パナソニック ホールディングス株式会社(以下、パナソニックHD) 技術部門は、公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団(以下、iPS財団)と連携し、長年培ったバイオテクノロジーの知見とモノづくり技術を融合。再生医療の鍵となるiPS細胞(人工多能性幹細胞)の樹立(※1)工程を自動化する技術を開発した。
2026年4月には、大阪・中之島クロスのiPS財団「my iPS研究所」で、
患者自身の血液由来細胞からiPS細胞を樹立・培養する工程の自動化に向けた実証実験を開始している。熟練者の手技のノウハウを機械に実装し、コストを抑えながら安定的かつ高品質な細胞を製造できる基盤技術を確立する――。医学と工学の融合によって再生医療の普及に挑み、一人ひとりに適した治療を誰もが受けられる社会の実現を目指す、技術者たちの挑戦と思いに迫る。

※1 樹立:新しく細胞を作り出し、安定して増やし続けられる状態として確立すること

患者由来の血液細胞からiPS細胞を樹立・培養――バイオ領域に生かすモノづくりの力



パナソニックHD 技術部門は、2040年に向けた技術未来ビジョン(※2)の下、「一人ひとりの生涯の健康・快適に寄与する技術」を重要なテーマの一つとして掲げ、「治療細胞製造ソリューション」の具現化に取り組んでいる。

※2 技術未来ビジョン:社会やくらしを取り巻く課題を見据え、2040年にありたい社会像を起点として、その実現に向けてパナソニックHD 技術部門が取り組む研究開発の方向性を示したもの

「iPS細胞は、免疫細胞や心筋シートなど、さまざまな治療用細胞を生み出すための基盤となる細胞であり、再生医療を支える重要な役割を担っています。今回、パナソニックは、このiPS細胞の樹立工程を自動化する技術を開発しました。パナソニックが医療・バイオテクノロジー領域に取り組んでいることを意外に感じる方もいるかもしれません。しかし、当社はこれまで、血糖値センサ(バイオセンサ)をはじめ、さまざまな医療・バイオテクノロジー関連技術を研究開発してきました。私たちには製造装置設計や工程設計などで、長年培ってきた技術と知見があります。その蓄積があるからこそ、今回のiPS細胞の樹立・培養工程の自動化についても、将来的な社会実装につなげていけると考えています

そう語るのは、パナソニックHD MI本部 先進メカトロニクスシステム開発センター バイオ製造システム開発部 部長の大脇 圭裕(おおわき よしひろ)だ。大脇は「治療細胞製造プロジェクト」全体のプロジェクトマネージャーとして、今回のiPS細胞樹立工程の自動化をはじめとする複数の開発テーマを総括。技術開発に加え、事業戦略のマネジメントも行っている。

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パナソニック ホールディングス株式会社 MI本部 先進メカトロニクスシステム開発センター バイオ製造システム開発部 部長 大脇 圭裕(おおわき よしひろ)

iPS細胞樹立工程の自動化で、再生医療をより身近なものに―― 一人ひとりに適した治療の実現へ


再生医療の一例。
iPS細胞は、再生医療の基盤を支える細胞の一つで、さまざまな細胞に分化できることから「万能細胞」とも呼ばれる。パナソニックでは、今回のiPS細胞樹立工程の自動化に加え、iPS細胞から分化した免疫細胞などの治療用細胞を培養・製造する後工程についても、「治療細胞製造プロジェクト」で装置の試作・実証を進めている。

大脇:患者さん一人ひとりに合わせ、負担をできるだけ抑えたオーダーメイド型の再生医療を社会に広く届けていく。そのためには、治療法の開発に加え、治療に用いる細胞を高品質かつ低コストで安定的に製造できる基盤の確立が欠かせません

特に、患者自身の細胞を用いる自家細胞治療は、拒絶反応が起こりにくい点で大きな価値を持つ。一方、患者ごとに細胞を製造する必要があるため、品質を確保しながら効率的に製造することが難しく、オーダーメイドならではの課題も抱えている。

