あれっ、『談志が死んだ 立川流はだれが継ぐ』が増補版で復刊しているよ。

落語界中興の祖というべき立川流家元・7代目立川談志が病没したのは2011年11月21日のことだった。
それから2年が経過したが、現在でもその名に関わる話題には事欠かない。つい先日も東京都練馬区にある旧宅を改築し、書斎を資料室として保存するプランがあることが明かされて話題になったばかりである。
また弟子たちの落語会も頻繁に行われており、談志が亡くなった際には「立川流は解散するのではないか」との声も囁かれたが、なかなかどうして、元気なのです。

というわけで『増補 談志が死んだ 立川流はだれが継ぐ』だ。
本書の元版が講談社から刊行されたのは11年前、2003年のことである。当時まだまだ談志は意気軒昂、その師匠に対抗して弟子たちが、立川流ここにあり、との姿勢を表明するために企画された本であった。
談志には熱狂的がいたが、残念ながらその関心は家元個人に向けられ、一門の弟子までちゃんと聴くという人は、当時そんなにいなかったのである。
「立川流は家元だけじゃないんだよ」という自己主張が本書には溢れている。そのタイトルを「談志は死んだ」「立川流はだれが継ぐ」にしたのだから、いい度胸である。

なにしろ10年前の本だから、状況はずいぶん違っている。どこがどうなっているか、元版と増補版の異同を見ていこう。

1)元版のころはいたが、今では立川流にいない人が増補版にもいる。


2003年時点で立川流に在籍していたが、今はいない人たちがいる。物故した立川文都(2009年没)、立川談大(2010年没)は当然、問題は快楽亭ブラックだ。ブラックは競馬が原因で借金をこしらえ、金銭スキャンダルに巻き込まれた。そのため2005年に、立川流を自主退会している。『借金2000万円返済記』に詳しい。

本書の第一部の鼎談にブラックは顔を出している。
増補版の刊行にあたってこの部分の扱いがどうなるか気になったが、幸いなことに元通り収録されたようである。兄弟子について発言した悪口部分もそのまま。ブラックは談志没後、師匠の態度の一部を批判した『立川談志の正体』を発表しているので、立川流との関係を心配していたのだが、本書の刊行については問題なかったようである。よかった!

2)元版のころはいなかったが、今では立川流にいる人が増補版にいる。

これは2004年以降に弟子入りした人ではなくて、2003年当時に事情あって立川流にいなかった人のことを指している。

2002年6月、談志の師匠である5代目柳家小さんが亡くなった直後に事件が起きた。
談志の直弟子の前座6名全員が「二つ目への昇進意欲が見られない」として破門になったのだ。
それ以前にも前座が破門されることはたびたびあったが(ファンはまるで年中行事のように見ていた)、このときの談志の怒りは深く、なかなか帰参がかなわなかった。6名のうち立川談吉(現・泉水亭錦魚。二つ目)は入門から日が浅かったという理由ですぐ破門が解け、立川談修(現・真打)も復帰試験に合格して戻ることができた。しかし2003年当時の段階では4人がまだ破門状態であった(松垣透『破門 ただ今、落語修業中』も参照のこと)。したがって元版には登場していないのである。

その欠席組のうち1人だけが増補版に登場している。立川キウイだ。

立川キウイは1990年12月に談志に入門、以降二つ目昇進まで異常に長い年月がかかり、2007年7年にようやく昇進を果たした(2011年7月真打ち昇進)。前座生活が16年半に及ぶというのは現行の落語界における最長記録であり、おそらくこの先も破られることはないはずだ。『万年前座』を読むと、よくも16年、としみじみした気持ちになる。そのキウイの原稿も、増補版には収められている。


破門状態にあった中で、元版にいなくて増補版にもいないのは3名。うち1人は前述した物故者の談大である。残りの二人は当時の立川志加吾と立川談号、両名ともに談志門下を離れて故郷である中京地区に戻り、大須演芸場を根城とするフリー落語家・柳家小福(故人)に入門した。その後の名前を雷門獅篭、幸福という。
獅篭は志加吾時代「モーニング」に漫画『風とマンダラ』を連載し、漫画家兼業の落語家として知られていた(というか、その漫画内での発言が元で破門になったという説もある)。小福門下に移ったあたりの話は『雷とマンダラ』で読むことができる。また、談志と小福2人の師匠についての思慕を綴った『ご勝手名人録』は、愛に溢れたいい本である。

(これは余談になるが、獅篭・幸福が活動拠点にしている中京地区唯一の寄席、大須演芸場が1月末で閉館になることが決定したと報道されている。その後の名古屋演芸界がどうなるか予断を許さないが、大須には一度行ってみるつもりなので、よかったらレポートを読んでください)

3)元版のころにあった制度が、今はない

談志が落語協会を脱退し立川流を創設したのは、1983年6月のことである。当時協会は二つ目から真打への昇進試験を実施していたが、弟子である談四楼(現・真打ち)、小談志(後の喜久亭寿楽。故人)が不当な理由で不合格にされた。それがきっかけとなり、協会の体質、姿勢を批判する形で脱会を決意したのである。

