現在も安保問題などで政治の話題が多く取り上げられていますが、もっともマスコミから多くの注目を集めた人物といえば、小泉純一郎元総理でしょう。
小泉氏といえば、2001年から2006年までの長期間にわたって総理大臣を務めた人物です。
任期中は異常ともいえる高い支持率を誇っていました。

その理由として、彼の類いまれなる言語センスが挙げられます。従来の政治家イメージからかけ離れた、小泉氏はまさに「流行語メーカー」と呼ぶにふさわしい人物。彼の一挙一動がワイドショーに取り上げられていました。そのため、「ワイドショー内閣」という言葉が生まれたほどです。
多くの人に今でも知られている小泉氏の言葉といえば、怪我を抱えながらも優勝した貴乃花に対する「痛みに耐えてよくがんばった!感動した!」や総裁選のときの「自民党をぶっ壊す」発言です。


しかし、それ以外でも多くの流行語を生みだしたのが小泉氏の凄いところ。その一部を振り返ります。

【2001年 小泉フィーバーの幕開け】


この年、総理大臣に就任した小泉氏ですが、総裁選や所信表明演説では、「大きな改革を行う」という姿勢を全面に出していきました。その結果、何かを変えてくれるのではと多くの国民は熱狂。改革に関する小泉氏のいくつかのワードが流行語になりました。

■聖域なき構造改革
■痛みを伴う改革
■抵抗勢力

これらの言葉からは小泉氏の自民党内の既得権益をもぶっ壊し、改革を進めるんだという強い決意が表れています。特に自分の改革に反対する者を「抵抗勢力」とみなし、敵と味方をはっきりさせる手法は、橋下徹氏の手法のはしりであったと言えます。


この年の流行語大賞・年間大賞には小泉氏が選ばれ、なんと6つの言葉で受賞するという離れ業をやっています。
さらにこれらの他に、第一次小泉内閣に80歳で入閣した「塩爺(しおじい)」や意外な人を内閣に起用することを指す「サプライズ」も流行し、2001年はまさに小泉フィーバーに沸いた年でした。

【2005年 郵政選挙での圧勝劇】


途中、田中真紀子氏の更迭などで支持率を下げることはあったものの、北朝鮮への訪問などの成果を残した小泉内閣はかなり高い支持率をキープしたまま、2005年を迎えます。この年、小泉氏自身の長年の悲願であった郵政民営化の法案が否決。そのため、小泉氏は解散総選挙(いわゆる「郵政解散」)に打って出ました。
結果はというと自民党の大圧勝。
この選挙でもいくつかの流行語が生まれました。

■小泉劇場
この選挙は小泉氏が大いに目立って大勝利したことも受け、「小泉劇場」とワイドショーや新聞で取りざたされました。
■刺客
小泉氏は郵政民営化に反対する「造反組」には、自民党公認を与えませんでした。その代りに彼ら造反者の選挙区に、民営化に賛成する対立候補を立てたのです。片山さつき氏や小池百合子氏など強力な対立候補は「刺客」と呼ばれました。

このように数々の流行語を残した小泉氏は2009年に政界を引退し、息子の小泉進次郎氏がその地盤を継ぎました。
進次郎氏は父親譲りの発言センスで多くの有権者の心を掴んでいるように感じます。父のように総理大臣となり、日本をより良い国へと導いてほしいですね!
(さのゆう90)
「Koizumi―小泉純一郎写真集」