アメリカZ世代の絶望「他国の成功から学ぶ」ことができない以上、トランプを倒しても次の独裁者が大統領になるだけ
アメリカZ世代の絶望「他国の成功から学ぶ」ことができない以上、トランプを倒しても次の独裁者が大統領になるだけ

巨額の学生ローンや低賃金、賃貸のコストの高騰。アメリカの多くのZ世代の若者にとって親の世代が享受してきた経済的な安定を手に入れることは難しい状況だ。

2016年と2020年、ともに選挙で敗れたが「メディケア・フォー・オール」(国民皆保険)を掲げた左派のバーニー・サンダースが支持を集めた理由はそこにある。だがたとえ彼が政権をとっていたとしても、根本的な変革には繋がらなかったと指摘するのが、アメリカの政治に詳しい三牧聖子氏だ。氏によると「トランプを打倒しても、次の独裁者が大統領になるだけ」だという。多様性への敬意を欠き、他国に学ぶことができないアメリカの根本的な誤りについて哲学者の李舜志氏が話を聞いた。

終わっていなかった帝国主義

 最近、面白い動画を発見したんです。「ベルリン・天使の詩」で知られるドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースが、「自由への鍵」という4分くらいの動画をYouTubeで公開しています。

フランスのランス市にある学校が、第二次世界大戦中に連合国の臨時司令部になっていて、アイゼンハワーが戦争が終わった後にランス市の市長に司令部の鍵を返す時に、「これが自由への鍵だよ」と言って渡したという。鍵は今もそのランス市の学校に展示されているんですけど、今では誰もほとんど覚えてない状況の中で、ヴェンダースがそれを見に行くんです。そして最後に「もうアンクル・サムは今までのように世界の自由を守ってくれないだろう。私たちの自由は私たちで守らなきゃいけない」と述懐する。そんなあらすじです。

まさにヨーロッパが「アメリカはもう頼りにできない」というメッセージを明確に打ち出してきているのを見て、感慨に浸っていたところ、同じドイツの首相が、イスラエルのイランの核施設への攻撃に対して、「イスラエルは人類の汚れ仕事をしてくれている」と言い出して……。ヨーロッパも一体どうなっているのか?と。

三牧 ドイツの親イスラエルぶりを踏まえたとしても、衝撃的な発言でしたよね、まず核施設を攻撃するのは、非常に危険なことで、しかもこれは国際法が認めていない「予防攻撃」。それを「人類のための汚れ仕事」と言ったわけです。

西洋の政治思想の歴史において、欧米がいかに「人類」という言葉を、自分たちの帝国主義や植民地主義を正当化するために使用してきたかを考えても、あまりに大きな問題がある発言です。一応我々が生きている今の世界は「帝国主義や植民地主義は終わった」という立てつけで、中小国も主権を認められ、国連の加盟国になっています。ですが現実には、西洋の植民地主義的なメンタリティーも、形を変えつつも実態は残っていて、それがドイツという先進国の首相の口をついて出たというわけでしょう。

こうしてG7が道義的に凋落する今、一体どこが自由や民主主義のリーダーなのか。そこで台湾が浮上するわけですが、オードリー・タンさんが面白いなと思うのは、民主主義の価値を信じつつも、「我々台湾こそが素晴らしい価値を体現している」とナショナリスティックな話にはしない。

むしろ、その素晴らしい台湾が形成される過程には、アメリカや中国、EUなど他国や地域からの重要な学びがあったと、あくまで世界のそれぞれの地域に、歴史・文化に即した素晴らしい面があり、それぞれが学び合うことができるという謙虚な姿勢がある。

「自分たちは素晴らしい民主主義を実現した」と、歩みを止めてしまうのではなく、世界の他の地域ではどういう実践があって、何を学ぶ必要があるのかを常に観察し、民主主義は絶えず更新し続けていく。

対照的に、アメリカはずっと体制間競争をしてきている国で、自分たちが最も素晴らしい価値を体現していたから、冷戦ではソ連に勝ったのだと自負する。非欧米世界への「民主主義の輸出」の名目で戦争までする。そしてその後は中国を相手に、また体制間競争をしている。