大脇:「現状のiPS細胞の樹立工程は、熟練者の高度な手技に大きく依存しています。細胞は生き物であるため、品質のばらつきが生じやすく、専用施設や清浄環境の維持にも高額なコストがかかります。こうした課題を解決するため、私たちが目指したのが、熟練者の手作業に頼らず、小型・低コストで高品質な細胞製造を実現する治療細胞製造ソリューションです。

今、バイオテクノロジー(生物工学)の分野は、手作業中心の時代から品質を安定的に確保できる産業的な『モノづくり』の時代へ移行しようとしています。製薬・医療の現場でも人手不足が深刻化する中、熟練者の技術や知見を機械に実装していかなければ、いつかは破綻してしまいかねないと感じています。だからこそ今は、パナソニックの強みを生かせるタイミングだと考えています」

大脇の下で、iPS細胞樹立工程の自動化において開発リーダーを務めるのが、山口 直志(やまぐち なおし)だ。

山口:今回実現したのは、患者さんの少量の血液からiPS細胞を自動で樹立・培養する装置です。
将来的にモノづくりとして社会実装・事業化していくことを見据えながら、開発・実証を進めています」

iPS細胞樹立工程の自動化で、再生医療をより身近なものに―― 一人ひとりに適した治療の実現へ


パナソニック プロダクションエンジニアリング株式会社 新規事業センター バイオ事業推進部 開発二課 課長 山口 直志(やまぐち なおし)

「優しい」を機械化すると? 熟練の手技を装置に落とし込む難しさ



細胞製造の自動化に挑む中で、2人が直面したのは、熟練者の手技に支えられた工程をいかに装置で再現するかという課題だった。

大脇:「例えば、細胞を培養する工程では、『培養液を優しく注入する』と表現されることがあります。しかし、その『優しく』とは、どのぐらいの速度で、どのように注入すれば、安定的に再現できるのか。そうした熟練者の手技を装置の動作として定義する必要がありました」

山口:「手技のエキスパートは、経験に基づく独自のノウハウを持っておられます。しかし装置化する際に、その手の動きそのものを再現することはできません。そこで、送液速度や配管径などの条件を一つひとつ検証し、どうすれば手技が持つ『優しさ』を再現できるかを突き詰めました。熟練者の感覚や暗黙知をシンプルな機械動作に落とし込むことが最も難しい点でしたね」

大脇:「こうした一つひとつの手順やコツ、言葉では表しにくいニュアンスを、装置設計のメンバーと共に探りながら試作と検証を重ね、形にしていきました。その積み重ねの成果が、今回完成したiPS細胞樹立培養装置の検証機です。

実は、細胞、機械、計測といった幅広い領域を一人で理解している人はいません。それぞれの専門家が集まって開発を進めていますが、同じ技術者同士でも専門が異なれば、言語や常識が通じないことがあります。そのため、何を求めているのか、どこに認識のズレがあるのかを丁寧に確認しながら議論を重ねてきました。装置側で工夫すべきこともあれば、バイオ側で条件を見直すこともあります。そうした粘り強い対話が、開発を前進させる原動力になりました。



私の役割は、プロジェクト全体の目的や進むべき方向を示すことです。定例会などでも、目指すゴールがぶれないよう発信し続けてきました。相手が自分と同じイメージを持っているとは限らないという前提で対話を重ね、少しずつ認識を合わせながら、全員が同じ方向を向いて進んでいく。その進め方自体も、今回得られた大きな学びの一つだと感じています」

山口:「私はこれまで、プラズマディスプレイや液晶ディスプレイなどの製造・生産技術に携わってきました。その経験があったからこそ、細胞を扱う研究者と装置を設計する技術者の双方の立場や考え方が理解できたと思います。今回のプロジェクトでは、バイオの世界とモノづくりの世界をつなぐハブのような役割を担いながら、検証機の開発を進めてきました」

