タトゥー裁判・逆転無罪が勝ち取った多くの成果…社会のおかしな制度や課題の解決を目指す「公共訴訟」に辿り着くまで
タトゥー裁判・逆転無罪が勝ち取った多くの成果…社会のおかしな制度や課題の解決を目指す「公共訴訟」に辿り着くまで

彫師という職業は日本で何百年もの歴史を持ちながら、ある日突然「犯罪行為」として裁かれることになり、2017年に行われた大阪地裁では違法行為と認定され、彫師に罰金支払いを求める判決が下された。だが弁護士・亀石倫子氏らは諦めなかった。

 

書籍『はじめての公共訴訟社会を動かす、私たちのツール』より一部を抜粋・再構成し、民主主義的な議論もないまま、法の解釈によって職業の存続を脅かす危険性、そして勝ち取った無罪判決の理由を記す。

逆転無罪

2018年9月、控訴審の第1回公判。満席の傍聴席を背に、私は次のような弁論をした。

これは、ひとつの職業の存続をかけた裁判です。

原審、大阪地裁の判断は、この国から、彫師という職業を葬り去るものでした。彫師たちに突き付けられたのは、この誤った、過酷な結論と、それを受け入れさせるには、あまりに乏しい、わずかな理由だけでした。

連綿と受け継がれてきた歴史。

タトゥーを彫ることを仕事にする人々の生活。

そうしたものへの、わずかな配慮も読み取れませんでした。

この国には、何百年も前から、入れ墨をする風習がありました。

彫師という職業が存在しました。

誰もが知っているはずです。

ところが、安全にタトゥーを施術するために、どんなルールが必要なのか。

それが民主主義の過程で議論されたことは、これまで一度もありませんでした。

突然、刑事裁判で、彫師が職業を続けることを禁じられ、犯罪者とされたのです。

この結論に納得できるほど、私たちの社会はタトゥーと向き合ってきませんでした。

(中略)

本件は、およそ医療とは無関係の行為について、それが医行為に当たるかどうかが争点となる、歴史上はじめての裁判です。

そして、数百年も前から続いてきた職業が、明確な法律もなく、無理な法解釈で実質的に禁止される事態も、歴史上、はじめてのことでしょう。

ひとつの職業を、社会から葬り去るというのであれば、民主主義の過程で議論することが、不可欠ではないでしょうか。

原判決には、このことに対する熟慮も、覚悟も感じることはできませんでした。医師法の解釈としても、憲法が保障する価値からしても、そして刑事裁判の原則からしても、明らかに間違っています。

今、ここにいる3人の裁判官に、原判決の誤りを正し、被告人に無罪を言い渡していただきたいと思います。

そしてこの問題を、本来あるべき場所に、民主主義の議論の場に、戻していただきたいと思っています。

裁判長は、弁護団が新たに請求した23点の証拠を職権ですべて採用し、控訴審は結審した。そして2か月後――。

「主文、原判決を破棄する。被告人は無罪」

一瞬の沈黙の後、傍聴席から拍手と歓声が起こった。

「おめでとう!」
「よかった!」
「無罪だ!」

私は信じられないような気持ちで傍聴席を見ていた。被告人席で安堵の表情を浮かべている彫師、傍聴席で泣いたり抱き合ったりしている彫師たち、意見書を書いてくれた医師と研究者たち、法廷を飛び出していく記者たち。

「静かにしてください」

「立ってる人は座って」

裁判長の声で我に返り、判決の続きを聴いた。

職業選択の自由を侵害するおそれ

入れ墨は、地域の風習や歴史的ないし風俗的な土壌の下で、古来行われてきており、我が国においても、それなりに歴史的な背景を有するものであり、1840年代頃には彫り師という職業が社会的に確立したといわれている。

我が国では、ある時期以降、反社会的勢力の構成員が入れ墨を入れるというイメージが社会に定着したことなどに由来すると思われるが、世間一般に入れ墨に対する否定的な見方が少なからず存在することは否定できない。

他方で、外国での流行等の影響もあって、昨今では、若者を中心にファッション感覚から、あるいは、個々人の様々な心情の象徴として、タトゥーの名の下に入れ墨の施術を受ける者が以前より増加している状況もうかがわれる。

そのような中で、入れ墨を自己の身体に施すことを希望する人々の需要に応えるものとして、タトゥー施術業がそれ相応に存在している。

このように、入れ墨は、皮膚の真皮に色素を注入するという身体に侵襲を伴うものであるが、その歴史や現代社会における位置づけに照らすと、装飾的ないし象徴的な要素や美術的な意義があり、また、社会的な風俗という実態があって、それが医療を目的とする行為ではないこと、そして、医療と何らかの関連を有する行為であるとはおよそ考えられてこなかったことは、いずれも明らかというべきである。

彫り師やタトゥー施術業は、医師とは全く独立して存在してきたし、現在においても存在しており、また、社会通念に照らし、入れ墨の施術が医師によって行われるものというのは、常識的にも考え難いことであるといわざるを得ない。

 (中略)

