
「テクノ封建制」という言葉が注目を集めている。ギリシャの経済学者であるヤニス・バルファキス氏が提唱する、資本主義の行き詰まり、世界レベルでの格差拡大、米中新冷戦の激化などの背景を解き明かしてくれるキーワードだ。
「テクノ封建制」の社会において、私たちは今までのような「成功」を目指しても決して報われず、むしろこの体制を強化することにしかならないという。まるで蟻地獄のように逃れがたい、この経済システムの真の恐ろしさはどこにあるのか。社会学者・大澤真幸氏に聞いた。
「資本の成功」こそが資本主義を終わらせてしまった
――『テクノ封建制』を最初に読んだときの感想をお聞かせください。
大澤 じつは僕は、この本が英語で出版された時に読んでいます。非常に重要なことが書いてあると感じました。
この本のどこが重要なのか。最近は僕自身のものも含めて、「資本主義」という言葉がタイトルに付いた本が非常に多く出ていますよね。なぜかというと、資本主義に対する、ある種のアンビバレントな感情があるからだと思うんです。
一方では「資本主義は自滅するのではないか」、あるいは「終わらせるべきではないか」という感覚があり、他方では「でも資本主義以外に代わるものが見えない」とも感じている。つまり、終わるかもしれないという切迫感と、終わるはずがないという諦念が共存しているんですね。
しかも、その「終わる」には終末論的で破局的なイメージがまとわりついています。だから多くの人が悲劇的な未来を予想し、不安を抱えているわけです。
この本は、そうした世界的な不安や恐怖に対して、非常に独特で説得力のある答えを提示しています。
著者のバルファキスは、『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』(ダイヤモンド社)というベストセラーがあります。同書は自身の娘に語りかける形式だったのに対して、今回はすでに亡くなったお父さんからの問いに答えるという形式になっているところがユニークです。
読んでいると、バルファキスのお父さんは、ただの父親という以上に、非常に立派な人物だったことが伝わってきます。鉄鋼関係のエンジニアとして自分の仕事に誇りを持ちつつ、同時に労働運動のリーダーでもあり、いわば左翼的な立場の人です。人間的にも知的にも非常に優れた人だったようです。
そのお父さんが、1993年、実家のコンピューターをインターネットに初めて接続したその日に、ある問いをバルファキスに投げかけるんですね。その問いが非常に本質的で驚かされます。
「コンピュータ同士が会話できるようになったってことだよな。このネットワークのおかげで、資本主義を転覆させるのはもう不可能ってわけか? それとも、これがそのうち資本主義のアキレス腱になる日が来るのかい?」(『テクノ封建制』p.42)
この問いに対して、当時のバルファキスは明確な答えを持っていなかった。しかし、年月が経ち、今ようやくその問いに対して答えることができるようになった。
その答えとは何かというと、結論だけを言えば、「資本主義はすでにインターネットによって終焉を迎えつつある」というものなんですね。
ただし、お父さんが当時想像していたような、より良い社会への転換として「資本主義が終わる」のではない。むしろその逆で、資本主義よりもさらに悪い、新しい形態に変化してしまっている、ということなんです。
つまり、お父さんの問いに対する回答は「イエス」でありながら同時に「ノー」でもある。
「確かに資本主義は変わった。だが、それはあなたが望んだ方向ではなく、もっと悪い方向に変わったんだ」というわけです。このねじれた形での答えこそが、この本の核心部分であり、非常に知的な読みどころでもあります。
どういうことかというと、資本主義というシステムそのものは終わったかもしれないが、資本は現在もなお力を持ち続けている。そして、その資本は資本主義の枠組みの中であまりにも成功しすぎたがゆえに、自らを変容させ、新しい形態を取るようになった。つまり、資本の成功が資本主義を終わらせてしまった、という皮肉な構造です。
ではその新しい形態とは何か? それが「封建制」です。現代の資本が利益を得ている仕組みは、もはや従来の資本主義的なものではなく、中世の封建制的なメカニズムに近いものになっている。そこがこの本の核心であり、非常に刺激的な論点でもあります。
努力して働く者が報われない構造
――現代社会を「封建制」だと感じている人は少ないような気がしますが……。
大澤 僕がこの本に大きな価値を感じるのは、まさにその点です。
バルファキスが言うように、資本主義は、客観的に見ればすでに終わりつつある。しかし、僕たちの価値観やライフスタイル、思考の枠組みは依然として資本主義的なんですよね。むしろ、それをフル回転させることで、皮肉にも封建制的な仕組みが強化されてしまっている。
たとえば、僕たちは「成功したい」「何か新しい価値を生み出して儲けたい」と思っている。でも、実際に利益を得ているのは、GAFAM(Google、Amazon、Facebook、Apple、Microsoft)のような、世界規模のウェブ・プラットフォームサービスを展開している「クラウド領主」たちだけなんです。
僕らが持っている成功のイメージは、実は彼らの利益構造を回す歯車として機能してしまっている。そこに、この本のもっとも皮肉にして、もっとも重要な指摘があると思います。
たとえば、僕たちのこれまでの感覚では「働いて稼ぐ」のが当然だと思ってきました。
でも、GoogleやAmazonのような巨大プラットフォーム企業にとっては、主な利益は労働からではなく、ユーザーの無償の活動から生まれている。そこに価値が生まれ、それをもとに「レント(地代、使用料)」を世界中から搾り取ることで儲けているわけです。