アメリカ外交の歴史において、民主主義は非常に頻繁に、非欧米地域への蔑視や優越感、さらには暴力を伴ってきました。
 
こうした民主主義論を克服し、他の地域や文化に対する尊敬と共存の意思を伴った民主主義論への希望としても、『PLURALITY』は重要ですね。

 アメリカってそういう意味では、「普遍」を自称している割にかなり特殊なところがある気がします。反トランプの「ノー・キングス」デモにしても、「我々は王政を廃止した」というところにアメリカたるアイデンティティーを強調していたことが興味深い。その一方で、じゃあ誕生日を祝う軍事パレードのような「トランプ的なもの」は反アメリカなのか? そこのところを僕は知りたくて。

ひとつの国の中に「リベラルデモクラシー的なもの」と「トランプ的なもの」が相反して共存してしまっている、アメリカってそういう国なのかな?と思ったんですけど。

三牧 それは非常に本質的な問いで、私も断定的には答えられないのですが、「アメリカ例外主義」という言葉があって、これはアメリカ外交を見るうえでのキーワードだと思います。

アメリカはなぜ例外主義をやめないのか

三牧 アメリカは歴史的に見ると、かなり極端な対外政策を追求してきました。建国当初はそれこそ「我々は素晴らしい国なので世界には関わらない」ということで、世界に対する孤立主義をとっていた。それが二つの世界大戦を通じて、やはり世界はアメリカの介入を必要としているのだとして、世界の様々な地域に介入し、世界の警察官を自負するようになる。

孤立から介入へ、とこの二つの外交政策は真逆に見えますが、介入へと転換したからといって、「アメリカは素晴らしい」というマインドは変わらなかった。なので、世界との関わりも、「アメリカの素晴らしい価値を受け入れさせる」「アメリカの素晴らしい政治体制を輸出する」という一方向的なものになる。

世界の多様な国・地域から何をどう学ぶか、という逆ベクトルはほとんどない。

結局、自国の優越を前提とする孤立主義的なマインドは変わらないまま、アメリカは世界への介入へと踏み切った。確かにトランプ政権になってアメリカはいよいよ国連や多国間主義に背を向けていますが、「自分たちよりはるかに小さい国と平等なんて」という感覚は、アメリカで広く共有されており、決してトランプだけのものではない。

しかし、世界の多様性への敬意を欠き、国内はどんどん分断して弱まり、アメリカは今、本当なら、民主主義がそれなりに機能している国から学ばなければならない状況です。しかし、なかなか「他国の成功から学ぶ」という発想へと切り替えられない。なぜなら、今までずっと「自分たちが一番素晴らしい」でやってきたから。「我々は素晴らしい」という意識が、問題を直視して他国から学ぶことを邪魔している。これがアメリカの政治社会の膠着の根本原因の1つだと考えています。

そうした意味で、左派の上院議員バーニー・サンダースは、アメリカでは稀な存在です。彼が掲げる「メディケア・フォー・オール」(国民皆保険)は、北欧の福祉国家をモデルにしています。他国の良いところを学び、取り入れようという政治家がこれほどの人気を得たこと自体、アメリカでは特殊な現象であり、もはやそうした現象が起きるほどにアメリカという国にはガタがきている。しかし、結局サンダースも既成政治の壁に阻まれて、大統領にはなれなかった。

 アメリカのいろいろな国への軍事介入や内政干渉が、これまで問題にされなかったことにはいくつかの理由があると思うんですけど、内田樹先生も対談の時におっしゃっていたのが、サブカルチャーによる自己批判があったからだと。

ベトナム戦争が終わった後に、「ディア・ハンター」や「地獄の黙示録」「タクシードライバー」などの自己批判的な「アメリカンニューシネマ」と呼ばれた映画、他にも音楽や小説がいっぱい出てきて、「決定的にアメリカは敗北した」と世界に向けて総括した。

その後80年代になって、バックラッシュでマッチョな映画も生まれたりするんですけど、やはりアメリカという国には自由と開放性があって、「アメリカにいれば自国の戦争を批判することすらできる」というような。それは日本とかアメリカにいたら普通に思えることかもしれないですけど、実はそれができる国はかなり少ない。アメリカにはそういった「ソフトパワー的な魅力」というものがやはりあったと思うんですね。

ただ、それは徐々に失われていって、今では留学すらできなくなっている。そのように衰退の道を進んでいるアメリカですが、Z世代のサンダース支持のように、「アメリカも謙虚に学ぶべきだ」というメッセージが若い世代に響いているのだとしたら、まだ希望もあるのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

三牧 内田先生のおっしゃりたいこと、非常によくわかります。アメリカって大きな間違いをさんざん繰り返してきた国なんですね。中でも最大の間違いのひとつはベトナム戦争で、ベトナム側におよそ300万人もの犠牲者を出すという、大変な破壊と回復できないダメージを負わせてしまった。

