「死んでやる!」と激昂した夫が自ら首にコードを巻き、首を吊った。その直後、妻は夫の足を持ち上げた――。
『法医学教授が教えている 死体の授業』から一部を抜粋、編集し、あまり知られていない「自殺幇助と犯罪の境界線」を解説する。
布団に並んで死んでいた老夫婦
これまでに「同じ現場で夫婦共に死亡していた事例」を過去に何例も解剖してきました。心中、事故、不幸な偶然。いずれも理由は異なりますが、別々の人間がほぼ一緒の最期をとげること自体、決して自然なことではありません。
ある高齢の夫婦が自宅の布団に並んで寝ている状態のまま、亡くなった姿で発見されました。
当初は心中を疑いましたが、2人の寝姿があまりにも整然としており、室内には空の錠剤や薬包なども見当たりません。解剖で2人の胃の中をみてみましたが、胃の中にも薬物の痕跡は発見されませんでした。
まさか夫婦そろって偶然にも病死で亡くなったのでは、との可能性も考えましたがやはり不自然です。原因不明のまま、科学捜査研究所、通称「科捜研」で血液を調べてもらったところ、ようやく死因が明らかになりました。
老夫婦はやはり心中でした。2人の血液か数十年前に発売禁止になっていた、パラチオンという農薬が検出されたからです。
パラチオンは稲の害虫駆除や、ダニ駆除のために使用されていた薬物です。
毒性が高い薬物ではあるものの、経口摂取すると胃や腸で吸収され、速やかに代謝されるため、時間が経つと胃を解剖してもその痕跡をみつけづらい特徴があります。
なんらかの事情から追い詰められた夫婦は、数十年前に購入していたであろう、パラチオンの存在を思い出したのでしょう。再度、夫婦の台所を調べると、きれいに洗って乾かされていたコップから、パラチオンが検出されました。
夫婦はパラチオンを水などで飲み、死の間際であっても使ったコップをきれいに洗ってから、元どおりにしていたのです。自宅近くの納屋を探したところ、パラチオンが入っていた瓶も発見されました。
夫婦の死に顔に苦悶の跡がみられなかったのは、発見から数日が経過していたからでしょう。毒を飲んで死ぬと苦悶の表情になるイメージがあるかもしれませんが、実際は死後硬直が3日ほどで解け、顔の筋肉も緩み、のっぺりとした無表情になります。
解剖で目にする死者のほとんどは、生前のその人の顔貌とはかけ離れた完全な無表情なのです。
わずか1年の間に4人家族のうち3人を解剖することに
同居する4人家族のうち3時間差で3人を私が解剖することになった極めて特殊な事例もあります。
その一家は夫婦と40代の息子、成人した娘の4人家族でした。しかし、妹が精神疾患を発症したことにより、徐々に家族に迷惑をかけるようになります。たとえば、お金をもたずに外出しては、タクシーで帰宅して代金を兄に払わせる。
そんなふうに一つひとつを取り上げれば深刻とまではいえないものの、いくつもの出来事が積み重なったのでしょう。
とうとう怒りが沸点に達した兄は、妹をこらしめようと――殺すつもりはなかった、と兄はのちに証言していますが――寝ている妹の顔面に片手鍋で沸かした熱湯をかけてしまったのです。
しかし、この一家が異様だったのはここからです。
成人した4人が同居しているのですから、父や母、もしくは自分の行動を後悔した兄、誰かしらが熱湯をかけられて顔面が熱傷でただれた妹を病院に連れて行くのが普通でしょう。しかし、誰1人妹を助けようとせず、そのまま放置してしまった。
