【増田俊也 口述クロニクル「茶の間を変えたコメディアン 欽ちゃんのぜ~んぶ話しちゃう!」】#33


 作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。


  ◇  ◇  ◇


増田「スポンサーが先にいて、テレビ番組が成り立つということをわかったのが、『欽どこ』のときだったんですね」


萩本「うん。でもね、私が理想とするテレビってお米と一緒。前にも言ったけど、お米っていきなり穂をつけるんじゃないんですよね。種から稲を育てて、田植えをして、実がなる。私が理想とするテレビも同じ。最初は番組を育てるんですよ。それから数字がいって実がなって、そこにスポンサーがついてお金が生まれる。それなのに現実のテレビは逆だったの。スポンサーがいて先に生まなきゃいけない。生まれる前、育つ前にスポンサーがつく。それって変じゃないかと」


増田「それはもうそのときから考えておられた」


萩本「はい、それに、先にスポンサーがつくから、有名な女優さんとか、大きな名前の人を番組に入れなきゃいけなくなるんだけど、有名人がいると俺、緊張しちゃうの。それで俺は『お好きにおやりください』って言っちゃうからダメなんですよ。

でも、素人を入れとくと、そういうことがないんですよ。欽どこも、決まったのが真屋順子さんですから」


※真屋順子(まやじゅんこ):女優。1942年釜山生まれ。3歳時に終戦で大分県日田市に引き揚げ。日田高校を中退後、松竹歌劇団に入団。その後、俳優座養成所を卒業して劇団雲の研究生に。1976年、『欽ちゃんのどこまでやるの!』の母親役で一気にブレークした。2000年に舞台上で脳出血で倒れたが懸命のリハビリで復帰。2017年没。


増田「それを決めたのは」


萩本「私です。母親役を決めるにあたって、『女優さんの事務所の写真だけ見たい』って言ったら、アルバムみたいな分厚いものがきた」


増田「はい」


萩本「最初のページを開けるとそこの事務所の主役級が1ページに1人ずつ紹介してある。で、そこをめくっていくと次は1ページに2人ずつ、次は1ページに4人ずつになっていきますね」


増田「だんだん有名じゃない人になっていく」



「写真を見て〝この人に決定!〟って」

萩本「はいはい。

そのうち1ページに6人ぐらいになってくるんだよね。それを見て『この人はどういう人ですか』『この人はどういう人ですか』って聞いてたら『ああ、この人は何度かこういう役をやってます』とか『こういう役やってた』って教えてくれるの。で、そうしたら真屋順子さんのところきたら『この人はほとんど悪役が多いです』って言うんだ」


増田「それは面白い(笑)」


萩本「そう。それで『こんな奇麗で優しい顔してるのに、悪役なんですか?』って聞いたら、理由は分からないけど、『よく時代劇の大奥なんかでお姫さまをいじめる役をやってる人です』って言うんだ。だから俺、『はい、この人に決めました』って。だって女優さんでね、悪役全然OKですってやってる人ってのは、相当勇気のある人よ。そんな人が欽ちゃんとおかしいことやったら、その人は毎日が幸せな気分でしょう。『幸せな気分がテレビに映るのが一番奇麗だよね。この人に決定です』って。で、現にね、あの番組はもう順子さんあってのものですよ」


増田「順子さんの側から見ると運が下りてきたわけですよね」


萩本「正直言うとね、もう今だから話せるけど、あのオールスター家族対抗歌合戦に順子さんが来たの。そしたらね、お母さんが2人来たの」


※オールスター家族対抗歌合戦:1972年にフジテレビ系列でスタートしたバラエティー番組。芸能人や著名人とその家族が出演して歌を披露するほか、司会を務める萩本欽一氏が家族と爆笑トークを繰り広げて人気を博した。

萩本氏の〝素人いじり芸〟の原点とされる。86年まで続く長寿番組となり、萩本氏は84年まで11年間に渡って司会を務めた。


増田「それはまだ欽どこが始まる前?」


萩本「違う。もう欽どこで有名になってから。順子さんの家族もオールスター家族対抗歌合戦にゲストで呼んだら、お母さんが2人来たの。そしたら僕の顔を見たらね、そのお母さんたちが涙ポロポロ流すわけ。『お母さん、この番組はバラエティーですが、急に私の顔見て泣くって、どういうことですか?』と言ったら、旦那のお母さんと順子さんのお母さん、一緒に住んでたんだ。で、ずーっと悪役でテレビ出てる娘の仕事を見て2人で寂しい思いしてたんだって。そしたら欽ちゃんとやるようになって、それだけでもう涙がこぼれちゃうんだと。だからその欽ちゃんと会うと、笑うより泣いてしまうんですっていう話を聞いて、あ、このお母さんたちの運も含めてあの番組が立ったんですよね」


増田「なるほど」


萩本「そのときによかったなと思いましたよ。順子さんはやっと母親にね、欽どこで恩返しができたっていうか。でも私、先にそんなこと聞いて『だから出してください』って言っても出さないですよ。

でも成功したときにはね、必ずそういう話がね、いい物語がついてくるんですよ」(つづく =火・木曜公開)


▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。


▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。


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