■日本の果物の美味しさと種苗法
私は世界各地を旅してまわってきたが、日本の果物は概してどの国にも引けを取らない、甘くて瑞々しいものが非常に多い。それもそのはず、明治期以降、西洋から導入された果樹をベースにしつつも、日本の湿潤な気候や、日本人の繊細な味覚・美意識に合わせるため、国や各都道府県の農業試験場、そして在野の篤農家たちは、気の遠くなるような交配と選抜を繰り返して品種改良を行ってきた。
その技術の粋が、日本産の果物なのである。そのような背景もあり、農林水産省が血眼になって警戒しているのが、このような農業知的財産の流出だ。
日本の法律(改正種苗法)では、登録品種の苗木や枝を無断で海外へ持ち出した場合、個人であれば「10年以下の懲役または1000万円以下の罰金」、法人であれば「最大3億円の罰金」という極めて厳しい刑事罰が規定されている。文字通り、人生を棒に振るレベルの厳罰である。
にもかかわらず日本のブランド果実は、中国に密輸され続けている。中国に関しては「法の抑止力」が完全に無視されているのが実態なのだ。例えばシャインマスカットは、中国での栽培面積が日本の30倍に達し、日本の経済損失は少なくとも年間200億円弱という深刻な事態になっている。
■中国人が日本の果物にこだわるワケ
なぜ中国の農家や業者は、法を犯してまで日本の果物の苗木を手に入れ、違法に栽培しようとするのか。その背景には、中国の①遵法意識、②贈答文化、③日本ブランドへの信頼が関係している。
まず、遵法意識について。
また中国には、お互いに見栄えのする立派な品を贈り合うプレゼント文化がある。とくに新鮮な舶来品は、その希少さも相まって「相手を大切にしている」ことを示すことができる。だからこそ日本の果実は現地でプレミア価格になっているのだ。
例えば、中国の通販サイトでは、「青森県産 王林」が8個入りで372元(約7400円)、つまりリンゴ1個が約1000円という日本では考えられないプレミア価格で売られている。同じ輸入品でも、ニュージーランド産のリンゴが8個で34元(約800円)程度であることを考えれば、日本ブランドの価格は異常ともいえよう。
■シャインマスカット・バブル後
このプレミア価格で、一時代を築いたのがシャインマスカットである。いち早く栽培を軌道に乗せた雲南省や浙江省などの農家の中には、1房数千円というプレミア価格で売りさばき、わずか数年で数千万円から億単位の利益を叩き出して高級車や豪邸を手にする「シャインマスカット長者」が続出した。
しかし、その「シャインマスカット・バブル」も今は昔である。中国国営の経済チャンネル「央視財経」や大手経済メディア「界面新聞」などの報道を総合すると、中国におけるシャインマスカットの作付面積はこの数年で10倍以上に膨れ上がり、結果として2022年に供給過多による価格暴落を引き起こした。
これで見切りをつけ始めた現地の農家や業者たちは今、「次なる一獲千金」のターゲットとして、日本のブランドイチゴに目をつけている。
■日本の最新品種を手に入れる方法
では、彼らは具体的にどのようにして日本の最新品種を手に入れているのか。
例えば、日本の「メルカリ」や「ヤフオク!」などをみると、「種苗登録品種」と銘打たれた苗木が出品されていることが確認できる。これらを在日中国人や留学生などのコミュニティを通じて購入し、国際郵便の品目を偽って発送したり、帰国する人のスーツケースの底に忍ばせる「運び屋」を使って中国へと密輸することは十分に考えられる。実際に、中国には苗木専門の個人輸送業者などもある。
その後、日本の苗木は中国で売られることになるわけだが、かつて日本のメディアで中国のECサイト「淘宝(タオバオ)」で扱われていると報道された影響か、今ではそれら大手通販では見かけることがない。しかし、中国最大のフリーマーケットアプリ「閑魚(シェンユー)」を見ると未だに取り扱いがあることを確認できる。
「閑魚」は、アリババグループが運営する中国最大のフリーマーケットアプリだ。アプリ上では、日本の高級白イチゴ「天使の果実」や「初恋の香り」をはじめとする最新ブランドの苗が、安いものは数百円で叩き売りされている。もちろん、これらは本来、種苗法によって守られているはずのものである。
■浙江省のある業者が話した意外な事実
実際に浙江省・金華の業者に接触してみた。イチゴだけでなく、日本の柑橘類の苗木を幅広く販売し、「愛媛28号(紅まどんな)」なども扱う業者だ。
