突然ですが問題です。以下の5人の俳優全員が演じたことのある“歴史上の人物”を答えなさい。

 沢田研二 岡田裕介 織田裕二 ビートたけし 宮崎あおい
正解は……記事タイトルにもあるから書くまでもないと思うが、昭和最大のミステリーともいわれる三億円事件の犯人である。

この事件は、1968年12月10日、東京都府中市において、電機メーカー工場の従業員のためのボーナス総額約三億円を、白バイ警官に変装した犯人が巧みなトリックで現金輸送車ごと奪い去ったというものだ。犯人の乗り捨てたオートバイをはじめ遺留品も多かったことから、早々に解決すると思われたが、捜査は難航、けっきょく犯人は捕まらないまま7年後の1975年、刑事上の時効が成立している(1988年には民事上も含めすべての時効が成立)。

さて、先ほどあげた俳優たちについてざっと説明しておくと、沢田研二は1975年、事件の時効を前にTBSで放映された連続ドラマ「悪魔のようなあいつ」で犯人を演じた。プロデュース・演出は「寺内貫太郎一家」などのホームドラマをヒットさせてきた久世光彦、脚本はのちに沢田主演で映画「太陽を盗んだ男」を監督する長谷川和彦が担当し、また放送にあわせて作詞家の阿久悠の原作、上村一夫の作画による同名劇画が女性誌に連載されるというメディアミックスも展開された。しかし沢田の歌った主題歌「時の過ぎゆくままに」はヒットしたものの、肝心の視聴率は伸び悩んだようだ。


上記の5人のうち岡田祐介という名前にはピンと来ない人もいるだろうが、これは現在の東映の岡田社長のこと。若いころ俳優だった岡田は、やはり時効を迎えるのに合わせて公開された、「実録三億円事件 時効成立」(石井輝男監督)で犯人役を務めた。

このほか、織田裕二は1991年放送のスペシャルドラマ「実録犯罪史 新説三億円事件」、ビートたけしは2000年放送のやはりスペシャルドラマ「三億円事件―20世紀最後の謎―」(一橋文哉のノンフィクション『三億円事件』が原作)、宮崎あおいは2006年の映画「初恋」(塙幸成監督)でそれぞれ犯人役を演じている。それにしても、ドラマ放送当時53歳だったビートたけしから、映画公開当時20歳の宮崎あおいまで、そのキャスティングの振り幅にあらためて驚かせる。

これだけ犯人の配役がバラエティに富んでいるのは、事件が未解決であり犯人像も明確に定まっていないからこそだろう。ここまであげた以外にも、小説や映像作品で三億円事件をとりあげた作品は枚挙にいとまがない。
今夜(10月11日)からTBS系列で放映が始まる連続ドラマ「クロコーチ」および同名の原作マンガ(リチャード・ウー作、コウノコウジ画)でも、物語に三億円事件がからんでくる。

三億円事件はなぜ発生から45年経った現在にいたるまで、これほどまでにつくり手たちを触発してきたのか? その理由をいくつか考えてみたい。

【理由その1】迷宮入り事件なので、想像する余地が大きいから
第一に考えられるのは、先述したように未解決事件であることだ。62点も遺留品が発見されており、関連性を指摘される諸事件も豊富であることから、事件直後から推理合戦が展開されてきた。そこには当然ながら何人もの作家も参加し、作品に仕立てあげている。その形式はおおまかにノンフィクションとフィクションに分けられるが、フィクションのなかにも実録物から、エンターテインメント色の濃いものまであって幅広い。


事件直後から時効を迎える前後にはやはり作家が本気で推理に挑んだ実録物が多い。『小説 三億円事件』と題名がかぶった松本清張・佐野洋・梶山季之の作品(ただし松本作品だけは漢数字ではなく算用数字の「3」を用いている)のほか、前出の映画「実録三億円事件」の原作となった清水一行『時効成立』などがこれにあたる。

エンタメ色の濃いものは後年になるにつれ増えていく。三億円事件の犯人を推理するため、クイーン、ポワロ、メグレ、明智小五郎といった名探偵らが呼び出されるところから物語が始まる、西村京太郎の『名探偵なんか怖くない』(1977年)あたりがその走りだろうか。その後も、主人公が1984年の現在から事件当時にタイムスリップするという清水義範の短編「三億の郷愁」(『「青春小説」』所収)、21世紀にいたっても、前出の宮崎あおい主演の映画の原作である中原みすず『初恋』(2002年)、清涼院流水『トップランド1980 紳士エピソード1』(2002年)、永瀬隼介『閃光』(2003年)、横山秀夫『ルパンの消息』(2005年。ただし同作がサントリーミステリー大賞の佳作を受賞したのは1990年)などといった作品に三億円事件が登場する。