ベトナムからアメリカが全面撤退した後、思想家ダニエル・ベルは「アメリカ例外主義の終わり」という論考を出して、時代の雰囲気を言語化しました。「アメリカの例外的で素晴らしい価値を広めるために、私たちが実際やってきたことは、この破壊と殺戮であった。アメリカは例外的な国家ではなく、深刻な過ちを犯すのかもしれない」、そのような自省が当時のアメリカには生まれました。

しかしこうした自省は根本的なものにはなりませんでした。

1980年代に入ると、「Make America Great Again(アメリカを再び偉大に)」を掲げるレーガン政権が誕生します。ベトナム戦争という壊滅的な失敗ですら、アメリカの独善的な自画像を変えることはできなかった。結局のところ、「ベトナム戦争が示すように、確かにアメリカは度々道を誤ることがあるけど、自分たちで反省し、最後には軌道修正して正しい方向を歩めるのだ」というように、ベトナム戦争までもが、「アメリカ例外主義」を強化する言説に組み込まれてしまった。間違うけど修正できる、修正できる私たちは素晴らしいのだ、と。

「打倒トランプ!」の先にあるもの

三牧 ですから、たとえトランプ政権が打倒されたとしても、「私たちはトランプ的なものを克服した」という成功体験がアメリカ例外主義をさらに強化するならば、それは「トランプ的なもの」を本当に乗り越えたとはいえないのではないか、とも思うのです。

トランプ後のアメリカには、トランプのような政治家が生み出された自国の土壌を真摯に反省し、謙虚な姿勢で他国の成功を参考にアメリカを立て直し、多様な存在を認めあう多元的な国際秩序を模索してほしい。しかし、「我々はトランプの脅威すら乗り越えることができた、いよいよ素晴らしい」と、アメリカ例外主義をむしろこじらせてしまう可能性もあります。

ベトナム戦争で300万人が犠牲になった、2001年の9.11テロを受けて開始された「テロとの戦い」に全世界の市民40万人が巻き添えになって犠牲になった、このレベルの大惨事を引き起こしてしまったら、「我々の国は根源的な過ちを犯しているのではないか?」という原罪レベルの罪悪感に苛 さいなまれ、何年も、何十年も反省がなされるべきですが、そうした反省の気配はないし、アメリカ例外主義が根本から問い直されることはついぞなかった。

「トランプを乗り越えなきゃいけない」という時に、単にトランプという個人を標的にするのではなく、他国を尊重しない「例外主義的な思考の型」を根源から問い直す必要があります。そうしない限り、すぐにまたトランプ的なものが誕生するでしょうから、克服の仕方も問われます。トランプが政界を去ったとしても、共和党の最有力大統領候補は「トランプ以上の米国第一主義者」ともいわれる副大統領のJ.D.バンスですし。

 今、J.D.バンスの名前が出ましたが、彼の自伝的小説である『ヒルビリー・エレジー』がすごく評価されているんですね。でも僕は『絶望死のアメリカ』という本を先に読んでいたせいかもしれないですけど、そんなに感心しなかった。

読みながらずっと、「じゃあ何でトランプの副大統領をしているの?」という「?」が付いていました。それに、2016年ぐらいの時点では、バンスはトランプを批判しているんです。

三牧 そうした批判ツイートを全消しして、トランプに詫びを入れて、2022年の上院議員選挙でトランプの公認を得て勝利しましたからね。

 だからイーロン・マスクも非常に問題ある人ですけど、バンスと比べると、「アメリカの債務を減らしたい」という信念の下、トランプと対立したマスクの方が、まだましだったんじゃないかとすら思えてきます。

今トランプがやっている公助の削減は、極貧の中から公助に支えられて、バンスがエリート的な出世を果たし、アメリカンドリームを掴んだ、その芽を摘むような政策ですよ。

三牧 そうですね。今、トランプ政権が通そうとしている減税法案、あれは高所得者層ほど恩恵が厚く、低所得者層にとっては、減税の恩恵より、社会保障や食糧支援のカットによるマイナスの方がはるかに大きい。「労働者のための大統領」と掲げ、労働者票を積み上げて勝利したトランプが、権力を握るや否や、労働者を裏切っている。

