約30年、葬儀業界で人の最期を見届けてきた社長・平野清隆。50歳を前に、一点物の木製彫刻棺を自らの手でつくる理由

自分が最後に入る棺を、今、自ら彫る。緑内障と向き合う葬儀社社...の画像はこちら >>


静かな部屋に、木を削る音が響く。


平野社長は工具を止め、細かな木くずを払った。指先で彫りの深さを確かめる。そして、また手を動かす。

目の前にあるのは、家具でも看板でもない。

棺だ。

しかも、いつか自分が入る棺である。

千葉県富津市。明治期から続く葬儀社「かじや本店株式会社」の代表取締役・平野清隆は、20歳で家業に入り、約30年にわたって人の最期と、それを見送る家族に向き合ってきた。

2026年9月22日、50歳になる。

その節目を前に始めたのが、自分が最後に入る一点物の木製棺を、自らの手で彫り上げることだった。

平野はいま、緑内障の治療を続けている。将来、視力を失う可能性があることも告げられた。
これから見え方がどう変化するのか、確かなことは誰にも分からない。

だからこそ、今、彫る。

見えるうちに、目の前の木へ手を入れる。いつか見えにくくなる日が来ても、刻んだ凹凸へ触れれば、この時間を思い出せるかもしれない――。

これは、珍しい棺の話ではない。

限りのある時間を、誰と、何に使うのか。人生の最後を思うことで、今日の生き方を自分で選んでいこうとする、一人の葬儀社社長の物語である。

父から受け継いだ仕事。約30年、人の最期に向き合ってきた



平野が家業に入ったのは、専門学校を卒業し実家に戻った20歳の時だった。

父と一緒に働けたのは、わずか4年。父は56歳で急逝した。

まだ仕事の全体像も、経営のことも分からない。
何も分からないまま、苦労の日々が続いた。それでも、葬儀の日程を自分の都合で調整することはできない。目の前の家族に向き合いながら、一つひとつ考えていくしかなかった。

長い療養の末に、その日を迎えた家族。

突然の別れに、言葉を失った家族。

好きだった花や音楽でたくさんの人と送りたい人もいれば、家族だけで静かに見送りたい人もいる。同じ葬儀は、一つとしてなかった。

費用をかければ、必ずよい別れになるわけではない。形式を整えれば、心の整理がつくわけでもない。

約30年の現場で平野が見てきたのは、故人とその家族が「何を大切にしたかったのか」が表れる時間だった。

花や規模ではなく、自分は最後に入る「棺」にこだわる



人によって、こだわるものは様々だ。

服やアクセサリー、車や家具、暮らし方。

葬儀においても、花を大切にする人もいれば、式の規模や、家族と過ごす時間を大切にする人もいる。


ならば、自分は何にこだわるのか。

約30年間、さまざまな最期を見届けてきた平野が選んだのは、人生の最後に自分の身体を預ける「棺」だった。

棺は多くの場合、入る本人が選ぶものではない。葬儀の打ち合わせで初めて家族に案内され、限られた時間のなか写真と価格をもとに決められていく。葬儀のあとには火葬され、形として残るものでもない。

それでも――いや、だからこそ、最後くらいは寝心地のよい寝具に包まれ、自分が納得して選んだ棺で眠りたい。

それは、一人の男としてのこだわりであると同時に、「みなさんの最期も、自分たちらしく選んでほしい」という葬儀社としての提起を込めた選択だった。

自分が最後に入る棺を、今、自ら彫る。緑内障と向き合う葬儀社社長、50歳の決断


明治から受け継ぐ「かじや本店」の屋号を刻んだ木製棺



約半年前、平野は広島県の棺メーカー、株式会社共栄の栗原社長に相談した。

用意してもらったのは、側面を職人が仕上げた五面彫刻棺。蓋だけは平野自身が彫れるよう、手を加えずに残したスプルース(アラスカ檜)の一枚板の木製棺を特別に仕立ててもらった。重さは約50キロ、普通の棺の約2倍もある。