立川流創設にあたって談志が導入した2つの画期的な制度がある。1つは上納金だ。元来落語界では師匠が無償で弟子を教えるのが常識だったが、談志はそれを有償にした。批判を受けた談志は「同じことを千宗室(裏千家)や花柳寿輔(花柳流)にも言いな」と反論したという(しかし、弟子の立川談之助は、茶道や花道には体系づけられた教えがあり、誰でもその指導を受けることができる。系統だった指導法が確立されていない立川流で同じことをするのはおかしい、と『立川流騒動記』でこのことを批判している)。

もう1つはコース制であった。従来の弟子(つまりプロの落語家)をAコースとし、それ以外に有名人を対象としたBコース、一般人のCコースを設立、誰でも上納金さえ納めれば立川流の弟子を名乗れるということにしたのである。これに呼応する形で高田文夫が友人のビートたけしを誘ってBコースに入門し、立川流が世間に認知される糸口をつけたことは有名だ。

談志没後の2012年、立川流は家元を置かない合議制に移行することを発表した(代表は談志子飼いの一番弟子である土橋亭里う馬)。併せて上納金制度も廃止されたのである。このとき実はコース制度も廃止されたはずなのだが、所属している人を慮ったか、大々的には公表されていない。

『談志が死んだ』巻末には立川流の名鑑がついている。元版ではAコース、Bコースの弟子がそれぞれ写真つきで紹介されており、増補版でも同じ形がとられているが、コース制がなくなったためにBコースについては「談志が生前に認めた有名人」という表記がされている。ちなみにCコースは写真がなく、増補版では「談志が生前に認めた一般人」という書き方だ。

このBコースについて、以降は記憶も薄れていくだろうから、誰が立川談志の門下になったのかを一応書いておこう。まず、名鑑にも名前があるのが以下のひとびと。真打以外はだいたい入門順である。

高田文夫(放送作家。立川藤志楼。真打)、ミッキーカーチス(歌手。ミッキー亭カーチス。真打)、立川文志(江戸文字書き。色物真打)、毒蝮三太夫(俳優。立川毒まむ志)、ビートたけし(コメディアン。立川錦之助)、山本晋也(映画監督。立川談遊)、上岡龍太郎(元コメディアン。立川右太衛門)、松岡悟(元警視庁警察学校理事官。立川藪医志)、ダンカン(コメディアン。ダンカン)※元談志の弟子でもある、内田春菊(漫画家。立川於春の方)、奥山コーシン(放送作家。立川こう志ん【こうはニンベンに光】)、高井研一郎(漫画家。立川雄之助)、マルカス(旅行会社経営。立川談デリー)、野末陳平(著述家。立川流野末陳平)。

この他、物故したり辞めたりで名鑑に名前が出てこないのが以下のひとびと。巻末年表を参考にしているが、漏れがあるはずで、完全版ではない。たとえば談志は、吉本興業の林正之助もBコースに入門したと言っていたはずだ。

横山ノック(故人。立川禿談次)、山口洋子(作家。立川談桜)、滝大作(放送作家。立川大御所)、堀内美希(歌手。立川志津歌)、野坂昭如(作家。立川転志)、景山民夫(故人。立川八王子)、高平哲郎(放送作家。立川高平)、団鬼六(故人。立川鬼六)、丸茂ジュン(作家。芸名不明)、ポール牧(故人。立川光掌)、三遊亭楽太郎(現・円楽。立川談次郎)、五味武(故人。立川難民)、なべおさみ(俳優。立川裏門)、上田哲(故人。芸名不明)、藤田小女姫(故人。立川小女姫)、赤塚不二夫(漫画家。立川不死身)。

けっこう意外な人が入っているのがわかる(なべおさみの立川裏門というのはいいね)。

そろそろ字数がなくなってきた。
『談志が死んだ』は、落語立川流のファンブックという性格を持つ本である。主たるパートは「第一部 恐れ多くも、「家元」「立川流」「落語界(カバーは誤植で『落語会』になっている)」を語る」であり、直門の真打ちによる対談・鼎談、孫弟子も含めた二つ目(当時)の座談会では、この一門らしく歯に衣を着せぬ、そして洒落心に溢れた談志論が戦わされている(当時の前座たちが参加したアンケートも収録されているのだが、志らく門下の立川こらくなど、今では在籍していない名前も散見される)。
また、談志自身が弟子たちについた文章も収録されており、それぞれの弟子観が伺えておもしろい。このくだりは談志の闇の部分を批判した弟子の著書、立川談四楼『談志が死んだ』、立川生志『ひとりブタ』などと併読するとさらに味わい深い。師匠から言われっぱなしだった弟子たちも、自分の言葉で反論するようになったのである。ふてぶてしくって、いいやね。
(杉江松恋)