数日後、妹はそのまま死亡します。他殺の疑いがあるとのことで、司法解剖に回ってきた彼女を解剖したとき、焼けただれた顔の周辺にはウジが這っていました。
さらに死体発見時の状況を聞くと、驚くべきことに兄が熱湯をかけたとき、妹のとなりには母親が寝ていたことがわかりました。後日、警察に事情を聞かれた母親は「自分の首にもお湯がかかった」と証言し、実際に火傷の跡もありました。
では、なぜ母親はとなりに寝ていた娘を放置したのか。
それは母親が認知症を患っていたからでしょう。では1つ屋根の下にいた父親はなぜなにも行動しなかったのか、その理由は明らかにされていません。
それから1年も経たない冬に、2人暮らしになった老夫婦が今度は揃って死体となって発見されました。
解剖の結果、夫は病死、妻は凍死でした。
残された夫婦は、認知症の妻を夫が介護しながら暮らしていたそうです。介護者が先に亡くなった場合、認知症患者はなすすべもなくなってしまうことがあります。
家族で唯一、服役中に生き残った兄は、その後の人生をどう生きたのかまでは法医解剖医である私にはわかりません。しかし、過去に担当した解剖の中でも、際立って特殊な事例だったため深く印象に残っています。
夫婦の片方が死を望んだとき〝自殺幇助と殺人未遂の境界線〟
夫婦のどちらかが死を望んだとき、もしくは伴侶の死を望んだとき。法的にどのような線引きがなされるかは、あまり知られていないようです。「同じ現場で夫婦ともに死亡していた事例」とは異なりますが、夫婦で死に向き合った事例を紹介しましょう。
次の2組のケースは、「自殺幇助」にあたるかどうかを考えてみてください。
1組目は自殺を希望した男を、女が間接的に手助けしたケースです。男女は法的な夫婦ではありませんでしたが、実質的には夫婦に近い内縁関係にありました。
そのあと、ホームセンターの駐車場に停めた車中で、男は「じゃあ死んでくる」と女に告げたそうです。男の言葉を本気にしなかった女は、「じゃあそうすれば」と買った紐を手渡し、受け取った男はそのまま人目につかない建物の裏手に行き、首を吊って亡くなりました。
もう1組、内縁関係にあった男女が自宅でケンカになり、「死んでやる!」と激昂した男が首に自ら電気コー1を巻き、ドアの上部に引っ掛けて、首を吊って死亡したケースもありました。
首を吊った直後、コードが伸びて男の足先が床についたのをみた女は、「足が床についたら楽には死ねないだろう。完全に浮かさないと」と思ったそうで、男の足先をグッともち上げた。その後、男は落命しました。
どちらの男性も私が解剖を担当しましたが、これらの案件が自殺幇助にあたるのか否かを見極めるのは検事です。自殺幇助の線引きはどこかを担当の検事に尋ねたところ、「その行為によって死期が1秒でも早まった場合」との明確な答えが返ってきました。
それならば、紐を渡しただけでは自殺幇助にならないが、首を吊った男の足を自分でもち上げて浮かせた女は自殺幇助になるのでは? おそらく多くの人はそう考えるでしょう。
しかし、2つのケースはいずれも自殺幇助にはあたらないと判断され、不起訴になりました。首吊り用の紐を渡しただけでは2自殺幇助にはならない。
では、死を促すために床に付いていた男の足をもち上げた女は、なぜ自殺幇助にあたらなかったのか?
