遺跡からヘビ料理、地雷爆破処理現場まで……カンボジアで10年目のフリーマガジンがすごい

カンボジア在住スタッフが制作する無料隔月ガイドブック『クロマーマガジン』がすごい!

現地のホテルやショップなどで配布されているこの雑誌、プノンペンやシェムリアップにあるスポット情報の充実ぶりはもちろん、常にアップデートされる詳細地図もあり街歩きに大活躍。フリーペーパーなのに、日本の本屋に並ぶガイドブック顔負けの内容となっている。


そして毎号の特集では、シルク・少数民族・神話といったカンボジアの伝統文化を紹介する記事を始め、ゲンゴロウやヘビ料理も紹介する「ローカルおつまみ」、建築好きにはたまらない「1960年代のカンボジア建築」、現地民の生活を垣間見る「ウエディングドレス・コレクション」、カンボジアのお化け・アープを解説する「アープの秘密」、そして普通のガイドブックには載らない地方都市や島の紹介まで、ディープかつ痒いところに手が届く記事で攻める。

またクーロン黒沢さん・下川裕治さんといった人気作家や、現地で特殊な職に就く日本人たちのエッセイもあり、カンボジアを旅行する予定のない人でも読みごたえたっぷりだ。
そういう私も、カンボジアのロック音楽について検索していたらクロマーマガジンの特集記事「永遠の60-70sクメールロック」にヒットし(過去記事はサイトにもアップされており、最新号はPDFでまるごとダウンロード可能)、そのマニアックな内容に大興奮。カンボジアに行ったこともなかったのにすっかりクロマーマガジン愛読者になってしまったほどである。

そんなクロマーマガジンが、今年で10周年を迎える。日本は出版不況と言われているが、激動のカンボジアで10年も雑誌を続けるなんて容易なことではないのでは? 現地の編集部にお邪魔し、雑誌とカンボジアの10年についてお話を伺った。


発刊当初の日本人在住者は1000人にも満たず


遺跡からヘビ料理、地雷爆破処理現場まで……カンボジアで10年目のフリーマガジンがすごい
母体である旅行会社の建物の一角に、編集部のデスクがある

訪れたのは首都プノンペンではなく、アンコールワットで有名な、のんびりとした雰囲気が残る地方都市・シェムリアップ。2006年クロマーマガジン創刊とともにカンボジアに暮らし制作に携わる、現編集長の矢羽野晶子さんにお話を伺った。

雑誌のターゲットは旅行者と在住者。とはいえ発行当時、カンボジア在住の日本人は1000人にも満たなかった。近年は投資ブームもあり、在留届提出者は2000人以上と増加、最初は少なかった在住者向けの記事も増えている。

10年も続けられた理由についてお聞きした。「ひとつはカンボジアの歴史の中で、良い時代だったというのが大きいですね。
それまでは内戦があり(93年に終結)、内戦が終わってもインフラが無茶苦茶で旅行者も少なかった。それがようやく落ち着いて、トラブルもなく旅行者も在住者も増えて。カンボジアの経済成長と一緒に歩いてきた感じです」。
なおカンボジアには、カンボジア全国で配布する日本人向けの老舗フリーペーパーが3誌ある。クロマーマガジンより一足先の2003年に創刊した『NyoNyum』、同時期に出発した『Discover New Asia』と、それぞれ息の長い活動を続けている。

「こちらではまだ紙媒体が強いんですよ。
もちろん現地の人もみんなスマホを持っているし、Wi-Fiはどこでもつながるし、フェイスブックもするんですが、それでもまだ紙が強い。誌面はウェブでも見ることができますが、クロマーを楽しみにしてくれる在住者の方も多く、最新号はまだかと電話がくることもあります」。

刷り上がったら違う写真が掲載されていた!


39号の特集「創刊から振り返る クロマーマガジンの全て」では、雑誌の歩みを知ることができる。地雷爆破処理の現場を取材したり、表紙に野党ポスターが写っていたことが問題視されシールで隠したり、スタッフが取材先のお客に「息子の嫁になってくれ」と迫られたりと、日本ではありえないようなエピソードが満載で面白い。

「創刊号が自由過ぎてすごいんですよ。制作スタッフは当時、私の他にもうひとりいたのですが、誰も本をつくったことがなかったんです。とりあえず本を出すことが第一で、細かい詰めができておらず、ふたりがつくった全く違うものをくっつけたようなものになってしまい。
後から考えると恐ろしいことですね」と矢羽野さん。

