日本のプレタポルテ(高級既製服)を先導してきたファッションデザイナーの芦田淳氏(83)は10月、ジュン アシダ創立50周年を機に、社長から会長に退いた。後任の社長には次女のファッションデザイナー・芦田多恵氏(49)の夫、山東英樹氏(49)が就任した。


 芦田氏は1930年、当時日本が統治していた朝鮮で、裕福な開業医の末っ子に生まれた。戦後の50年に東京高校を卒業後は、デザイナーを目指してイラストレーターの中原淳一氏に師事。高島屋の顧問デザイナーを務めていた63年に独立しテル工房(現ジュン アシダ)を設立、プレタポルテの制作販売を始めた。

 端正なデザインが持ち味で、66年から皇太子妃美智子さま(現在の皇后さま)のデザイナーを10年間務め、93年には皇太子妃雅子さまの御成婚衣装も制作した。96年のアトランタ五輪にて、日本選手団の公式ユニホームのデザインも手掛けた。

 浮き沈みが激しいファッションビジネス界では、有名なデザイナーが経営する会社は大手資本に買収されたり、経営破綻するケースが少なくなかった。

ブランドビジネスでは「創造と経営の両立」が常に課題となる。デザイナー兼社長だった芦田氏は、デザイナーの感覚と経営者の感覚をうまく両立させてきた。東京五輪開催(64年)の前の年に東京・渋谷に部屋を借りて社員10人で始めた小さな会社を、売上高93億円(12年8月期)、社員370人の規模にまで成長させた。

 芦田氏からジュン アシダの経営を引き継いだ山東氏は、87年に東京大学経済学部を卒業後に日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。95年、叔母の山東昭子議員の公設秘書を経て、97年、ジュン アシダに入社した。芦田氏の次女の多恵氏は米ロードアイランド造形大学を卒業後、88年にジュン アシダにデザイナーとして入社。

93年に山東氏と結婚した。

 現在ジュン アシダの売り上げの6割が淳ブランド、4割が多恵ブランドだ。昨年秋、多恵氏のコレクションラインやブティックの名前を「ミス アシダ」から自分の名前を前面に掲げた「タエ アシダ」に切り替え、今春から看板やロゴも刷新した。経営は山東氏、デザイン統括は多恵氏という二人三脚の体制に移行した。

●皇室デザイナーという重み

 芦田氏の輝かしい経歴の代表例が、皇室デザイナーを務めた実績である。09年8月1日~31日にわたり日本経済新聞に連載された『私の履歴書』で芦田氏は、次のように書いている。

「ある朝、高島屋に出社すると婦人服部長が血相を変えて駆け寄ってきた。『おい、芦田さん。大変なことになったよ。実は宮内庁から電話があって、浩宮さま(現在の皇太子殿下)の背広をつくってほしいと依頼されたんだ』とまくし立てる。『えっ、何だって』。私は思わず聞き返した」

 宮内庁関係者が芦田氏のつくった少女服を見て気に入り、推薦してくれたのだという。

芦田氏は、東京・元赤坂にある東宮御所で皇后さまと初めて面会した時の様子について、『私の履歴書』内で次のように振り返っている。

「東宮御所に入り仮縫い室に案内された。10畳ほどの室内に大ぶりの鏡や応接セットなどが置かれ、静寂に包まれていた。しばらくするとドアがゆっくり開き、美智子さまが入ってこられた。『芦田でございます。このたびは浩宮さまのお洋服を仕立てることになりました。

お目にかかれて光栄です』私が深々と頭を下げると、美智子さまは優しい笑みを浮かべながら頷かれた。その瞬間、清楚なバラの花のような気品が漂い、私は目がくらみそうになった。『こちらこそ、よろしくお願いします。どんな洋服が出来るか楽しみですね』」

 浩宮さまに仕立てた洋服はダブルのスーツだった。まず採寸し、仮縫いを1、2回してから仕上げた。スーツの出来栄えに、美智子さまも浩宮さまも大変満足されたようだった。

「『芦田さん、今度、私が着るお洋服の仕立てもお願いしてよろしいかしら』やがて、美智子さまからこんなご依頼を頂いたときは、まるで天に舞い上がりそうなくらいの喜びを覚えた。人生で最高の瞬間だった。大学も満足に出ていない私が、皇太子妃の衣装をつくるなんて……。父や母が生きていたらどんなに喜んだことだろう。今までの苦労が報われた気がした」(同)

 こうして66年、芦田淳氏は36歳で皇太子妃、美智子さまの衣装デザイナーとなった。

 外交の舞台での服装は多くのメディアの目にさらされ、細かな決まりごともたくさんあるので、芦田氏はデザインに当たり相当神経を使ったという。「皇室デザイナーだった10年間で、デザイナーとして大きな自信と信頼を与えて頂いた」と回想している。

 その芦田氏は、自身が大きく成長させたジュン アシダの経営の第一線から退き、その舵取りを次女夫婦に委ねた。デザイナーとしても経営者としてもその才能を如何なく発揮した創業者の決断を受け、ジュン アシダはどのように変わるのか? そしてファッション業界の中で確立された地位とブランド力を、これまで通り維持していくことができるのか? 業界内の注目が集まっている。
(文=編集部)