『ひなげしの花』などのヒット曲で知られる香港出身の歌手、アグネス・チャン氏には、教育学博士としての顔もある。もともとは日本の上智大学に通っていたが、カナダのトロント大学に編入して児童心理学を専攻。

結婚して長男を出産したあとも米スタンフォード大学へ留学するなど、華やかな芸能活動の裏では、教育への高いアンテナを張っていたのだ。

 さらに驚くべきは、アグネス氏の3人の息子までもがスタンフォード大学に合格しているという事実だろう。同大学は、イギリスの教育専門誌「タイムズ・ハイアー・エデュケーション」が発表する世界大学ランキングで常にトップ5入りする名門校。

「息子たちをスタンフォード大に入学させた秘密があるなら教えてほしい」という周囲からの強い要望がきっかけで、昨年3月に出版された著書『スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法』(朝日新聞出版)は、日本のみならず、香港でもベストセラーになっているという。

 あらかじめ誤解のなきよう前置きすると、本書では「論文の試験では大事なポイントだけでも答案用紙に箇条書きしておくと、最後まで書き終わらなくてもプラスアルファの点数をもらえることがある」といった大学合格のための実践的なテクニックも紹介されているが、それはごく一部。あくまでも「親は子どもにどう接するべきか」というアグネス氏の教育論がベースとなっており、編集部では今回、その実情に迫るインタビューを実施した。


●子育ての基本は“自己肯定感”の育み

――『50の教育法』は、「教育ママ宣言」という項目で幕を開けます。アグネスさんの言う教育ママの役割は、子どもに勉強を押しつけることではないようですね。

アグネス・チャン氏(以下、アグネス) はい、私にとって“教育=勉強”とは限りません。教育というものは、子どもの自己肯定感(=セルフエスティーム)を高めるところからスタートすると考えています。

 他人は他人だし、自分は自分。他人の人生を羨むこともなければ、他人を差別することもない。
これが教育のファーストステップで、できれば小学校就学前に仕上げておくのが理想です。そこをさらに突き詰めると、子どもが1~3歳のうちに、親がどれくらいの愛情を注いであげられるかというのが課題になってきます。

――まさしく、「三つ子の魂百まで」というわけでしょうか。

アグネス そうです。昔の人が残した言葉は嘘ではありません。自分を肯定できる子どもは自らの可能性を伸ばすことができ、何事にも前向きに取り組めますので、それが学力や成績にもつながってくるはずです。


――そんなアグネスさんとお子さんたちは、さぞかし仲の良い親子だったのだろうと思いますが、本書には「友達みたいな親子関係は望まない」と書かれています。

アグネス ええ。私はスキンシップを大切にしていた一方、子どもが親にどんな態度を取るか、礼儀正しいかどうかにはシビアでした。息子たちには「親を敬えない子どもは、誰の信用も得られませんよ」と教えていました。いわゆる“友達親子”には違和感がありますし、親もいざというときは子どもにしっかり注意できなければいけません。私は子どもにとって頼れる親であろうと、日々努力してきたつもりです。


●性教育やホルモンについて教えるのは9歳

――意外だったのは、お子さんたちが9歳くらいの段階で性教育を施したというエピソードでした。その年齢で、本当にアグネスさんの説明を理解できていたのでしょうか?

アグネス イラストを使うなどして工夫すればわかってくれましたよ。性教育をするのは、やがて子どもが思春期を自分自身で乗り越えるためです。9歳くらいの子どもはまだ、親の話に興味を持って聞いてくれる年代ですからね。私はホルモンの仕組みを、割と早めに教えることにしていました。

 成長すると女性ホルモンや男性ホルモンが出てきて、身体つきが変わります。
精神的に不安定になることも増えますし、一日のなかでも気持ちに波があって、笑いが止まらないときもあれば、なぜか泣いてしまうときもある。異性が近くを歩くだけで手に汗が出てしまうとか、今までになかった不思議な感情が湧き起こります。

 私は、「それは全部ホルモンのせいですからね」と教えたんです。ホルモンの仕組みを理解していれば、イライラしているときに人のせいにしなくて済みます。これをわかっていない子どもは「親が最近うるさいのが悪い」などと違う理由に結びつけてしまいがちですし、親も「成績が下がってきているから不機嫌なのかな」とか勝手に想像して、親子の間に溝ができてしまうのです。

――なるほど。
性教育やホルモンの説明には、子どもが反抗期に突入してしまうのを防ぐ意味合い、もしくはそういった時期に適切に対処できるようにしておくという意味合いもあるのですね。

アグネス イライラすることがあっても、時間が経てば元に戻る。自分のせいでも親のせいでも社会のせいでもなく、ホルモンのせい。それを知っていればセルフコントロールが上手になり、勉強への集中力も上がるでしょう。近頃の子どもは思春期を迎えるのが早いので、その前に親が説明してあげるのがポイントですね。

●ゲームや漫画を徹底排除する本当の意味

――子どもが高校生になるまではゲームと漫画を禁止していたそうですが、その狙いはなんでしょうか。

アグネス ゲームに熱中する子どもは、脳の発達する部分と発達しない部分とでバランスが悪くなると指摘されています。あと、ゲームのために長時間ずっと座り続けるようなことは、子どもに丈夫な身体をつくってもらううえで避けたかったのです。

 高校生くらいになれば脳もかなり出来上がり、悪影響を受けにくくなるのですが、私だって正直、『キャンディークラッシュ』(スマホ用ゲーム)をプレーし始めたら手を離せなくなるんですよ(笑)。ゲームには、それくらいの中毒性や魔力があると思います。大人の私がこうなんですから、これに若い子どもたちが対抗できますか。

――おっしゃる通りです。漫画の禁止についてはいかがでしょう? 作品によっては、優秀な学習教材になる気もします。

アグネス 漫画というものは、ひとつのテーマをできるだけ噛み砕き、わかりやすく説明してくれていますよね。でも私は文学など、なるべく“わかりにくいもの”を子どもに与え、自分で一生懸命考えさせたかったのです。

 例えば『三国志』は、漫画で読んだら取っつきやすいでしょうけど、それで満足してしまうかもしれません。「あの人はこんな顔だ」「あの風景はこういう風景だ」と思い込むのは、作者の描いた世界をただ丸写ししているだけに感じられてしまいます。子どもにとっては、想像力豊かに自分だけの世界を持つことが重要ですので、漫画を読ませるのは想像力がある程度鍛えられてからでも遅くないでしょう。

 しかし実際には、息子たちが小さい頃に読ませていた作品もあるんです。『はだしのゲン』に出てくる、人の身体に虫がわいてしまう描写などは、人の想像を超えていますからね。

――では最後に、読者へのメッセージをお願いします。

アグネス 私は「子どもの個性を自由に認めてあげよう」という教育方針で、結果的に息子たちをスタンフォード大学に送り出せました。アメリカの大学入試はペーパーテスト一発勝負ではないため、逆に彼らは“ガリ勉”だけを求めている大学には入れなかったでしょう。

 今は「正しい答えはひとつしかない」という世の中ではなく、「ひとつの問題から1000個の答えが出てくる」ような世の中に変わってきています。すごく頭が良いのに試験で点を取るのが苦手という子どもも多いですが、そういった彼らを拾い上げ、能力を伸ばしてあげられなければ、ひいては社会全体が損をしてしまうことにもなるんですよね。私はそういう見解なので、親にとっては「そうだそうだ」と共感できる本になっていると思いますよ。

――本日はどうもありがとうございました。

(構成=森井隆二郎/A4studio)