一度深く彫れば、元には戻せない。



自らの棺に刻むと決めたのは、明治から代々受け継がれてきた、かじや本店の屋号だった。

下絵を見つめ、残す線を決め、その周囲を削る。

仕事の合間に少しずつ。焦らず、一彫りずつ。

約30年、人のために葬儀を整えてきた男が、いま、自分のための棺と向き合っている。

自分が最後に入る棺を、今、自ら彫る。緑内障と向き合う葬儀社社長、50歳の決断


自らの棺に、一彫りずつ想いを込める平野



なぜ今、棺を彫るのか。見える今だからこそできること



棺づくりを、単なる終活では終わらせない理由がある。

数年前から体調に違和感はあった。それでも、仕事の疲れだろうと思っていた。

転機は約半年前。平野の様子を見ていた社員から、強く受診を勧められた。

「仕事は私がしているので、早く病院へ行ってください」

なぜか、そのときは素直に言葉を受け入れた。
眼科を受診し、医師から告げられたのは、思いもよらない言葉だった。

「平野さん、このままでは失明です」

すぐには受け止められなかった。しかし振り返れば、視力や見え方には変化があり、葬儀の実務で難しさを感じる場面も生まれていた。

もちろん、「もうすぐ見えなくなる」と決まったわけではない。ただ、今と同じように見える時間が永遠ではない。その現実が、平野の背中を押した。

見える今のうちに、自分の手で彫っておく。

木の模様は、目だけに残るものではない。彫れば、深さが生まれる。凹凸が残る。指先でたどれる記憶になる。

もし、いつか見えにくくなる日が来ても、彫り跡へ触れれば、工具を握った感覚や、木を削る音、その日の景色までよみがえるかもしれない。


「見えるうちに彫っておきたいと思いました。もし将来、見えにくくなったとしても、手で触れれば、この棺を彫っていた時間を思い出せる気がするんです。」



棺は、人生が終わった後に使う。

だが、この棺を彫っているのは、いまを生きるためだ。

失うかもしれないものを嘆くのではなく、今見えているもの、動かせる手、一緒にいられる人を、もう一度確かめるために。

自分が最後に入る棺を、今、自ら彫る。緑内障と向き合う葬儀社社長、50歳の決断


50歳の誕生日に贈る、約30年間働いた自分への「棺」というご褒美



完成の目標は、2026年9月22日。平野が50歳になる日だ。

父は56歳で亡くなった。その経験もあり、平野は以前から50歳を人生と仕事の大きな節目として意識してきた。

40歳で子供を授かり会館建設を決意。

「だらだらやっても意味がない。まず10年間、50歳まではひたすら頑張ろう」

自分で一本の線を引き、走り続けた。

そして約30年間、誰かのために葬儀を整えてきた自分へ、50歳の誕生日に棺を一台贈る。

平野はそれを、「30年間働いてきた自分へのご褒美」と呼ぶ。

旅行。時計。車。家具。節目の日に、自分が本当に価値を感じるものを選ぶ人がいる。ならば、人生最後の居場所にこだわってもいいのではないか。

高級な棺は、地位や財力を示すためだけのものではない。長く生き、働いてきた自分へ贈る、最後の一品にもなり得る。

「安い葬儀が悪いと言いたいわけではありません。全部を高級にする必要もない。ただ、人生の最後も、自分が大切にしたいものを自分らしく選んでいいと思うんです。」



自分が最後に入る棺を、今、自ら彫る。緑内障と向き合う葬儀社社長、50歳の決断


小学生の子どもたちへ、会社ではなく「考え方」を残せるだろうか

平野には、小学生の娘と息子がいる。

その子どもたちにも、父の棺彫りに一部参加してもらった。

父親が、自分の棺を彫っている。

子どもたちは、その姿をどう見ていたのだろう。

死を必要以上に遠ざけず、自分の人生を自分で考えること。大切な人と過ごせる時間には限りがあること。そして、人生の最後まで、自分らしく選んでよいという考え方。

父が残したいのは、そうした「生き方」なのかもしれない。

いつか子どもたちが大人になり、改めてこの棺と向き合う日が来るだろう。

50歳を前にした父親が、自分の棺を暗い顔ではなく、一彫りずつつくっていた。もし、その光景が記憶に残るのなら――。

棺の彫り跡は、平野自身の記憶だけではなく、家族が父と過ごした時間の記憶にもなっていく。

自分が最後に入る棺を、今、自ら彫る。緑内障と向き合う葬儀社社長、50歳の決断


子どもたちも制作の一部に参加した

完成した棺を、誰かが先に体験する



完成した棺は、2026年9月22日(火・休日)から一般に公開し、見て、彫刻へ触れ、実際に中へ入れるようにする予定だ。

自分がいつか入る棺へ、ほかの誰かが先に入る。少し不思議な光景だ。

それでも、自分だけの作品として守るより、この棺から誰かと家族の会話が始まる場所にしていきたいと平野は考えている。

「棺の実物を見たことも、入ったこともなければ、自分が何を大切にしたいかは分かりません。まずは見て、触れて、入ってみてほしい。その人なりの答えを考えるきっかけになればと思っています。」



