先日施川ユウキの『オンノジ』という、誰もいなくなった世界を描いた作品を紹介しました。
誰もいなくなる、自分だけが存在する、というのは、人間が感じる恐怖の一つです。

「自分だけ」というシチュエーションには色々なバリエーションがあります。
誰もいなくなってしまった。
自分が別の場所に置き去りにされた。
そして、周りと時間の流れが変わってしまった。

今回紹介する『トコの長い午後』という作品は、時間が止まってしまった世界を描いた作品です。
ヒロインのトコは誕生日に、少年航太に呼び出されて誕生日プレゼントをもらいます。

まさに幸せの絶頂だった彼女、ふとした事故でそのすぐあとに、ビルから落下してしまいます。
ところが死んでいない。生きている。怪我も何もない。
周囲を見渡すと、人はすべて動いていないどころか、もらったプレゼントも宙に浮いたまま。
完全に時間の止まった世界に、彼女は置き去りにされてしまいます。


時間停止を描いた作品はSFではよくありますが、ここで問題になってくるのは「時間が止まるとはどういう状態なのか」というディティールの部分。
表現自体は簡単なんですよ。周りの人間達が止まっていたら、時間が止まっている世界は表現できます。
しかしその世界の物理法則はどうなるのか? これは現実に時間の止まった状態に行ったことがある人が居ないので、誰にもわからない世界です。
じゃあそんな世界は存在しないのかというと、存在はするのです。アインシュタインの相対性理論にもつながる話で、光よりも早く動くと物体の時間が止まる、ということ。

それを、マンガで表現したのがこの作品です。
難しい話もありますが、まずは頭をカラにして「時間が止まるとどうなるのか」だけ見てみると非常に興味深い。

まず人間のみならず、物体はすべて停止するはずです。
硬くなったとか固定されたわけじゃないです。水なども、その場から動かなくなるだけの話。動く=時間が存在する、ということですから、時間のない世界を描くこのマンガでは一切のものが動きません。

じゃあその中で動けるヒロインの身の回りのものはどうなのか。
ヒロインの着ている服は動きます。彼女が触ったものは動きます。
動く=彼女の時間と同期するんです。その物体には時間が影響します。
身に着けていたものをほおりなげたら、その物体には時間が影響しなくなるので空中で止まります。

少々面倒ですが、コンビニのドアをあけてものを取り出すことは、物体に彼女が関与しているので、可能。しかし手を離れれば関与しなくなるので止まります。
ではペットボトルに入っている液体を飲みたい場合はどうなる?

時間停止物語やタイムスリップ物語で描かれるのは、孤独感です。
しかしこの作品は比較的、物理法則の話の色が濃く、物体の力作用と時間停止の話がものすごく緻密に描かれています。
もちろん寂しさはあります。街中に人がいるのに、時間が止まっているので沈黙しかない。
これは相当につらいです。誰もいないとわかっているよりもつらい。
けれども理論的に「時間が止まるとは何か」を考えているので、そこまで悲壮じゃないのが面白い。
ようは止まっている人達は死んでいるわけじゃなくて、自分の時間の流れと違う流れにいる、ということ。

大多数の人間が止まっている世界ですが、「止まり残り」と勝手に呼んでいる、動ける人間が数人出てきます。
とある共通点があって他の人間も止まり残りになっているのですが、ここの謎はまだ明らかになっていません。
止まり残りの時間の流れは共通しているので、遅れたり早まったりはしません。相対的に同じです。
彼女たちが語る時間論が非常に面白い。
有名なところでは『浦島太郎』。外界が自分の時間よりも早く進んでしまう話です。
他に時間泥棒が時間を盗む、ミヒャエル・エンデの『モモ』や、宇宙人が人をさらって時間を盗まれた実例などもあげられます。

時間というのは相対的なもの。
もっといえば感覚的な部分もあります。今日は早く過ぎたな、なんか今日は一日が長いな、なども。
もし自分が感じている時間の流れと、隣にいる人が感じている時間の流れのスピードがずれていたら、相対的に時間を長く感じていたり、早く感じたりします。
もしかしたら、極端な話、ぼくらは断片的に短く時間を停止させられ続けて、そのなかで継続しながら時間を感じているかもしれない。
『モモ』みたいに時間泥棒に盗まれていないとも言い切れない。

答えのない話ですが、時間について自然に考えさせられる、なんとも不可思議な物語です。
出てくる女の子達がかわいいので、それを見ているだけでも十分楽しめます。設定的にはかなりキツい状態なのですが、割りと明るめ。

この作者は、極めて独特なマンガのコマ割りをする作家です。
縦書の場合人間の目は画面右上から左、ななめに右下に下がって左、と、逆Z型に進むのですが、それにそったコマを配置しているのです。
普通のマンガと全くと言っていいほどレイアウトが違うので、1ページの中で視点がぐるんぐるん振り回されます。
この不思議な感覚と、時間の感覚がうまい具合に噛み合っている、良い意味で奇妙な作品。
最初は酔うかもしれませんが、自然に、時間が止まり音もない、緻密に描かれた背景の中でぐるんぐるんに目が回る感覚がクセになります。
セリフや絵柄だけではなく、マンガのコマ割りそのものが感覚に訴えかけてくる、ちょっと珍しい作品なのです。これは是非体験してみてください。

それにしても、自分が生きて感じているこの時間の流れ。
本当に他の人と、同じなのですかね。
実は頻繁に時間が止まっているのに気づいていなかったら……どうしよう?


海野螢 『トコの長い午後』

(たまごまご)