
お笑いコンビ、ダウンタウンがMCを担当するレギュラー番組『ダウンタウンDX』(読売テレビ・日本テレビ系)の放送が6月26日で終了することが発表された。松本人志が2024年1月より活動休止し、浜田雅功も今年3月より体調不良で休養に入ったことから、同番組は4月3日の放送より代役MCで対応していた。
『ダウンタウンDX』の終了と偉大さ
4月3日、かつてダウンタウンの二人が並び立っていたその立ち位置には、“代役トップバッター”のかまいたちがいた。
かまいたちの濱家隆一は、MCの浜田が木づちでよく叩いていたゴングを「1回、叩いとこ」と鳴らしてみせた。かまいたちにとってその瞬間は、恐れ多さと同時に「自分たちもついにここまで来たか」という達成感が得られたのではないだろうか。
以降も『ダウンタウンDX』は、千鳥(4月10日放送回)、ロンドンブーツ1号2号の田村淳(4月17日放送回)、東野幸治(4月24日放送回)らをブッキング。松本の復帰時期は依然として見えないが、とりあえず浜田が戻ってくるまでは“代役体制”で乗り切るものと思われていた。
ただ、ダウンタウン側より事務所を通じて「活動休止によって多くの関係者の方々にご迷惑をおかけしている」との意向が示され、番組側も総合的に判断して放送終了の決断に至ったという。
それにしてもなぜ『ダウンタウンDX』は放送終了し、他の冠番組である『水曜日のダウンタウン』(TBS系)、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)は続行できるのか。
これは極論だが、前者はダウンタウンがいないと成り立たず、後者の2番組は企画ありきとあってダウンタウン不在でもやっていけるからではないか。
『ダウンタウンDX』はトークメインの番組。MCであるダウンタウンの存在感はやはり大きく、代役MCに切り替わってからの違和感は強かった。
『ダウンタウンDX』は、若手時代のダウンタウンの可能性を広げたトークバラエティだった。番組が始まったのは1993年。
ただ、これらの番組に共通して言えたのは「内輪的なノリ」である。今田耕司、東野幸治ら大阪時代からの仲間や、ダウンタウンのノリがわかる近しい芸人たちでスクラムが組まれていた。
その一方で、バラエティ番組にゲストで呼ばれた際のダウンタウンは若手芸人の勢いで好き勝手に振る舞った。『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(日本テレビ系)では司会の逸見政孝さんに「このボケがぁ!」と暴言を吐き、大御所の加山雄三も「こら加山」と呼び捨てに。『笑っていいとも!』(フジテレビ系)でも司会のタモリを呼び捨てにしたり、強くツッコミを入れたりした。
浜田は自著『がんさく』(1997年/ワニブックス)で、
「東京に来て最初のころは。木を切り倒すのに必死やったなぁ~。“何やこいつら、メチャクチャやなあ、何もんや!?” まず人にそう思わせなあかん」
「ダウンタウンが出てきたら、何しよるかわからへん、見てる人がそんなん思う状況を少しでも早う作りたかったんですよ」
と明かしている。そのように当時のダウンタウンは、良くも、悪くも責任を負うことなく自分たちのフィールドの中で暴れ回っていた。
『ダウンタウンDX』は“タレント仕事”
ところがゴールデンタイムのMCに抜てきされた『ダウンタウンDX』は、そうはいかなかった。今思い返すと、『ダウンタウンDX』はダウンタウンが初めて「外を向くきっかけ」になった番組だ。
実際に松本は自著『「松本」の「遺書」』(1997年/朝日新聞出版社)で、
「お笑いタレントとしてまっとうな仕事は『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』と『ごっつええ感じ』だけやから、その二本だけやっていたらいいやけど、そうもいかへんからねえ」
と綴っている。
つまり『ダウンタウンDX』は、自分たちの“お笑い”とは別軸の“タレント仕事”であるということなのだ。そんな同番組の初期のコンセプトは、現在のスタイルとは異なり、大物ゲストを呼んでじっくり話を訊くものだった。
第1回はなんと俳優の菅原文太。今でこそどんなゲストが相手でも物怖じせずに進行できるダウンタウンだが、当時はそれができなかった。トークはたどたどしく、そのぎこちなさが見ている側の緊張感を高めた。浜田、松本の喉の渇きや唾を飲み込む音が視聴者にまで伝わってきそうだった。
筆者が印象に残っているのは、ボクサーの辰吉丈一郎の出演回。世界王者陥落や返り咲き、網膜剥離による引退危機、薬師寺保栄との死闘での敗北などにより、辰吉には常に進退の話題がついてまわった。
そんな渦中の辰吉を『ダウンタウンDX』はゲストに迎えた。浜田はそこで辰吉に「もしボクシングを辞めたらどうするのか」としつこく尋ねた。だが、「ボクシングを辞める」という概念がそもそもなく、実際に54歳になった現在でも現役を続けている辰吉とは話が噛み合うはずもなかった。
今の浜田であれば、たとえば2022年7月26日放送『ごぶごぶ』(MBS)で那須川天心との世紀の一戦に敗れて傷心の武尊に対し「なんかあったん?」とうそぶきながら、ゲストの現状や考えをうまく引き出すことができたはず。
しかし当時のダウンタウンは明らかにトーク番組を進めるための、スキル、経験が不足しているように見えた。しかもその生々しいまでのぎこちなさが、ほとんど編集されることなく放送されていた。
最終回でダウンタウンは何を語るのか
『ダウンタウンDX』はダウンタウンにとって「外の世界」へ踏み出す大きなきっかけとなった。そして、のちに確固たるポジションを築く基盤にもなった。
松本は自著『松本人志 仕事の流儀』(2011年/ヨシモトブックス)で、『ダウンタウンDX』の番組名を挙げながら、大勢のゲストがひな壇に座って進行するタイプのトーク番組では、最初の15分から20分はゲストたちがポジション争いを繰り広げると言い、そこで司会者はゲスト一人ひとりにどんな方向性や役割を与えるか見極めなければいけないと記していた。
たしかにバラエティ番組でのダウンタウンの立ち回り方を見ていると、そういったスキルを感じ取ることができる。これらはやはり『ダウンタウンDX』で身につけたものに違いはないだろう。そう考えると、『ダウンタウンDX』の存在の大きさがわかる。
お笑い界、いや、芸能界の頂点までのぼりつめたダウンタウン。そんな彼らの成長を後押しした『ダウンタウンDX』の幕が下ろされる、それはダウンタウン時代の終えんが間近であることを印象づける。
それにしても6月26日の最終回はどのように迎えるのだろうか。浜田はもちろんのこと、松本もさすがにノーリアクションではいられないはずだ。
文/田辺ユウキ