10月21日に発生した鳥取県中部地震は、最大震度6弱、1500戸以上の住居が破損するという大きな被害をもたらした。今年4月の熊本地震をはじめ、2011年の東日本大震災、2004年の新潟中越地震と、日本ではこのような大きな地震が頻発している。


90年代にも巨大地震が日本を襲っている。1995年に発生した阪神・淡路大震災は、死者6000人以上、10万戸以上の住戸が全壊するという未曾有の大災害だった。

阪神・淡路大震災はその後、ドラマ、小説、マンガなど、さまざまなフィクションの題材になったが、その中でもいち早く反応したのが先日40年の歴史に終止符を打った、秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』だった。

「地震の時はわしが必ず助けに来る」


その時代の流行やホビーを取り入れてきた『こち亀』だが、90年代までは世相そのものをネタにしたり、本筋と関係ない部分で両さんたちがコメントを入れたりすることが少なくなかった。

阪神・淡路大震災が発生した95年の『週刊少年ジャンプ』16号に掲載された「テレビ電話時代!?の巻」(単行本93巻)は、両さんが下町で一人暮らしをする老人の家をまわって地震対策をする場面から始まる。駄菓子屋のおばあさんに向かって言うセリフ、「地震の時はわしが必ず助けに来る 絶対来るから心配するな」がシンプルで頼もしい。

90年代の『こち亀』はドキュメンタリーコミックだった


両さんが派出所に戻ると、中川と麗子が被災地への支援物資を荷造りしている最中。派出所内に置かれた義援金の箱に両さんが札を入れて、麗子と中川に「えっまた!」「金に汚い先輩がこんなに…」と驚かれる場面もある。


その後、2ページに渡って3人で震災について語り合うシーンでは、両さんが初期対応が遅かった政府を「なんの役にも立たん!」と一刀両断。震災発生直後の『ジャンプ』10号の巻末では、秋本先生が「政府の遅い対応に比べ世界の早期支援が心を打つ」とコメントしており、両さんの言葉は秋本先生の言葉そのものだと考えていい。

「東京都も税金で世界都市博なんて呑気な事をやってる場合じゃねえぞ」という両さんのセリフもあるが、このエピソードが掲載された直後に行われた東京都知事選で、都市博中止の公約を掲げた青島幸男が当選。都市博は本当に中止になってしまった。

この後、テレビ電話を悪用して勤務中に競馬に出かけた両さん(麗子に「馬券代を寄付すればいいのに!」と言われている)だが、部長にバレて大目玉。両さん自身が「救援物資」として被災地で24時間働かされるというオチだったが、ガレキだらけの被災地の表現が被害の甚大さをよく表していた。
当時の『こち亀』はドキュメンタリーコミックだったのだ。

神戸出身の麗子による被災地支援


『こち亀』の阪神・淡路大震災への言及は1回のみではない。95年の年末に掲載された「麗子のプライベートの巻」(単行本96巻)は、非番の日に麗子が神戸の避難所でボランティアをするエピソードだった。

派出所勤務のほか、さまざまな事業を手がけている麗子が、激務の間を縫って愛車のポルシェに食料品と衣服を詰め込み、徹夜で避難所の手伝いを続ける様子が描かれた。老人や子どもたちの相手のほか、被災した外国人相手の通訳など八面六臂の活躍を見せる。麗子のプライベートを垣間見た両さんも「凄いな」と素直に感心していた。

麗子は神戸の貿易商の娘という設定のため、阪神・淡路大震災に深くかかわっている。
96年のクリスマスのエピソード「ソルジャーサンタの巻」(単行本103巻)では、大量のケーキを作ろうとした麗子が体調不良で倒れ、両さんたちがケーキ作りに奮戦する。手作りケーキの届け先は、神戸の仮設住宅や親を失った子どもたちが暮らす施設だった。

東日本大震災と『こち亀』


東日本大震災が発生した2011年の頃には、ほとんど世相に触れなくなっていた『こち亀』だが、「3人の夜勤」(単行本180巻)の扉絵には、避難所として使用されていた東京体育館に物資を運び込む両さんたちの姿が描かれている。

また、2話前の「両津ミュージック仕分けの巻」では、本誌掲載時は扉絵に「現地復興の兆し」と見出しの新聞を読む両さんの姿が描かれていたが、単行本では差し替えられている(「こちら葛飾区亀有公園前派出所データベース」より)。

優れたフィクションは時代を映し出す鏡でもある。今後も『こち亀』のような作品が生まれ続けてほしいものだ。

(大山くまお)

※イメージ画像はamazonよりこちら葛飾区亀有公園前派出所 (第93巻) (ジャンプ・コミックス)