“愉快な会長”有森裕子が語る変化と未来…東京2025世界陸上への期待「誰がスーパースターになるかわからない」

1991年の東京世界選手権で初めて国際大会に挑んだ有森裕子は、いま日本陸上競技連盟の会長として、同じ東京の地で再び世界陸上を迎えようとしている。

東京2025世界陸上開幕を10日後に控えた3日、東京スカイツリーで行われた点灯式に姿を見せた有森は、1991年大会で共に出場した山下佐知子や髙野進らと共にトークショーに登壇し、選手たちへ「自分が掲げた目標に全力で向かってほしい」とエールを送った。

その表情には、かつて走者として感じた緊張と、いま会長として競技を支える責任の両方がにじんでいた。

東京2025世界陸上まで10日…スカイツリーが「サンライズレッド」にライトアップ

有森が初めて国際舞台に立ったのは1991年。当時24歳、初めての世界大会が自国開催だった。「正直、あまり喜んでいなかった自分を思い出します」と笑顔で明かす。調子が上がらず、小出義雄監督と衝突も絶えなかったが、それでも女子マラソンで4位入賞。メダルこそ逃したが、日本のマラソン人気を押し上げる一走となった。

あれから34年。陸上は規模や演出だけでなく、アスリートの姿も大きく変わった。かつては「指導を受けて走り、引退して終わり」という存在が多かったが、今は自立し、自らの言葉で発信し、社会と繋がりながら競技に臨む時代になった。SNSでの発信やファンとの交流も当たり前になり、スポーツの価値は記録や勝敗を超え、社会にどう関わるかで測られるようになっている。有森は「そうした意識の変化こそが、いまの選手たちの強さに繋がっている」と語った。

有森は、自らを“愉快な会長”と笑う。

その言葉の裏には、もっと多くの人に陸上を楽しんでほしいという願いがある。「スポーツの面白さは意外性にある。絶対的に強い選手が勝つとは限らない。だからこそ、誰がスーパースターになるかわからないのが醍醐味」。決勝だけでなく予選から観戦すれば、自分が応援した選手が一気に駆け上がる瞬間に出会えるかもしれない。陸上は、観る人一人ひとりの物語を生み出す舞台なのだ。

そして彼女が掲げるのは「身近な陸上」という理念。歩く、走る、跳ぶ、投げる……それは人間が最初に身につける動きであり、あらゆるスポーツの原点でもある。だからこそ陸上は「マザー・オブ・スポーツ」と呼ばれてきた。競技場で行われるものだけではなく、街角や広場、日常の中で偶然出会えるスポーツ。その自然な体験が、社会と共に陸上を育てるきっかけになる。有森は、陸上の楽しさや意外性がもっと多くの人の暮らしに溶け込む未来を描いている。

1991年、東京で走った一人の選手。2025年、同じ東京で大会を迎える一人の会長。立場は変わっても、有森裕子の胸にあるのは“陸上が大好き”という変わらない情熱だ。東京2025世界陸上は13日に開幕する。

▼日本陸上競技連盟(JAAF)特設サイト
https://www.jaaf.or.jp/wch/tokyo2025/
▼東京2025世界陸上公式サイト
https://worldathletics.org/jp/competitions/world-athletics-championships/tokyo25

“愉快な会長”有森裕子が語る変化と未来…東京2025世界陸上...の画像はこちら >>

取材・文:成田敏彬(SPORTS BULL編集部)

編集部おすすめ