子どものためだと思って、勇気を出してください。
文/黒川伊保子 サムネイル写真/PhotoAC
対話のトリセツ ハイブリッド・コミュニケーションのすすめ
黒川伊保子
上司と部下、先輩と後輩、取引先、夫婦、親子……、いつも会話がすれ違うのは、じつは対話の様式が大きく違っているから。累計100万部超の「トリセツ」シリーズ産みの親が、満を持して書き下ろしたコミュニケーションの秘訣。
たとえば会社で部下として上司に話しかけるとき、家庭で妻として夫に話しかけるとき、親として子どもに話しかけるとき、人は無意識に置かれた立場によって2つの対話の様式を使い分けている。そしてそのとき、人はもう一方の対話様式のことに思いがいたらない。
なぜコミュニケーションはすれ違うのか、なぜ相手にイラっとするのか、なぜわかってもらえないと嘆くのか、すべてはこの対話様式の違いから始まっている。
長年の感性研究から見出された「タテ型」と「ヨコ型」という2つの神経回路。どちらも人類の生存に必須の2つの神経回路の違いが対話様式の違いにもつながっている。
その対話様式の違いを意識し、場面によってハイブリッドに使い分けをすることで、コミュニケーションが変わり人間関係も劇的に改善。全国民必読の対話の教科書。