Mr.Childrenはデビューして約5年経った1997年、約1年半音楽活動を休止して充電期間に入った。けれども、実はデビューを目前にしたインディーズ時代にも丸3ヵ月、活動を休止していた。
理由は何だったのだろうか。

デビュー5年目に無期限活動休止を宣言したMr.Children


1997年、Mr.Childrenは無期限で活動休止を宣言し、長期の休養期間をとったことはよく知られている。特に桜井和寿は、音楽面、プライベート面、世間の自身に対するアイドル的な人気など、さまざまな面で悩みを抱え、追い込まれていた。「夢見ていたものと、夢が叶った時のギャップはあまりに大きくて、そのへんで迷ったりしている」と話した。
デビューから約5年、無我夢中で突っ走ってきた彼らは、いったん歩みを止めて考え、新しい方向性を見つける時間が必要だったのだ。「ミュージシャンとしての有給休暇みたいなもの。自分たちの時間を持ちたい」と、ファンの前から姿を消した。


活動休止期間、桜井は「じっくり休んで、自分の田舎(母親の実家がある山形県酒田市)を散策したり、サーフィンをしたりしていた。そうするとふっと頭にメロディーが浮かんで、自然にたくさんの曲が出来た」と語っている。ヴォーカルも演奏も、自然体でのびのびとしており、休養前とは変化した。
マスコミは「休業後、解散か」というニュアンスで報道したが、活動休止期間は意外に短く、1998年10月、1年7カ月ぶりに新曲『終わりなき旅』をリリースし、音楽番組『ミュージックステーション(テレビ朝日系)』に出演、音楽シーンに戻ってきた。

インディーズ時代から注目されていたMr.Children


桜井は、中学2年のころからすでに将来は音楽で食べていいきたいと思っていたという。高校に入学後、軽音楽部に入部し、中川敬輔(ベース)や田原健一(ギター)らと『ザ・ウォールズ』というバンドを組んだ。
最初は、BOOWYやエコーズのコピーバンドだったが、オリジナル曲で勝負したいと、オリジナル曲を作り、いろいろな番組のオーディションにデモテープを送り、ライブハウスに出演し、プロを目指した。


高校卒業後、渋谷のライブハウス『ラ・ママ』を拠点に活発にライブを行ない、ファンを増やした。1988年、ドラマーの鈴木英哉がメンバーに加わる。1989年、バンド名を『ザ・ウォールズ』から『Mr.Children』に変更。
1990年に初のワンマンライブを成功させ、ライブをするたびにファンが増えた。当時はバンドブームで、そんなMr.Childrenの人気を見たあちこちのレコード会社からデビューのオファーがあった。

Mr.Children、デビュー5年目に無期限活動休止


彼らがYesと言えば簡単に念願のメジャーデビューが手に入る状況だったが、1991年の1月、桜井の提案でMr.Childrenはバンド活動を休止した。
「自分たちがどんな音楽をやっていくのか具体的な方向性が明確になっていない。永遠に評価され続けるバンドになるために、土台をもう一度見つめ直したい」という理由だ。
丸3ヵ月後、再びメンバーが集まり、「自分たちが進みたい方向性」を話し合った時、「自分たちの身体の底から湧き出てくるメロディーを音にしたい」と意見が一致。そして1991年、TOY’SFACTORYと契約、92年にメジャーデビューを果たす。

長く走り続けるために、本当のゴールを目指すためには、走り続けるだけではなく、時に足元を見つめ直し軌道修正が必要だ。じっくりと自分たちが納得のいく活動をしていきたいという想い。
デビュー前、デビュー後の活動休止も目的は同じで、妥協のない真面目すぎるバンドであることがわかる。
(佐藤ジェニー)

※イメージ画像はamazonより「足音 ~Be Strong」