インターネット上で「おばさんにならない」と言われている森高千里。46歳になった今でも変わらぬ美貌を維持し、20代のアイドルの隣に並んでも遜色ない若々しさと美しさを見せている。
そんな森高千里はリアル20代だった頃を振り返っていきたい。

カバー曲がきっかけでブレイクした森高千里


森高千里はポカリスウェットオーディションでグランプリを獲得して芸能界デビュー。糸井重里と一緒にCMにも出演した。
デビュー間もない頃は女優としても活動していたが、後に歌手一本に専念。アルバム「ストレス」で初めて作詞を担当して、音楽関係者から評判を呼んだ。
「ストレス」の後にシングルが南沙織の「17歳」をカバーしたことでブレイク。この時の超ミニスカートの衣装は大きな話題を呼んだ。
後に森高の脚には1億円の保険がかけられるなど、美脚=森高千里というイメージが浸透したのである。

森高千里 作詞で評価


当初はアイドル的扱いだったが、音楽活動を続けていく内に作詞でも評価されていった。23歳の時にリリースしたシングル「私がオバさんになっても」は「おばさんになっても私を愛して」という歌詞が女性の共感を呼んだ。また、「渡良瀬橋」では言葉の響きが美しい橋や川を探していた森高が、渡良瀬橋の存在を知り実際に訪れて作詞を行ったという。

ドラマーとしても凄かった森高千里


ドラマーとしても評価が高く、吉田拓郎が「その辺のドラマーよりも全然うまい!」と話すほど。森高と拓郎が出したアルバムでは森高がドラマーとして演奏している。
また、泉谷しげるも森高のドラムに高評価を与え、泉谷が主催したイベントで森高をドラマーとして参加をさせたり、アルバムにバックミュージシャンとして呼んだりもした。

他にもギター、ベース、キーボード、リコーダーの演奏も行い、様々な場で腕前を披露している。


森高千里と江口洋介の馴れ初めは


そんな森高に恋愛話が出たのは1995年。森高のラジオ番組に江口洋介が出演した時に知り合い、翌年に写真週刊誌にツーショット写真が掲載されたことで交際宣言。
森高が顎関節症でコンサートツアーを休止していた時も、江口は森高の近くで付き添っていたとのこと。その後も交際を重ね、1999年に結婚した。

結婚後は子育て中心で芸能活動をセーブしていたが、最近は活動を再開。今でも当時と変わらないパフォーマンスを見せ、衰えを見せていない。

もしかするといつまでも"オバさん"にならずに、50代、60代を迎えても変わらぬ美貌や音楽を見せてくれるのでは、と期待してしまう。
(篁五郎)
 森高千里 UHQCD THE FIRST BEST SELECTION `93~'99