“元プロ野球選手”高森勇旗、現役引退後にビジネスコンサルの道へ、野望は「120歳まで生きること」
“元プロ野球選手”高森勇旗、現役引退後にビジネスコンサルの道へ、野望は「120歳まで生きること」

毎年120人以上が“クビ”になるプロ野球界。彼らのセカンドキャリアは、その大半がコーチや球団職員など野球関連の仕事となるが、なかにはまったく別ジャンルの分野へ挑戦する人間もいる。

2012年に戦力外通告を受けた元DeNAの高森勇旗氏は、野球以外の世界でひとつの結果を残したひとりだ。球界を追われた男の逆襲劇に迫る。〈前後編の前編〉 

セカンドキャリア形成に2年間の猶予が必要

「2ボールから待っていたフォークを空振りした村田修一」

「右中間にスリーベースを打った直後の新井貴浩」

「小笠原道大のスーパースロー映像」

1軍試合出場わずか2試合の元DeNA・高森勇旗は知らなくても、上記のモノマネをしていたプロ野球選手の存在なら、記憶しているファンは少なくないだろう。

その見事な形態模写とトーク力から、引退発表後はあるスポーツ新聞に「元DeNA高森 タレント転身」という見出しが躍ったこともあった。

あれから13年。高森勇旗はビジネスシーンの第一線にいた。

――現在はアナリスト、ライター、ビジネスコーチなどいろいろな活動をしている高森さん。どれがメインの肩書なんでしょう?

高森勇旗(以下、同) う~ん……どれも違和感がありますね。強いて言うなら、“元プロ野球選手”かな(笑)。

――その肩書に頼る必要もないくらいマルチにご活躍だと思いますが。

たしかに、(選手時代のことは)もはや前世の記憶です。

――現役引退後はどのようなキャリアを辿ったのですか?

引退直後は「2年間で何かひとつは形にしたい」といろいろやったんです。野球教室に始まり、パソコンが得意だったのでエンジニアとして野球のデータ解析のシステムを作ったり、アスリートのイベントディレクターもやりました。

――「2年間」という期間を決めたのはなぜですか?

セカンドキャリアに対する意思決定の猶予期間にはそのくらい必要だと思ったからです。引退して「お金を稼がなければいけない」「何もしてないと思われたくない」という気持ちがあると、体裁を守るためだけにとりあえずの仕事を決めてしまう。このような焦りがセカンドキャリア形成において最大の敵なんです。

幸い僕は共済金と車を売ったお金で700万円のキャッシュがあったので、2年間、じっくり考えながら生きることができました。

――それと当時から今まで、ライター活動もされてます。

高校時代から僕は取材を受けて書かれる側だったんですが、自分の記事を読んで、大変僭越ながら「これなら俺のほうがうまく書けるな」って気持ちがあったんです。

特に2軍って、シビアな勝負の世界である1軍とはまた違って、いろんな感情が渦巻く悲哀だらけの世界。この世界を言語化している人が誰もいなかったから、「2軍生活が長かった自分なら書けるんじゃないか?」と思って書き始めたのが最初ですね。

――幼少期から大の読書家だったということで、正直、小説も書けるんじゃないかってレベルの文章力では。

そうですね。いつか書きたいと思ってます。

月収150万円じゃ納得できず

――いろいろな仕事をする中で気づきはありましたか?

野球教室、エンジニア、ライター、イベントの仕事などでの稼ぎをかき集めると26歳で月収150万円にはなってたんです。

でも、どれも僕にとっては未来に対する投資ではなかった。

例えば野球教室だとしたら、僕は“元プロ野球選手”という肩書があるから呼ばれていただけで、毎年どんどん元プロ野球選手は増えていくのだから、賞味期限はせいぜい3年間。

エンジニアとして将来どうするってイメージもなかったし、ライターはそんなにお金にならない。

それなのにストレスフリーで、かき集めたら収入はある程度ある。このままだと世の中を舐めてしまうから、もっとストレスのかかる状況に身を置きたいと思い、ビジネスど真ん中のポジションで仕事をすることを決めたんです。

――今は“ビジネスコーチ”とも名乗っていますね。

はい。経営のコーチング、いわゆるコンサルタントとしてさまざまな企業に関わるようになったのが27歳のころです。

――コンサルタントって一般の人がなかなかイメージしづらい仕事ですが、具体的にどんなことをしているんですか?

端的に言うと、企業が抱えているさまざまな問題を解決するサポートですね。気合いや根性という言葉をできるだけ排除し、問題解決へのプロセスを明確にしてゴールへ導くと。

――「何も知らない外部の人間が!」みたいな感じにはならないんですか?

もちろんあります。経営者は内部から変えられないと思って僕に依頼をしますが、他の幹部の人たちにとって僕は完全に部外者ですからね。でも何も知らないほうがいいこともいっぱいあるんで。

――ストレスがスゴそう……。

思い描いていたストレスを感じられてます(笑)。そうやっていろんな会社に出入りして会社の業績を具体的に変えてきたこの10年でした。今は取引先が毎年12社はあるという状態です。

盟友・梶谷隆幸に与えた影響

――2024年度の経営コンサルの倒産が過去最多とのニュースもありましたが、そういった会社と高森さんとはどのような違いがあるんでしょうか?

倒産する会社はコンサルティング能力が低いことに尽きると思います。

一般的にコンサルティングって情報がないところに情報を提供するわけじゃないですか。でも僕は企業の問題を解決することに興味があるんです。

目標に対して課題は何なのか、課題をクリアするために明日からどうアクションするのか、どうしたら社員がそのアクションを取ってくれるのか、そのあたりを明確にして企業にアドバイスをしています。

――厳しいコンサルシーンで生き抜く高森さん。ぶっちゃけいくら稼いでるんですか?

このSNS全盛の現代で、「余計なことを言わない」と決めてるのでご想像におまかせします(笑)。あえて言うなら……同期入団のカジ(梶谷隆幸)とご飯に行っても、ご馳走にならなくて済む、くらいでしょうか。

――昨年引退した梶谷さんもコーチの打診を断って、球界以外の仕事を模索しているそうですね。

これも高森さんの影響?

大いにあると思います。彼は今、現役時代の疲れを癒す休養期間をとってますが、すごくいろいろ考えている。ああ見えて頭がよくて、お金に対する嗅覚が非常にあるんですよ。

ふたりでビジネスの話をすると、僕でも聞いたことのないビジネス用語を出してきたり、「どこそこの会社の営業利益率が……」なんて言ってきますからね。

――まったく想像できない……。

ですよね? 僕も未だに違和感があります(笑)。いずれにしても今後、彼が経済的に困ることはないと思いますよ。

――では高森さん自身の将来の野望はありますか?

全然ビジネスとは関係ないですが、120歳まで生きることですね。

――それはなぜ?

いつかテレポーテーション(瞬間移動)ができる日が確実に来ると思っていて、それを見届けないと死ねないじゃないですか。

身体の移動ができなくても、仮の肉体に意識だけ移植することは可能だと思うんです。きっと60年後には実用化されるでしょう。でも健康じゃないと転送できなそう。

だから120歳まで健康に生きるのが目標です。

――もうそれで小説を書いたらどうでしょうか(笑)。後編は「地獄だった」というプロ野球生活を回想してもらいます。

 取材・文/武松佑季 撮影/矢島泰輔 

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