◎1990年9月8日 東京ドーム
ヤクルト 0 0 0 0 1 0 0 1 0 0 =2
巨人 1 0 0 0 0 1 0 0 0 1X=3
HR(ヤクルト)池山27号
(巨人)吉村10号
「バッターは吉村。ピッチャー川崎、ノーワインドアップ。
ひと振りで勝利を決める、サヨナラホームラン。それが「優勝を決める一発」となったら……しかも打ったバッターが、野球生命を危ぶまれるほどの大ケガをした選手だったら……そんなドラマティックな一発を実際に打ったのが、1990年の巨人・吉村禎章である。
PL学園高校出身の吉村は、1981年のドラフトで巨人から3位指名を受け入団。2年目の1983年、84試合に出場して1軍に定着した。背番号「50」の駒田徳広、「54」の槙原寛己とともに、「55」の吉村は「高卒50番トリオ」として注目され主力選手に成長。1986年から背番号は「7」になり、タイトルも狙える打者として期待されていたが、7年目の1988年、悪夢のような出来事が起こる。
7月6日、札幌円山球場で行われた中日戦。この日、自身通算100号となる3試合連続アーチを放った吉村は、8回、レフトの守備で左中間に飛んだ打球を追っていた際、センターの栄村忠広と激突。動けなくなった吉村は担架に乗せられ、救急車で病院へ直行した。左ヒザの4本のじん帯のうち、外側側副じん帯、前後の十字じん帯の計3本が完全に断裂。
しかし吉村は、そこから立ち上がる。渡米して手術を受け、懸命のリハビリに励み、ケガから1年2ヵ月後の1989年9月2日、東京ドームで行われたヤクルト戦で、代打として再びグラウンドに帰って来た。ドーム全体が吉村コールに包まれたのは言うまでもない。このときは川崎憲次郎のストレートを引っかけてセカンドゴロに終わったが、一塁まで全力疾走した吉村に惜しみない拍手が送られ、藤田元司監督もジャイアンツナインも「ここまで走れるようになったか……」と胸を熱くした。
翌1990年、吉村は先発と代打での出場を繰り返す形で試合に出場していた。巨人はこの年、独走でトップを走り、9月8日を迎えた時点でマジックは「2」。この日、2位・広島が敗れ、巨人が東京ドームでヤクルトに勝つとリーグ連覇が決まる状況だった。試合は巨人・宮本和知、ヤクルト・川崎憲次郎の両先発が互いに譲らぬ好投を見せ、2−2のまま延長戦に突入。宮本・川崎ともに、10回も続投した。
試合中に広島敗戦の報せが届き、マジックは「1」に。勝てば優勝だ。
吉村は2ストライクと追い込まれたが、川崎が投じた3球目、高めに甘く入ったストレートを見逃さなかった。完璧にとらえた打球は、右翼スタンドにライナーで突き刺さるサヨナラアーチに! リーグ連覇を決め、復活を印象づける劇的な一発になった。
吉村は試合後、こうコメントしている。「ダイヤモンドの一周が長かった。わずか20秒くらいなものでしょうが、僕にとっては長かった」……その20秒間、負傷してから2年余のさまざまな出来事が頭の中に甦ったという吉村。小さなガッツポーズを何回も繰り返しホームへ還って来た吉村を先頭で待っていたのが藤田監督だった。吉村はナインにもみくちゃにされながらホームイン。そのまま藤田監督の胴上げが始まった。
試合後、珍しく興奮した様子で「これ以上の勝ち方はありません! 吉村の底力、技術の高さを示したホームランでした」と吉村を讃えた藤田監督。
また、吉村の一発で「胴上げ投手」になった宮本は、前年・1989年のレギュラーシーズン、日本シリーズ(近鉄に3連敗のあと4連勝)に続いて3回連続で胴上げ投手となった。「持っている男」宮本は、現在ニッポン放送ショウアップナイター解説者として活躍中だ。
<チャッピー加藤>

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