
自宅の愛車に落書きされ、さらに店内に不法侵入され現金盗難と券売機破壊の被害に遭った二郎系ラーメン屋『めん屋五坊』の女性店主・川井さん。川井さんはグラビア全盛期の2000年代初期にイエローキャブに所属していた元グラドル“かわいかおり”だった。
悪質な営業妨害に遭ったラーメン店の店主は元グラビアアイドル
移転初日の営業日に悪質な嫌がらせを受けた『めん屋五坊』。その被害はニュース番組にも取り上げられたが、店主の川井さんはその際は顔も名前も出さず“女性店主”として取材に応じていた。
元グラドルであることは隠したかったのかと問うと「もちろん隠したかったです。ラーメンが美味しいと有名になりたかったからです」と照れくさそうに笑った。
川井さんのグラビア活動期間はわずか3年ほどだったが、人気上昇の最中での引退だった。
――もともと芸能界デビューのきっかけは何だったのですか?
川井さん(以下、同) 母が私を芸能界に入れたくて、オスカープロモーションに応募して15歳の時に入所しました。
入所当初は、学業優先でモデルなどのお仕事しかしていなかったのですが、その後「スーパー耐久レース」のイメージガールなどを経て、19歳でイエローキャブにスカウトされました。
それと同時に秋元康さんプロデュースの楽曲でデビューした『R.C.T.』というユニットに加入しました。
――当時はどんなお仕事をしていましたか。
イエローキャブ所属のグラドルを起用した『CRぱちんこイエローキャブ』の撮影やプロモーション活動、MEGUMIさんと一緒にイメージDVDに出たり、劇団ひとりさんとのラジオ番組をやらせていただいたり。あとは、毎週のように何かしらグラビア撮影をさせていただいていました。
――ということは、けっこう忙しかったですよね。
そうですね。私は高卒でそのまま芸能一本だったし、野田社長がバンバン仕事を入れて下さるから、基本お休みがない状態でした。
野田社長にはよく「体だけ使うな、頭を使って本を読め。頭を使えば体つきが締まるから!」と言われていました。でも私、文字を読むのがすごく苦手で……(笑)。
――かつてイエローキャブに所属していたMEGUMIさんや小池栄子さんとはお付き合いがあったのですか。
MEGUMIさんは地方ロケで一緒になった時など「部屋で話そうよ!」と気にかけて下さいましたし、サトエリ(佐藤江梨子)さんに「野球のチケット貰ったから一緒に行こうよ」と誘っていただいたり、私が結婚した時は小池栄子さんからもビデオメッセージをいただきました。先輩方には本当に可愛がっていただきました。
「本気でやるほど芸能のお仕事が好きではない」と引退を決意
――3年間ほどで活動を辞めたのはなぜだったのですか?
ありがたいことに深夜のドラマなどお芝居のお仕事もいただくようになり、そうなるとセリフを覚えないといけない。
でも、セリフ覚えに苦手意識があったのと「お芝居やるなら本気で取り組まないといけない」と思った時に、「本気でやるほど芸能のお仕事が好きではない」ことに気づいたんです。
――それで、引退後は何をしていたんですか。
デキ婚ではないのですが、引退後すぐに結婚をしたんです。また、15歳から芸能界以外のお仕事の経験がなかったので、正社員になって営業のお仕事を2年ほどしました。
その時に、夫と「何か商売をしたいね」とふたりでずっと話をしていて、夫も私も好きなラーメン屋をオープンしてみることにしたんです。
私も夫も豚骨系豆乳つけ麺や豆乳ラーメンが好きだったのですが、それとも違う新しいラーメンを生み出したかったんですね。
――その時はどんなラーメン屋さんだったんですか?
かなり斬新な油麺を生み出しました。とくに麺の上にホルモンを載せた「ホルメン」が名物で2店舗経営していました。
フードジャーナリストの、はんつ遠藤さんからも「今後、流行るだろう」ともお墨付きをいただいたのですが、収支のバランスがうまくいかず、2年ほどで辞めざるを得ない状態になりました。借金も1000万円ほど抱えてしまって……。
――なんと…その後はどうしたのですか。
夫はデイトレーダーの勉強を始めて、私は銀座のクラブで働きました。28歳頃だと思います。お店でもいい成績を残したのですが、銀座の敷居の高さがやはり私には向かないと思って…立川のキャバクラで働くようになりました。
――銀座からの立川ですか! 最高月収はどのくらいでしたか?
お店ではありがたいことにNo.1で常時月収100万円ほどはキープできてました。同伴はしましたが、アフターはしません。
おかげで借金も2年ほどで完済できました。
不妊治療、離婚…新たなパートナーと再出発したのに…
――たくましいですね! 完済後は、どんなお仕事を?
私、30代は絶対に子育てをしたいと思っていたので、不妊治療を始めて33歳の時に人工授精で第一子を授かりました。そして2人目、3人目と授かり、子育てをしながらいろんな業種の会社の事務職をしていました。
――旦那さんのデイトレの資産も順調に増えていたんですか?
それはぼちぼちですね……。まあ、その後、価値観や会話のすれ違いから旦那さんとは離婚したんです。
それで現在のパートナーに出会い、やはり大好きなラーメン屋さんにもう一度トライしたい思って、2022年に『めん屋五坊』を始めました。
――2022年に再びラーメン屋を始めた川井さんですが、こちらのお店もお休みしてた期間があるんですよね。
はい。『五坊』は二郎系にしては珍しい魚介系と豚バラ軟骨を掛け合わせたスープで沖縄そばのソーキなどを使ったアッサリ滑らかな味わいのラーメンで好評いただいていました。
しかし、1年間は頑張ったのですが、私もパートナーも体を壊してしまい、沖縄そばの本格的な研究も兼ねて1年間ほど沖縄に移住したんです。沖縄での出店も考えたのですが…うまくいかなくて。
――それで2店舗目となる『五坊』を再始動したんですね。
そうです。その店で昼はラーメン、夜は居酒屋を始めたかったのですが、立地的に夜の営業が難しかったので、移転することになりました。
そして、3店舗目の準備を今年3月末から4月12日までの間に急ピッチで行なっていたのですが、オープン当日の13日に今回の被害に遭いました。
――本当に大変な被害でしたね。被害届を出して、その後、捜査状況はいかがでしょうか。
今のところ、私たちはまだ何も聞いていません。毎日、営業再開の準備をしたり、車の落書きを落としたりと大忙しな日々です。
そんな中でも、やっぱり「犯人にここまで憎まれるようなことをしたの?」とか「犯人は私たちを苦しませて楽しんでいるの?」と思うと心が折れそうです。
現時点でも「やはりもう営業再開はやめようか」とさえ考えてしまう。でも「こんなことで負けたくない」という思いもあります。
――最後に、川井さんはどんな思いでラーメン屋を営業してきたんですか?
二郎系といえば「マシマシ」とかコールすることも醍醐味かもしれませんが、やっぱりコールしづらい女性もいると思うので、うちはコールせずとも食券で済むようにしています。
それもあってうちはカップルでくる方や女性のお客様も多いんです。
そういった方々含め、私やパートナーが美味しいと思って生み出したこの味を、たくさんのお客さんにお腹いっぱい食べてほしい気持ちです。
営業再開を目指しながらも「もう辞めてしまおうか」「でもこんなことで負けたくない」とふたつの気持ちで揺れ動いている川井さん。まずは一刻も早く犯人が逮捕されることを願うばかりだ。
取材・文/河合桃子 集英社オンライン編集部ニュース班