自殺幇助にあたらなかった理由
それは、その行動が死期を早めることには、まったく貢献しなかったからです。
よくよく考えればわかる話ですが、首を吊った状態の男の足を浮かせても、死期は早まりません。むしろ、首に巻きつけたコードにかかる体の重みは女が支えることになり、若干軽くなったはずです。
「このまま男に死んでほしい、死なせてやりたい」と本気で思っていたのであれば、彼女がすべきことはコードをさらにもち上げて首に負荷をかけるか、床を抜いて足を完全に浮かせるかのどちらかであるべきでした(いずれにせよ現実的ではありませんが)。
犯罪の構成要件には、「因果関係の有無」があります。女の真意にかかわらず、女の行動と男の死は因果関係にはなかった。これが不起訴の理由です。
もう1組、近い構図にある夫婦間の殺人未遂のケースを紹介しましょう。
ある妻が夫を殺そうと思い、手近にあったドライヤーで寝ている夫の頭を殴打しました。しかし、1発殴っただけで夫は起きてしまった。そこで、妻は警察に自ら通報し、「私は夫を殺そうとしたから殺人未遂で逮捕してくれ」と主張したのです。
この場合、死者は出ていませんが、警察から「一般的なドライヤーで殴って、人が死ぬことはありますか?」と質問を受けました。
これが包丁やハンマーであれば、当然のことながら殺人未遂になりえたでしょう。しかし、ドライヤーのように軽いプラスチック製のもので殴っても、人は死なないし、骨も折れません。
警察にそう伝えると、「やっぱりそうですよね。不能犯ですね」と返事がありました。不能犯とは、その行為では意図した結果(この場合は殺人)が得られない犯行のことを指します。
もちろん、警察もドライヤーで人を殴っても死なないことなど重々承知しています。それでも、法的な手続きとして専門家、この場合は法医解剖医がそう証言し、検事がそれを採用することに意味があるのです。
文/飯野守男 写真/shutterstock
法医学教授が教えている 死体の授業
飯野守男
「交通事故よりお風呂が危ない」
ドラマ監修も務める法医解剖医が教える
あっ! と驚く死体の話
解剖料は1回〇万円、医療ミスを暴いた解剖例など、
知られざる法医解剖医の仕事から、
「舌を噛んで自殺はあり得るのか?」
「刺されたらナイフは抜くべきか?」といった
ドラマやマンガで目にする描写のウソ・ホントまで。
法医学者だから知っている実際の解剖事例をもとに、思わず人に話したくなる
死体のリアルな知識がつまった1冊です!
■内容
第1章 解剖室へようこそ ――死体はこうして切り開かれる
死体はどのように解剖されていくのか
死体の「解剖料」はどこから、いくら払われるのか?
解剖が最も大変なのは「めった刺し」事件
刃物をもった人間に襲われたら「胸」と「首」を守れ
やわらかい臓器、固い臓器
高温多湿の日本でミイラ死体はできるのか
口の中にウジがびっしり詰まった腐敗死体
法医解剖医の解剖器具リスト
第2章 解剖しないとわからない 「死因」のケーススタディ
Case1「入れ歯で死ぬ」
Case2「風呂で死ぬ」
Case3「3食フライドポテトで死ぬ」
Case4「誤飲で死ぬ」
Case5「便秘で死ぬ」
Case6「病院嫌いで死ぬ」
Case7「鍼で死ぬ」
Case8「夫婦で死ぬ」
Case9「溶けて死ぬ」
Case10「山で死ぬ」
第3章 ドラマや漫画で描かれる「死体」の嘘
Q.「喉笛を掻っ切る」と本当に血が勢いよく吹き出るのか?
Q.舌を噛み切っての自殺は本当にできる?
Q.死体から目玉をくり抜けるか?
Q.「肺に穴が開いて、少しずつ窒息死するのが最も苦しい死に方」は本当?
Q.ナイフで刺された! すぐに抜くべき?
Q.銃で撃たれた! でも弾が貫通していれば、死ぬ可能性は低い?
Q.死体を隠すには、コンクリート詰めがいい?
Q.「重要な手がかりを握ったまま死んでいる」死体は実在するか?
Q.雷が落ちると、丸焦げになって死ぬ?
第4章 死体と向き合うことで見えてくる世界
『アンナチュラル』にハマって法医学を専攻、テレビ局に入社した卒業生
「死体は得意ですか?」「いいえ、苦手です」
医学部生だって解剖で倒れる
疑い深い人間ほど、法医学者に向いている
解剖は『答え合わせ』ができる
最短ルートで教授になりたい人は法医学が穴場?
死体の数が「解剖格差」に直結している日本
嬰児殺が多いインドネシアの法医学事情
死んだ肉体はどのように腐っていくのか
死体の腕を切る、人工呼吸器を外す、とことん合理的なオーストラリア
法医学者に完全犯罪は可能か?

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