カンボジアの印刷事情がわからず苦労したそう。「印刷会社がイラストレーター(デザイン用のソフト)を持っておらず、それは何だと言われて。仕方なく印刷会社にソフトを持ち込んで印刷してもらいました」。

刷りあがったら、違う写真が載っていたことも。「こっちの人っておおらかだから、勝手にデータを変更したりするんですね。
アンコールワットの写真でも、指定したものとは違うのが入っていて、何で?って聞いたら、『こっちのほうがいいと思ったから』って言うんです」。

カンボジア人経営のおしゃれなショップも登場


10年間のカンボジアの変化とともに、紹介する内容も大きく変わった。当初はフリーペーパーにつきもののショップ紹介がほとんどなく、文化の紹介や紀行文がメインだったが、2011年を境に逆転。「昔は日本人に紹介するほど魅力的なお店があまり多くなかったのですが、今やおしゃれなお店ばかりで、どこを取り上げればいいかわからないほど」。
これまではそうしたお店は外国人経営と決まっていたが、ここ最近は留学帰りの若いカンボジア人が手掛けた、洗練されたカフェやホテルが少しずつ生まれ、経営的にも成功しているとか。

また2012年からプノンペンが注目を集めだし在住者も増加。プノンペンにも編集部が置かれ、本社のあるシェムリアップと情報の比率が逆転するほどになった。

あわせてプノンペンでは日本食のお店が続々と登場している。「2012年ごろアセアンが熱いと言われ、様々な日系企業が入ってきました。ただ、人件費が安いとか外国人企業は優遇されるとか、良い情報だけが伝わっているのかもしれませんが、でも実際は、カンボジアで1年もったら成功と言えるくらい厳しいようですね。広告掲載をいただいたのに、次の発行時には撤退されていることもあります」。

遺跡からヘビ料理、地雷爆破処理現場まで……カンボジアで10年目のフリーマガジンがすごい
カンボジア人が経営するニューヨークスタイルのカフェ「テンプル」

遺跡からヘビ料理、地雷爆破処理現場まで……カンボジアで10年目のフリーマガジンがすごい
2012年、プノンペンにイオンモールが誕生。日本の食品も手に入るようになり、生活は格段と便利になったとか

現地にいるからこそ分かるいいところを紹介したい


10年続いたもうひとつの理由として、本づくりとクロマーマガジンが好きなメンバーが集まっていることを挙げる矢羽野さん。「カンボジアでもこれだけ面白く、これだけのクォリティのものをつくりたいと目指してきました。そのうちに、一緒にやりたいというスタッフが入ってきて。こじんまりと仲良く、情熱を持ってつくっていることが、ここまで続いている理由かなと思います」。

編集部員は現在、シェムリアップに5人、プノンペンに5人。そのうち6人が日本人だ。シェムリアップ編集部の田中さんは学生の時、お姉さんが会社のビンゴ大会でカンボジア旅行を当ててしまったことをきっかけにシェムリアップを初訪問。最初は怖い街だと思ったが、2度目の訪問でクロマーマガジンに出会い、あわせてカンボジアの面白さにはまってしまい、現地で働くことを決意。

記者の取材日が初出勤だったという北山さんは、カンボジアのレリーフやアートに魅力を感じ、好きなものが身近にある環境で働きたいと考え、大阪の広告会社から転職する。「クロマーマガジンは前から覚えていて、このクォリティをカンボジアでどうやって作っているんだろうと気になっていたんです」と話す。

遺跡からヘビ料理、地雷爆破処理現場まで……カンボジアで10年目のフリーマガジンがすごい
日本人とカンボジア人のスタッフが肩を並べる編集部

最後に、カンボジアに行こうと考えている人へのアドバイスをいただいた。
「経済発展とともに、いち投資先としてカンボジアに来る人が増えました。中にはカンボジアじゃなくてもいい、日本食があって、日本人の仲間がいて、日本と同じ仕事ができたらそれでいいという人も多いようですが、せっかく縁があって仕事や旅行に来るのですから、カンボジアならではの面白い文化、観光地や地元の人たちの生活にも目を向けてほしいと思います」と矢羽野さんは話す。

「最近はカンボジアにも、ショップ紹介がメインのコミュニティ誌が増えているのですが、そうした要素も取り入れつつ、現地にいるからこそわかるカンボジアのいいところ、あまり他のメディアが取り上げないところも、クロマーでは取り上げたいですね」

クロマーマガジンが今後、どんなカンボジアの姿を紹介してくれるのか、とても楽しみだ。カンボジアにずっぽりはまる日本人(記者含む)を、どんどん増やしてくれることを期待したい。
(清水2000)