このうち『閃光』も「ロストクライム ―閃光―」と改題のうえ映画化されている(2010年)。事件の裏に警察機構の腐敗が隠されていたという展開は、マンガ『クロコーチ』とも重なる。なお「ロストクライム」では事件の真犯人を追う若手刑事を渡辺大が演じたが、彼の父親・渡辺謙はドラマ「刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史」(2009年)で、三億円事件の捜査にもかかわった実在の刑事・平塚八兵衛に扮している。

【理由その2】絵になる場面があるうえ、再現するにもそんなに金がかからないから
まあ、これは映像作品にかぎっての話だけれども……たとえば1984年のグリコ・森永事件も三億円事件同様、未解決事件だが、これについて映像化した作品は存外少ない。それはやはり、三億円事件ほど絵になるような場面がないからではなかろうか。いや、たしかにグリコ・森永事件でも、犯人である“キツネ目の男”がコンビニの店頭に毒入りの菓子を置くという、防犯カメラに撮られた決定的瞬間が記憶されるが、はっきりいって三億円強奪の瞬間ほどかっこよくはない。


三億円事件はその現場のロケーションもかなり劇的だ。現金強奪は府中刑務所の長くて高い塀を背景に実行され、しかも事件当日は雨。この絵になる感じは、「忠臣蔵」における江戸城・松の廊下や、雪の中での吉良邸討ち入りに匹敵するかもしれない。

ただし、たとえ絵になっても、再現するのに金がかかっては映像化は難しくなる。1972年のあさま山荘事件が、ビジュアル的にはこれ以上ないインパクトを持ちながら、三億円事件ほど映像化されていないのは、事件自体の陰惨さに加え、予算の問題も大きいように思う。若松孝二監督は映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」で、クライマックスの山荘での銃撃戦を撮るにあたって自分の別荘を使ったが、そんな思い切ったことをできる人はやはり少ないわけで。
その点、三億円事件は、事件当時の車両をそろえるのがやや難とはいえ、それなりに長い塀のあるロケ地さえ確保できれば、撮影は容易だろう。

現金強奪のシーンは映像作品でも見せ場となるだけに、つくり手の腕の振るいどころだ。作品ごとに解釈などの違いによって微妙に描写が異なるあたりも、「忠臣蔵」と共通しよう。その点でとくに印象深かったのは、冒頭でも触れたビートたけし主演のドラマだ。たけしが警官に変装し改造バイクに乗って現金輸送車を追うシーンでは、スローモーションや各部分のアップが用いられ、グッと緊張感を高めたかと思えば、現金輸送車を乗っ取ったあと、彼がカーラジオから流れる水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」に合わせて口ずさみ、それまでの緊張を一気に緩ませるところなど、見事な演出であった。

【理由その3】事件直後より犯人がヒーロー扱いされたから
占領下で起こった下山・松川・三鷹の国鉄三大事件や帝銀事件など、戦後の未解決事件は数あれど、どれも犠牲者が出ている。そのため、フィクションでとりあげるにしても話はシリアスにならざるをえない。清水義範の小説のように軽いタッチで事件を描くことはできないわけだ。

その点、三億円事件では現金強奪に一滴も血が流れなかったうえ、従業員には事件翌日にあらためてボーナスが支給され、現金を盗まれた銀行にも保険会社から補償金が支払われた(保険会社の負担も、再保険で補償された)。もっとも、事件捜査中に警察に誤認逮捕され、釈放後も長らく報道被害にあった人物がいたことを忘れてはいけないが。

ともあれ、事件当時より庶民のあいだでは、白昼堂々現金を強奪した犯人に喝采を送る人も少なくなかった。ちょうど学生運動華やかりし時代でもあり、銀行から大金を奪い、警察の捜査網をかいくぐり逃げおおせた犯人は、江戸時代の鼠小僧(実在の人物である)のような義賊、あるいは反体制の闘士としてまつりあげられた面がある。フォーク歌手の高田渡が事件からまもなくして「三億円強奪事件の唄」を発表して事件を風刺したのも、ロックバンドの頭脳警察が、アルバム『頭脳警察1』のジャケットに、三億円事件犯人とされたモンタージュ写真を使ったのも、犯人への共感からだった。昭和の時代において、事件直後よりこれほどまでに大衆から人気を集めた犯罪者は、戦前は阿部定、戦後は三億円事件犯人に尽きるだろう。

思えば、三億円事件に関して犯行声明の類いは一切なく、いまもって犯人の動機は不明だ。目撃されたのは唯一、現金強奪の現場だけ。それだけに人々がおのおのの犯人像を描き、物語を与える余地が生まれた。これって、何だか初音ミクのようなボーカロイドっぽくはないか。あのモンタージュ写真の男からして、時効の前年に捜査本部が犯人ではないと認めており、けっきょく実在しない人物だった(ある事件の逮捕者の写真を流用したとの説もあるが)という意味では、バーチャルアイドルの元祖ともいえるかもしれない。

なお、給与を機械で振りこむサービスが登場したのは三億円事件の翌年、1969年のこと。じつは三億円事件は、オンライン化・情報化時代のとば口で起こった事件だったのである。
(近藤正高)