 『ヒルビリー・エレジー』を読んでいると、「州立大学に行くより、私立大学に行く方が奨学金か助成金をいっぱいもらえるから授業料が安いんだ」とか書いてあって、「いや、あなた。めっちゃ助けられているじゃないですか!」と思って。バンスは書いていることと、今やっていることが違いすぎます。トランプ批判のツイートを全消しして、変節して、そこまでして実現したい何かがあるのか。

三牧 やはり、大統領の座なのではないでしょうか。

 権力欲だけしかない人物なのか……。ともかく、あの本は少し警戒した方がいいように思いながら、読んでいました。

「曖昧な存在」から見えてくる世界へ

 今日お聞きしたかったことがあります。これは三牧先生の共著『自壊する欧米』のお相手の内藤正典先生がおっしゃっていたことで、日本は非欧米圏では比較的中立と思われている、という点についてです。「アメリカのアフガン侵攻で、日本は軍隊を送らず、アフガニスタン人も殺さなかったから、タリバンからは中立と思われている」という一節。このニュートラルな立場から、日本が現在の混迷するイスラエルとかガザやイランの情勢に対してできることって、何か先生、お考えはありますか。

三牧 ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻、そしてイスラエルのイランへの攻撃。いずれもまず国際法に照らして、国際道義に照らして、侵略した側、攻撃した側を批判することは大事です。ただ、実際に戦争をどう止めて犠牲を少しでも小さくするのか、という問題は、そうした善悪の判断とは、少し次元が異なる話になりますよね。

実は昨日、ロシア研究者の上田洋子さんと対談する機会があって、そこで上田さんがイスラエルのイラン攻撃と、何らイスラエル批判をせず、イランだけを一方的に批判したG7の共同声明について、「もしG8だったら……」とおっしゃったんです。以前はG8だったのが、ロシアがクリミア半島を併合したことを受けて、ロシアを除名してG7になったわけですよね。

しかし今のG7の中には、イランと話せるメンツがいない。イランを悪魔視して攻撃に賛成する、同質的な人たちばかり揃っている。だから今のような局面では、イランと話せるロシアのような存在がいた方がよかったのではないかと。

私にはそのような発想はなかったので、蒙を啓かれました。今もウクライナ侵略を続けるロシアを、侵略をやめてもいないのにG7に再び迎え入れることは道義にはかなっていないかもしれません。でもそのことによって開かれる対話があり、停戦や平和に一歩近づけるかもしれない。言われてみると、論理としてはよく理解できる。多様な存在のあるところに、多様な平和の可能性が開かれるわけですね。

石破首相は、イスラエルのイラン攻撃直後は、「到底許容できるものではない」とかなり強い言葉でイスラエルの攻撃を批判した。これは国際法上、正当化が難しい予防攻撃ですので、石破首相の認識は正しいものだと思います。

しかしだんだんその後批判のトーンが薄れていって、G7の共同声明では石破発言の影も形も無くなっていました。しかし、日本という非欧米の存在がいたことで、イスラエルとイランの問題に関しても、G7には潜在的には違う見解が存在していたわけですよね。やはり多様性は大事です。

G7は今まで、「法の支配」や人権、民主主義といった価値を共有していることを強みとし、そうした共同体であろうとしてきた。しかし、G7が様々な意味で限界を迎えている今、G20やBRICSといった、イデオロギー的な共通性よりも、むしろ雑多性を特徴とした、多様な意見や存在を包含した枠組みも活用していかないと、ウクライナ、ガザ、イラン、イスラエルと、違う力学の働く紛争を抱えた世界は、立ち行かない状況になっていくのではないでしょうか。

そういう意味では、G7の中で、日本はいい意味で不協和音をもたらせる存在であってほしいと思います。我々は歴史的にも地理的な条件も、欧米諸国とは様々に異なるわけです。そうした存在として、国連や、非欧米の大半の国々が「イスラエルの軍事行動は、法的にも、道義的にもあってはならない」とあげている声を、欧米に伝える役割は果たしてほしい。

 そうですね、G7の一員であり、中国もロシアもいないG7の中で、やはり日本というのはヨーロッパでもないし、アメリカでもない、アジア。それでも民主主義を否定はしないし、権威主義国家でもない。そう考えると、日本は貴重なポジションというか、その独自性を今後は生かしていくべきで、生かす機会が増えていくということですね。