少量の血液から分離・感染・培養を自動で行うiPS細胞樹立培養装置



今回のiPS細胞樹立培養装置では、「閉鎖系」(※3)と呼ばれる密閉空間の中で「分離」「感染」「培養」の3段階を経てiPS細胞を作製する。

※3 閉鎖系:細胞や培養液を外気にさらさず、密閉された容器や配管内で処理する仕組み。人やロボットが容器を開けて作業する「開放系」と比べ、菌や異物の混入リスクを抑えやすく、細胞製造の品質安定化や作業負荷の軽減に貢献する。

まず分離工程では、患者の血液の中に含まれるさまざまな細胞の中から「造血幹細胞」を取り出す。続く感染工程、すなわち遺伝子導入の工程では、細胞をiPS細胞へと変化させるために必要な4つの遺伝子を造血幹細胞に導入する。その際、遺伝子を細胞へ届けるための「運び屋」の役割を果たす「ウイルスベクター」が使われる。こうして細胞を初期状態へ戻すことを「初期化」と呼ぶ。最後の培養工程では、初期化された細胞を装置内で培養し、iPS細胞として安定的に増殖させていく。


iPS細胞樹立工程の自動化で、再生医療をより身近なものに―― 一人ひとりに適した治療の実現へ


iPS細胞樹立培養装置。中央部を開いて患者の血液と試薬をセットし、iPS細胞の樹立・培養を行う

iPS細胞樹立工程の自動化で、再生医療をより身近なものに―― 一人ひとりに適した治療の実現へ


装置内の模式図。「分離」「感染」「培養」の3工程を経て、約2~3週間でiPS細胞を樹立する

山口:「本装置には、大きく三つの特長があります。一つ目は、全自動の閉鎖系システムにより高い再現性と品質安定性を実現していることです。iPS細胞の樹立から培養までを外部環境から隔離された密閉空間内で完結できるため、菌や異物の混入リスクを低減できます。人の手による作業のばらつきを防ぎ、安定した品質の確保につながります。

二つ目は、非侵襲センシング(※4)が可能なことです。細胞を傷つけたり、壊したりすることなく、培養中の状態を外部から計測できるため、汚染リスクなしに、細胞にとって最適な培養環境にコントロールできます。

三つ目は、患者さん自身の少量の血液からiPS細胞を樹立できることです。採血程度の血液で済むため、患者さんの負担を軽減できるほか、使用する試薬量を抑えられるため、作製コストの低減にもつながります」

※4 非侵襲センシング:光や電波、音波を用いて生体情報を計測・監視する技術

iPS細胞樹立工程の自動化で、再生医療をより身近なものに―― 一人ひとりに適した治療の実現へ


山口:「装置はコンパクトな箱型で、クリーンベンチ(※5)よりも小さいサイズを目指しました。製薬会社やバイオテック企業、セルバンク(※6)などでも導入しやすく、再生医療の現場で幅広く活用していただける設計です」

※5 クリーンベンチ:埃や微生物の混入を防ぐため、作業空間が一定の清浄レベルになるように管理された囲いのついた作業台

※6 セルバンク:iPS細胞や幹細胞などの細胞を品質管理しながら凍結保存・供給する施設や組織

大脇:私たちが目指しているのは、大型装置で多人数分の細胞を一括製造することではなく、小型の装置で患者さん1人分のiPS細胞を低コストで作製することです。

細胞には患者さんごとの個人差があるため、一人ひとりに合わせて製造する必要があります。
そのため、私たちは同じ装置を数多く並べて稼働させる『分散型』のモノづくりを目指しています。これにより、品質を保ちながら、より多くの患者さんに治療を届けられるようになります。