Amazonではユーザーのレビューが商品をより魅力的に見せ、ランキングやヒット商品をつくり出し、購買意欲を刺激します。FacebookやGoogle Mapなども、利用者の投稿や書き込む情報が魅力的で、そこから情報を得たいから使う、という人が多いのではないでしょうか。
今や、僕らが資本主義的な意味での成功――良いアイデアを出して稼ぐとか、努力して収入を増やすとか――を目指していても、実はそのような成功の形は、もうすでに成り立たない。というのも、僕たちはもはや資本主義ではない仕組みの中に組み込まれてしまっているからです。
結果的にどうなるかというと、頑張っても「農奴」か、よくて「封臣」――封建領主の下で土地を任されている小領主のような存在――にしかなれない。いくらヒット商品を生み出しても、それをAmazonで売り出して手数料を支払わなければならない、というように。
それなのに僕らは、あくまで資本主義的な成功を夢見てしまっている。そこにものすごくチグハグなギャップがあるんです。つまり、僕たちの主観的な希望と、客観的な現実が完全に噛み合っていない。
そしてこのシステムの本当に恐ろしいところは、そこだけじゃない。自分では「資本主義的な成功」を目指して一生懸命努力しているつもりなのに、その活動すべてが、逆に「テクノ封建制」を強化する結果になってしまう。そして自分自身はますます報われない、という負の循環が生じているところです。
生成AIはテクノ封建制を強化する
――この本では、生成AIについてはそれほど触れられていなかったと思うのですが、今はまさに毎日のように生成AI関連の技術やサービスが登場しています。生成AIによって、テクノ封建制の負の循環はさらに強化されていくのでしょうか。
大澤 その通りです。実際、いまのクラウドというのは、基本的にAIのアルゴリズムと不可分の関係にあります。単純にユーザーが情報を検索して、その結果がそのまま返ってくるというような素朴な仕組みではもうありません。
僕たちが「こういうことが知りたい」と思いそうな内容を、あらかじめアルゴリズムが予測したうえで提示してくる。あるいは、僕なら僕、あなたならあなた、それぞれの行動履歴や嗜好に応じて、ピンポイントで「これが欲しいんでしょう?」という形で結果が出てくる。
Amazonの「おすすめ商品」を思い浮かべてください。そうしたAI技術は、まさにクラウド領主たちの“最大の武器”になっているんです。
この本の英語版が出たのは2023年で、ちょうど大規模言語モデルに基づく生成AIが登場し始めた時期でした。単なる検索を超える形で、私たちはこの新しい封建領主たちのもとで、さらに高度な農奴のようになっていく。それも自発的に、です。
つまり、僕たちが生成AIに向かって「人生で悩んでいること」や「欲しい情報」を自ら積極的に打ち明けるような形になる。そのやりとりの中で、僕たちの個人的な欲望や不安、関心が次々とクラウドに吸い上げられていく。そして、AIはそれをもとに「こういうのが欲しいんでしょ?」と先回りして情報を提供してくるようになる。
これはたとえば、Amazonのアレクサのような家庭用AIにも通じる話です。こういった機械学習型AIは、クラウド領主たちの搾取力――特に農奴(ユーザー)に対する搾取の力を、飛躍的に増強させることになります。だからこそ、僕は著書『生成AI時代の言語論』(左右社)の中でも『テクノ封建制』を取り上げたんですね。
生成AIによって集められる情報というのは、結局のところ、特定の個人の利益に奉仕するように設計されたり、あるいは特定の国家の政策に都合よく利用されるように設計されたりしている。そうした構造が、いまや非常に危険なレベルに達しつつある。
そもそも、「クラウド」に個人情報の所有権が設定されているということ自体、大きな問題なんです。これをどうにかしなければならない。バルファキスが指摘しているこの問題意識を、自分の本でもはっきりと書いておいたんです。
構成/斎藤哲也 写真/Shutterstock
テクノ封建制 デジタル空間の領主たちが私たち農奴を支配する とんでもなく醜くて、不公平な経済の話。
著者:ヤニス・バルファキス、解説:斎藤 幸平、訳者:関 美和
◆テック富豪が世界の「領主」に。
◆99%の私たちを不幸にする「身分制経済」
◆トランプ&イーロン・マスク体制を読み解くための必読書
グーグルやアップルなどの巨大テック企業が人々を支配する「テクノ封建制」が始まった!
彼らはデジタル空間の「領主」となり、「農奴」と化したユーザーから「レント(地代・使用料)」を搾り取るとともに、無償労働をさせて莫大な利益を収奪しているのだ。
このあまりにも不公平なシステムを打ち破る鍵はどこにあるのか?
異端の経済学者が社会の大転換を看破した、世界的ベストセラー。
【各界から絶賛の声、続々!】
米大統領就任式で、ずらりと並んでいたテック富豪たちの姿に「引っかかり」を感じた人はみんな読むべき。
――ブレイディみかこ氏
テクノロジーの発展がもたらす身分制社会。その恐ろしさを教えてくれる名著。
――佐藤優氏
これは冗談でも比喩でもない! 資本主義はすでに死に、私たちは皆、農奴になっていた!
――大澤真幸氏
私たちがプレイしている「世界ゲーム」の仕組みを、これほど明快に説明している本はない。
――山口周氏
世界はGAFAMの食い物にされる。これは21世紀の『資本論』だ。
――斎藤幸平氏
目次
第一章 ヘシオドスのぼやき
第二章 資本主義のメタモルフォーゼ
第三章 クラウド資本
第四章 クラウド領主の登場と利潤の終焉
第五章 ひとことで言い表すと?
第六章 新たな冷戦――テクノ封建制のグローバルなインパクト
第七章 テクノ封建制からの脱却
解説 日本はデジタル植民地になる(斎藤幸平)