自分が最後に入る棺を、今、自ら彫る。緑内障と向き合う葬儀社社長、50歳の決断


完成した棺に入り、寝具の感触や入り心地を自ら確認する平野

かじや本店はすでに、デザイン性の高い棺などを体験できる予約制の「入棺カフェ」を運営している。

棺の中で写真を撮る人。家族と笑う人。静かに天井を見つめ、自分の人生を振り返る人。反応は、一人ひとり違った。

人は、死について考えたくないのではない。暗くなりすぎずに話せる場所も、実物に触れて考える機会も、これまであまりなかったのではないか。

完成した棺に入れる体験の詳細は、2026年8月末に発表する予定だ。

自分が最後に入る棺を、今、自ら彫る。緑内障と向き合う葬儀社社長、50歳の決断


棺だけではなく、子どもたちとつくった骨壺も。



平野が「自分の最期」を具体的に考え始めたのは、今回が初めてではない。

3年ほど前、「葬儀屋だからこそできる終活とは何だろう」と考えた。遺影写真はすぐに決まった。しかし、自分らしい棺と骨壺は見つからなかった。

既製品にないのなら、つくればいい。

そこで生まれたのが、素焼きの器に家族が絵や言葉を描く「メッセージ骨壺~たすき~」だった。

平野の骨壺には、小学生の娘と息子が、父との思い出を描いた。世界に一つだけの骨壺が完成した。現在は、同じように家族の思いを残したい人へ向け、全国の葬儀社や一般の人にも販売している。

自分が最後に入る棺を、今、自ら彫る。緑内障と向き合う葬儀社社長、50歳の決断


メッセージ骨壺 ~たすき~

死を考えることは、残り時間の使い方を考えること



「毎日、死と向き合うのはつらくありませんか」

葬儀の仕事をしていると、そう聞かれることがあるという。

だが平野にとって、死を考えることは、暗い未来だけを見ることではない。

終わりがあると知るから、いま隣にいる人との時間が変わる。

自分の最後を思い描くから、それまでにやりたいこと、伝えたい言葉が見えてくる。

棺を選ぶ。遺影を決める。家族と骨壺をつくる。働き方に区切りをつける。

どれも、死へ急ぐためではない。

自分の人生を、最後まで自分のものとして引き受けるためだ。

誰かが彫刻へ触れる。棺に横たわる。そして、「自分なら、最後に何を選びたいだろう」と考える。

その問いは、やがて一つの場所へ戻ってくる。

――では、いまをどう生きたいか。

見えるうちに彫る。いつか、手で思い出す。

木に残る一彫り一彫りは、人生の終わりとどう向き合うかを問いかける印であり、平野清隆という一人の人間が、いまこの時間を生きた印でもある。

かじや本店株式会社について

自分が最後に入る棺を、今、自ら彫る。緑内障と向き合う葬儀社社長、50歳の決断


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かじや本店は、明治35年創業の葬儀社。2017年にオープンした葬儀会館「和葬空間かじや」は、「家族が集う別邸」をコンセプトとする全国でも珍しい和モダンを基調とする空間です。インテリアから線香一本に至るまでしつらえにこだわり抜いた葬儀会館として、業界内外から注目を集めています。2026年には、TBSドラマストリーム『終のひと』の撮影場所としても使用されました。

オリジナル装飾を施す「メッセージ骨壺」、デザイン棺や夫婦棺への入棺体験ができる「入棺カフェ」、上質な素材や意匠にこだわった「高級棺」などを通じ、葬送品を自ら選び、想いを託す自分らしい終活のあり方も提案しています。

https://kajiyahonten.com/

所在地:〒293-0021 千葉県富津市富津552-1
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