三牧 日本自体が曖昧な存在ゆえに、「あの国は非民主主義的だから断交しよう」みたいな、ある国を一方的に断罪し、関係を断つ、といった極端な発想が生まれにくいところはあるかもしれません。逆にアメリカは、自分たちの民主主義に誇りを持ちすぎたがゆえに、「あの国は非民主主義的だから今叩いておいた方がいい」とか、さらには「レジームチェンジ(体制転換)だ」とか、そういう発想にどうしても陥りやすく、軍事力行使のような極端な手段がとられてしまう。

日本の民主主義は、様々にまだ問題を抱えていて、改善に努めていかなければなりませんが、「日本は一応民主主義だけれど、あまり素晴らしい民主主義とは言えない」といった、自国への冷めた認識、不完全さの認識というのがあると、他国に対しても謙虚になれる。

ウクライナ戦争開始から約3年経ち、ガザでのイスラエルの軍事行動も1年半以上続いています。ロシアとイスラエルの軍事行動を何としても止めなければなりませんが、同時に国際社会は、こうした暴力性を抱え、国際法を軽視する国々を長期的にどう包摂していくかという課題にも応えていかなければならない。

非常に難しい問いですが、『PLURALITY』とその最良の解説書である李さんのご本は、こうした世界平和の根本課題についても、大変に示唆的な本であると確信しています。

構成/高山リョウ 撮影/内藤サトル

PLURALITY 対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来

オードリー・タン (著)、 E・グレン・ワイル (著)、 山形浩生 (翻訳)、⿻ Community (その他)
アメリカZ世代の絶望「他国の成功から学ぶ」ことができない以上、トランプを倒しても次の独裁者が大統領になるだけ
PLURALITY 対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来
2025/5/23,300円(税込)624ページISBN: 978-4909044570

世界はひとつの声に支配されるべきではない。

対立を創造に変え、新たな可能性を生む。
プルラリティはそのための道標だ。

空前の技術革新の時代。
AIや大規模プラットフォームは世界をつなぐと同時に分断も生んだ。
だが技術は本来、信頼と協働の仲介者であるべきだ。

複雑な歴史と幾多の分断を越えてきた台湾。
この島で生まれたデジタル民主主義は、その実践例だ。
人々の声を可視化し、多数決が見落としてきた意志の強さをすくい上げる。
多様な声が響き合い、民主的な対話が社会のゆく道を決める。

ひるがえって日本。
少子高齢化、社会の多様化、政治的諦観……。
様々な課題に直面しながら、私たちは社会的分断をいまだ超えられずにいる。

しかし、伝統と革新が同時に息づく日本にこそ、照らせる道があると著者は言う。

プルラリティ(多元性)は、シンギュラリティ(単一性)とは異なる道を示す。
多様な人々が協調しながら技術を活用する未来。

「敵」と「味方」を超越し、調和点をデザインしよう。
無数の声が交わり、新たな地平を拓く。
信頼は架け橋となり、対話は未来を照らす光となる。

現代に生きる私たちこそが、未来の共同設計者である。

アメリカの未解決問題

竹田 ダニエル 三牧 聖子
アメリカZ世代の絶望「他国の成功から学ぶ」ことができない以上、トランプを倒しても次の独裁者が大統領になるだけ
アメリカの未解決問題
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【目次】
はじめに――カマラ・ハリスの敗北で「リベラルは終わった」のか?
第1章 日本から見えないアメリカ
第2章 バイデンはなぜ嫌われたのか?
第3章 世界の矛盾に気づいたZ世代の抵抗 
第4章 ポスト・アメリカン・ドリームの時代に
第5章 日米関係の未解決問題
第6章 これからの「アメリカ観」
おわりに

テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?

李 舜志
アメリカZ世代の絶望「他国の成功から学ぶ」ことができない以上、トランプを倒しても次の独裁者が大統領になるだけ
テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?
2025年6月17日発売1,188円(税込)新書判/264ページISBN: 978-4-08-721369-0世界は支配する側とされる側に分かれつつある。その武器はインターネットとAIだ。シリコンバレーはAIによる大失業の恐怖を煽り、ベーシックインカムを救済策と称するが背後に支配拡大の意図が潜む。人は専制的ディストピアを受け入れるしかないのか?
しかし、オードリー・タンやE・グレン・ワイルらが提唱する多元技術PLURALITY(プルラリティ)とそこから導き出されるデジタル民主主義は、市民が協働してコモンを築く未来を選ぶための希望かもしれない。
人間の労働には今も確かな価値がある。あなたは無価値ではない。
テクノロジーによる支配ではなく、健全な懐疑心を保ち、多元性にひらかれた社会への道を示す。
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