その業者は「品種は正真正銘の本物。自分でしっかり肥料をやって農薬に気をつければ美味しく育つ」と育てやすさを強調していた。さらに、シャインマスカットや日本のイチゴの苗をどのくらい取り扱っているのかを聞くと「全部の品種が揃っている」と豪語した。しかし、イチゴの苗の販売には条件があった。
「イチゴは卸売りしかやっていない。数株ぽっちじゃ売らない」
そう、彼らは、個人の園芸客を相手にする末端の転売ヤーではない。背後には、一獲千金を狙う現地の商業農家たちに大量のクローン苗を供給する、巨大な卸売りネットワークが存在している。なぜこれほど多様な日本の品種を仕入れられるのか、そのルートについて尋ねると、業者は当然のようにこう言い放った。
「専門の農業部門が(日本から)苗木を導入して、研究開発しているんだ」
このことからもわかるように、日本から持ち出された苗木は、それなりの規模の機関により研究・クローン増殖されており、こうした事態は単なる一部の悪徳業者の仕業にとどまらず、組織的な供給システムによって引き起こされているのである。
■農産物の知財防衛の難しさ
こうした巨大な組織的供給システムを前に、日本の行政はどう対応しているのか。もちろん、国や自治体も手をこまねいているわけではない。
農林水産省は、農産物の知財防衛を重要課題に掲げている。
しかし、現場が抱えるジレンマは極めて深い。海外での品種登録には、出願する国ごとに多額のコストと数年の歳月がかかる。開発を終えてから出願手続きをもたもたしている間に、相手国で少しでも流通の実態ができてしまえば、後から権利を主張して販売を差し止めることは事実上不可能になる。
先にも述べたように、相手は「専門の農業部門」という機関の関与すら示唆される巨大なネットワークだ。これまでの日本の手続きのスピードでは、彼らがクローン技術を用いてすぐに増殖させ、市場を埋め尽くす速度に到底太刀打ちできない。
■国主導での特許戦略が必要不可欠
つまり、法を守ることを前提とした日本の性善説的な制度設計と、手段を選ばず知財を吸収し、最短で利益に変える中国側のシステム。この圧倒的な「非対称性」とスピードの差こそが、日本の農業資産が一方的に搾取され続ける構造的な敗北の正体である。
日本の農業知財を守るためには、もはや「相手のモラル」や「水際での取り締まり」に頼る時代は完全に終わった。性善説に基づいたこれまでの知財防衛は、巨大な市場の需要と、個人単位ではなく、組織的に行われているクローン増殖システムの前では無力である。
農業知財の流出を水際で完全に防ぐことが事実上不可能であるならば、根本的な発想の転換が必要だ。流出が発覚してから後手で動くのではなく、最初からグローバルな権利保護を前提とした特許戦略を国主導で徹底していく必要があるだろう。
つい先日、農林水産省は、同省が認定した機関が、新品種の開発者に代わって無断栽培の監視、許諾契約、訴訟対応までを行う認定機関制度をスタートさせた。また、今年7月に成立した改正種苗法では、品種登録前でも、輸出を差し止めたり、種苗や農作物の廃棄命令を出したりすることが可能になった。
日本の果実が国際的に高い評価を受けている今だからこそ、こうした取り組みによって農業知財を積極的に防衛していくことが肝要となるだろう。
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大熊 杜夫(おおくま・もりお)
辺境リポーター、ライター
2001年、神奈川県生まれ。北京外国語大学を経て愛知大学へ。現在、宮塚コリア研究所研究員。専門は中朝国境を中心とした北朝鮮事情、および金日成バッジや北朝鮮ビール等の物質文化研究。コロナ禍の北京留学中に中国全土を踏破し、特に中朝国境地帯へは20回以上も足を運んでおり、「辺境レポーター」としての顔を持つ。徹底した現場主義に基づき、北朝鮮レストランの動向や内部事情にも精通。中日新聞・東京新聞をはじめとする国内メディアのほか、解放日報など中華圏メディアでの取材協力実績も多数。論文に「北朝鮮『肖像徽章』の研究」がある。
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(辺境リポーター、ライター 大熊 杜夫)

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