熟練者の手技を、閉鎖された限られた空間の中で再現する装置へと置き換えることは容易ではありませんでした。しかし、こうした自動化が進めば、再生医療の発展を後押しし、より高品質で低コストな治療の実現につながると考えています

iPS細胞樹立工程の自動化で、再生医療をより身近なものに―― 一人ひとりに適した治療の実現へ


パナソニックHD MI本部のラボ。クリーンベンチ内では、ピペットを用いた繊細な手技を駆使する研究員の姿も。

大脇:「現在、iPS細胞を1人分作製するには数千万円程度かかるといわれています。私たちは、このコストを大幅に下げることを目指しています。人件費の削減に加え、それに並んで大きな課題となるのが衛生管理にかかるコストです。無菌状態のクリーンルームの維持には多額の費用がかかります。今回のような閉鎖系の装置に置き換えることで、こうしたクリーン環境の維持コストも抑えられます」

山口:「コスト面に加え、作業者の負担を軽減できることもメリットだと思います。細胞製造の現場では、『絶対に菌を入れてはいけない』という緊張感の中で作業を続けなければなりません。しかし、自動化によってクリーンルームの外から監視画面を確認するだけで済むようになれば、作業者の精神的な負担は大きく軽減されます。
働く環境の改善という観点でも意義は大きいと考えています。

今回、患者さん自身の血液からiPS細胞を作製する工程の自動化は検証機として実現することができました。しかし、そのiPS細胞を実際の細胞治療薬の製造に利用できるレベルまで高められるかどうかが、次の挑戦です。そのためには、さまざまな規制や法律に対応し、臨床向けの細胞製造に求められる基準を満たす装置へとさらに進化させていく必要があります」

大脇:「次の段階では、開発者や研究者だけでなく、製薬会社などの現場で実際に使う方々にも扱いやすい装置にしていかなければなりません。タッチパネルの分かりやすさや部品の着脱性など、ユーザビリティの向上が求められます。また、100回作製したら100回同じ品質のものを作れるような高い再現性も必要です。研究段階の技術を、実際にお客様に使っていただける製品レベルへ引き上げる。そのギャップをできるだけ早く埋めていくことが今後の課題です」

実証実験から社会実装へ――再生医療の本格普及に向けて



2026年4月には、大阪・中之島クロス内にあるiPS財団「my iPS研究所」のラボにおいて、患者自身の血液由来細胞を起点とするiPS細胞の樹立・培養工程自動化装置の実証実験を開始した。実証期間は2027年3月までの1年間を予定している。

山口:「中之島クロスにはiPS細胞の製造施設もあり、実際の細胞製造に近い環境で装置の運用性や課題を検証できます。研究室での実験にとどまらず、社会実装を見据えた環境で実証できることは大きな前進だと感じています。実証実験終了後は、お客様に実際に使っていただける製品版の開発を進めていきます。提供先としては、製薬会社やバイオテック企業、セルバンクなどを想定しています。将来的には、地域のクリニックでもiPS細胞や免疫細胞が容易に作製できる世界が来るかもしれません。その実現に向け、一歩ずつ取り組んでいきます」

大脇:「パナソニックだけで、血液からiPS細胞を作り、それを細胞治療薬として患者さんに届けるまでのプロセスを完結することはできません。また、再生医療が本格的に普及する時代になれば、熟練者の職人技に依存した製造には限界が訪れると考えています。

だからこそ、私たち自身がエコシステムづくりに取り組み、iPS財団をはじめとするパートナーとの連携を広げながら、事業化につなげていきたいと考えています。私たちの装置で作製したiPS細胞が治療用細胞へとつながり、これまで夢の技術とされてきた再生医療を、より多くの人にとって身近なものにしたい。その実現に向け、パナソニックはモノづくりの力で貢献していきます

iPS細胞樹立工程の自動化で、再生医療をより身近なものに―― 一人ひとりに適した治療の実現へ


パナソニックグループは今後も、再生医療領域における「治療細胞製造ソリューション」の社会実装に向けた取り組みを進め、モノづくりの力で再生医療の普及と発展に貢献していく。

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