入れ墨の施術において求められる本質的な内容は、その施術の技術や、美的センス、デザインの素養等の習得であり、医学的知識及び技能を基本とする医療従事者の担う業務とは根本的に異なっているというべきである。

 (中略)

入れ墨の施術は医師のみがなし得るとする原判決の解釈適用によれば、タトゥー施術業を営む被告人の職業選択の自由を侵害するおそれがあり、憲法上の疑義が生じるといわざるを得ない。

タトゥーの歴史や文化、そして、彫師という職業に対する敬意を感じる内容だった。法廷にいた全員が、嚙かみしめるように裁判長の言葉を聴いていた。裁判でたたかうと決めた被告人、彫師たち、医師、研究者、クラウドファンディングで支えてくれた人たち、そして私たち弁護人。みんなで勝ち取った判決。夢を見ているようだった。

検察官は、高裁判決を不服として上告したが、2020年9月16日、最高裁第二小法廷は、裁判官全員一致の意見でこれを棄却した*1。最高裁として初めて、医師法17条の「医業」の内容である医行為の意義とその判断方法を示したものとして、重要な先例となった。

判決を受けて

医事法学者として裁判に尽力してくれた辰井聡子教授は、判決確定を受け、日本社会が「秩序や安全を重視するあまり、法を軽視してきた」と指摘した。

「この文脈では『法』とは『自由』そのものを意味しています。すべてを行政に委ね、行政に無謬性を求めること、例えば、身体や健康に関わる問題が起これば、すべて行政のせいだと責め立て、厚生労働省の責任を問うということは、行政に法を超えた権限の行使を強いることにつながり、その分だけ、私たちの自由を切り崩すことになります。

それが、実際に、この社会で起きていることです。この事件に関心を寄せていただいた方々には、今回の問題が、究極的には、自由と秩序に対する私たちの態度に起因していることに思いを馳せ、『法』というものは自由を守るためにこそ存在しているのだということ、自由を守るためにこそ『法』を正しく扱わなければならないのだということに、ぜひ、関心を寄せていただけたらと思います」

「法」とは、自由を守るためにこそ存在している。私は法律家として、自由を守るために法に関わっていく。

この裁判を通じて、そう確信した。

2023年、私は日本初の公共訴訟を支える専門家集団「一般社団法人LEDGE(レッジ)」の代表理事に就任し、司法を通じて不合理な法や制度を変えていく活動に取り組んでいる。

原告として声をあげる市民、裁判の傍聴や寄付といった形で支援してくれる市民、あるいは、翻訳やデザイン、キャンペーンなど専門的なスキルを提供する方法で支援してくれる市民。自由で公正な社会を生きたいと願う多くの市民に、LEDGEは支えられている。

タトゥー裁判は、司法によって社会を変えることができる、という希望を与えてくれた。その希望の種を、公共訴訟の実践を通じて実らせたい。


*1 最判令和2年9月16日決定刑集第74巻6号581頁。

文/亀石倫子

はじめての公共訴訟 社会を動かす、私たちのツール

井桁 大介 (著), 亀石 倫子 (著), 谷口 太規 (著), 丸山 央里絵 (著)
タトゥー裁判・逆転無罪が勝ち取った多くの成果…社会のおかしな制度や課題の解決を目指す「公共訴訟」に辿り着くまで
はじめての公共訴訟 社会を動かす、私たちのツール
2026/5/151,012円(税込)224ページISBN: 978-4087214109

社会の中で「おかしい」と感じたとき、不条理な壁に突き当たったとき、私たちは何ができるのか。差別、労働、環境問題、ジェンダー、社会保障──さまざまな課題に対し、裁判という方法で社会のあり方を問い直し、変革を働きかけるのが「公共訴訟」である。
本書は、実際の事例や当事者の物語を手がかりに、その歴史と役割を解説。公共訴訟はどのような戦略、連帯によって社会を変えてきたのか。裁判を「社会を動かすツール」としてとらえ、個人の声が制度や社会を変えていくプロセスと、その可能性を示す入門書。



同性婚訴訟、タトゥー裁判、大川原化工機事件、立候補年齢引き下げ訴訟……
もっと公正な社会を生きたいあなたへ

◆推薦◆
よりマシな社会をあきらめたくないすべての人へ。
ここに私と公共をつなぐ回路がある。
──哲学者 朱喜哲氏

少数の痛みは、「大したことない」ことにされやすい。
「こうなってほしい」が、感情の問題と一瞥(いちべつ)される。
公共訴訟はそんな社会の扉をこじ開ける、希望。
──NO YOUTH NO JAPAN創設者 能條桃子氏

自分たちの手で社会はどんどんよくしていくことができるなんて、なんだ、最高じゃないか。
──小説家 山内マリコ氏

◆目次◆
第1章 声をあげる人々、その物語──公共訴訟を知る
第2章 公共訴訟は社会をどう変えるか
第3章 公共訴訟の誕生と歴史
第4章 データで見る公共訴訟
第5章 なぜ数が少なく、勝ちにくいのか──公共訴訟の抱えるハードル
第6章 新たな動きが生み出す、新しい連帯
第7章 公共訴訟の未来

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